第三章 佐久間宗一郎

Depth9 最果ての三傑

「ん、起きたか?」


 優音は目をしばたたかせた。「矢切……さん?」かすれた声が喉から辛うじて聞こえる。それには彼女自身も多少の驚きがあったらしい。これが自分の声なのか?と。


「ちょっと待ってろ。アイツらを呼んでくる」


(”アイツら”っていうのはC-SOT心海特殊作戦部隊、東京支部メンバーの事だろうな……)


 優音は意識を取り戻してすぐにも関わらず、頭はいつも通りの運転を始めたらしかった。矢切隆次やぎりたかつぐはベッドの横のスツールから立ち上がると、横開きのドアを開けて早足で去っていく。優音はまだ記憶がぼんやりとしていた。腕につながれた点滴や自分の格好……状況から察するに心海で負けたのだろう。いったい誰に……?思い出せるのは耳にこびりついた甲高い笑い声だけだった。


 ここは、警視庁内部に設置された心圧症患者(主にC-SOTメンバー用である)向けの病室だ。蛍光灯の白い光は目覚めたばかりの彼女には少し眩しい。


(私は負けたんだ……)


 少ししてドアがノックされる。「どうぞ」まだ上手く声にならないが、先ほどよりは形を帯びていた。「失礼いたします」そう丁寧に告げて入ってきたのは、見知らぬ男だった。手には花束を持ち、白いスーツを丁寧に着こなした彼は、傍から見れば結婚式にでも行くような出で立ちだ。身長はそこそこ高く、前髪を眼の上まで下ろしたマッシュのような髪型をしている。少しミステリアスな雰囲気だが、人好きのする優しい笑顔を優音に向けていた。


「あなたは……?」


 男は慣れた手つきで花瓶に花束を入れ、スツールに腰を下ろした。そして自然に優音の手を取ると告げる。


「初めまして、櫟原優音ひらはらゆうねさん。私は佐久間宗一郎さくまそういちろうと申します。無事でよかったです。恐ろしい思いをされたでしょう?」


 佐久間宗一郎……優音は頭の中で復唱する。


(まさか……あの佐久間宗一郎?)


 彼女の脳内データベースにはその名前が1つしかなかった。


 「その……あまり覚えていなくて……。それよりも……も、もしかして佐久間さんって”最果ての三傑”……あの、佐久間さんですか!?」


 佐久間は照れた笑いを浮かべて軽く首を振った。

 

「その呼び方はやめていただきたいものです。なんというか……大変仰々しいですから。私は生まれつき、ただ一般の方より深く潜れてしまっただけですよ」


 やはりそうだった。彼は”最果ての三傑”と呼ばれる世界最高峰のダイバーの1人だ。人類の最深到達地点に潜り、無事に生きて帰った人物。心海に携わる者ならば一度はその名前を聞いたことはあるだろう。現実に干渉しようとしてきた知能を持つ強大な心海魚など、推定Depth(危険度)が30以上の化け物を何度も単独で討伐しているらしい。もはやある種の生ける伝説と言っても過言ではない。だが、そんな物語られるほどの人物には思えないほど、物腰が柔らかく、礼儀正しい好青年だった。

 

「ど、どうして佐久間さんがこんなところに!?」


「たまたま日本に帰ったタイミングでしたから、後輩の姿を見ておきたいと思いましてね。あとは、優音さんの接触した人物は、私が昔に追っていた人物と同一である可能性が高い。彼は国際指名手配も受けています。手伝えることが有れば手伝いたいのです。何か思い出せる特徴はありませんか?」

 

 優音が接触した人物というのは、この佐久間を持ってしても取り逃がしたということなのだろうか。にわかには信じられなかった。彼女は特徴を思い出そうと試みる。「甲高い笑い声……それに……」彼女はゆっくりと言葉にすると同時に頭に断片的な映像がフラッシュバックした。笑い声、猪俣がくず折れる瞬間、噴き出した血しぶき、なにより、『殺せ』という強い感情。


「派手な……パーカーを着ていた気がします。顔は……思い出せません。ナイフで猪俣が刺されました……」

 

 そう言った優音はうつむいていた顔を上げて、ハッと目を見開いた。「そうだ、い、猪俣くんは、無事なのでしょうか!?」隣のベッドを見るがそこは空いている。もしかしたら……。そんな可能性も頭に浮かんできた。


「ふふ。大丈夫です、落ち着いてください。猪俣さんは昨日目覚めて、もうリハビリを始めていますよ」


 ゆとりのある落ち着いた調子で言われ、優音も安心したような表情をつくる。「そうですか……よかった」そうつぶやいた後に、一息おいて思い出したことを付け加えた。


「あとバディ能力は……瞬間移動のようなものだったと思います。発動条件などは全く……仮説すら忘れてしまいました……申し訳ありません」


「”瞬間移動”ですか。そうするとやはり本人……」


櫟原ひらはらちゃーん、はいるよ……と……あら?」


 佐久間の声に重なるようにして現れたのは、優音の所属するC-SOTの隊長、八代一やしろはじめだ。相変わらずボサボサの髪に無精ひげを蓄えている。


 横にはもう1人、八代より年配の男も連れていた。彼は確か……串呂秀明くしろひであき。捜査一課の刑事だ。優音も何度か顔を合わせたことが有る人物だった。心海が専門ではないものの、刑事上がりの八代とは長年の付き合いらしく、時おり顔を出しては情報交換をしている。50代ながらがっしりとした体つきをしており、ダンディーな髭を蓄えた貫禄のある見た目だが、その手には砂糖たっぷりのドーナツが握られていた。既に齧ってあることからして見舞いの品ではないらしい。薄くなってきた頭皮を隠すためか、最近はハットを基本的には被っており、茶色いコートを愛用していた。


「佐久間ちゃん!随分と久しぶりだねぇ!活躍は聞いてるよ……元気にしてたかい?」

 

 八代が再会を懐かしみながら佐久間に笑顔を向ける。と同時に、佐久間はスツールから立ち上がり、深々と礼をした。


「ご無沙汰しています、八代さん。それに串呂さんも。お変わりないようで何よりです」


「佐久間の方こそ、相変わらず固えなぁ……にしても戻ってきてるとは珍しい。大忙しだろ?なんたって”最果ての三傑”様だからなぁ」


 串呂はドーナツを食べながら豪快に笑う。佐久間は苦笑を浮かべつつドーナツを見ながら言った。


「串呂さん、甘いものは控えた方がいいですよ。特にドーナツは栄養価も低いですし、カロリーだけは高いですから」


「なんだ?当てつけか?言うようになったな!」


 そう言って彼は佐久間の肩をガシガシと叩いた。八代と優音はそんな2人のやり取りを微笑ましく見守りつつ、八代が優音の耳元でつぶやく。「ごめんねぇ、騒がしくしちゃって。まさか佐久間ちゃんがいるとは思わなくてさ」それを聞いた優音は笑って答える。「いいんです。騒がしいくらいの方が、気は紛れますから」そうして、軽い世間話も終えたのだろう、串呂は真剣な顔つきとトーンで告げた。


「さて、櫟原。病み上がりでこんな話をするのも悪いんだが、佐久間もいるしちょうどいいだろう。お前が会ったのはほぼ間違いなく、俺たちが”ジョー”と呼んでいる連続殺人鬼だ。しばらくは鳴りを潜めていたんだが、どうやらろくでもない活動を再開したらしい」


「やはり……」佐久間が顎に手を当てながらつぶやき、八代は隣で何度も頷いてから言葉を選ぶように続ける。


「そう……小日向ちゃんと矢切くんの話を聞く限り、奴で間違いない。そして、今回の件は僕にも大きく責任がある。2人とも危うく死ぬところだった……任務に送り出したのは僕だ。本当に申し訳ない」


 そう言って八代は優音に向かって深々と頭を下げる。「俺もまさか奴が出るとは思わなかった。八代を責めないでやってくれ」串呂はすぐさま付け加えた。


 「か、顔を上げてください!今回は……単なる私の実力不足が招いたことです」

 

 優音はきっぱりと告げる。「痛感しました。正義を貫くには、私ももっと強くならなくちゃって……」彼女は拳を握りこんだ。


「すみません、私から提案なんですが……」そのやり取りを見ていた佐久間が口をはさんだ。「日本滞在の短い期間にはなりますが、よろしければ稽古……というと少々上からになってしまいますね……」彼はふーむと少し言葉を探しているようだったが、少しして合点したように頷く。「訓練……を一緒に行うというのはいかがでしょうか?」


 優音にとっては願ってもない提案だった。あの人類最高峰のダイバーと訓練ができる、そんなチャンスは二度とないだろう。


「佐久間ちゃん、時間は大丈夫なの?かなり忙しいと思うけど」


「ええ。1週間だけですが、隙間の時間は多少取れると思います。ただ、訓練できるのは櫟原優音さんだけになってしまいますかね」


「ええ!?な、なんで私なんでしょうか!?」


 優音は緊張を含んだ驚きの声を発する。純粋に疑問だった。優音はこの組織で最も若手であり、面識もあったわけではない。今日初めて会っただけだ。それに回復もしきっておらず、まだベッドから立ってもいないのである。


「ふふ、貴方には、私と似たものを感じるんです」


 それは優しい笑顔だが、ほんの少しだけ不気味だった。何が似ているのか、優音には思い当たる節はない。

 

「気にすんな、こいつはバディ能力オタクなんだ。お前のが珍しいから観察しようって肚だぜきっと」そう言って串呂は豪快に笑う。


「それに良かったじゃねえか、こんなチャンスねえぞ?」


「もし……もし可能ならぜひっ……!その、お願い、したいですっ!」


 優音は八代の顔も伺いながら尋ねたが、彼は笑顔でただ一度大きく頷いた。優音は佐久間の目をまっすぐに見据える。彼は笑いかけて手を差し出した。


「ではよろしくお願いしますね、櫟原さん」


「はいっ!よろしくお願いいたしますっ!」


 2人は固い握手を交わした。八代はそんな2人を見て最初は嬉しそうに微笑んでいたが、少ししてハッと手を頭においてからボソリと漏らした。


「いやあ、でも、猪俣くんが知ったら嫉妬するだろうね……」


 それは確かに……と猪俣のことを知る誰も(佐久間を除く)が思ったことだろう。しかし八代はさらに少し頭を抱えたあと、「そうだ!」と名案を思い付いたらしくポンと手を叩いた。

 

「猪俣くんは小日向ちゃんに特訓してもらえばいいんだ!」


 それは確かに名案だった。なんとなく佐久間と猪俣のコンビは合わないようにも思える。2人が一緒に過ごす姿は想像しずらかった。


「さて、と。ジョーについて、もう少し詳しく共有しておこう……」


 一度話が落ち着いたところで、ドーナツをたいらげた串呂は、そう前置きをした。ジョーについて現在までで判明していることを事細かく話すつもりらしい。


「あと、この情報はここだけの話にしておいてほしい。どうも上層部も、政治家連中もきな臭ぇ。佐久間もアイツらをあんまり信用しすぎるなよ?」


 串呂は全員の顔をまじまじと見た。場に緊張が走る。佐久間も「なるほど……?」と興味深そうに耳を傾けようとしたのだが、腕時計を確認すると「おっといけない……」と途中で口をはさんだ。


「本当に申し訳ございません、もう出なくてはいけない時間のようです」


 彼はどうやら何か用があるらしく、「後でまた顔を出します。その時に詳しい話と打ち合わせをしましょう」と、またも深々とした礼を残して歩き去っていった。優音はふぅーっと吐息を漏らす。無理もないだろう、起きてからすぐに怒涛の情報量が押し寄せたのだから。


 それにしても……常に姿勢が正しく、品行方正な彼は、それでいて場を固くすることのない柔軟さも持ち合わせていた。


(あれが天才か……)

 

 優音は心の中で思う。そして、彼でも捕まえられなかった”ジョー”とは何者なのか……彼女は自分の中にあったうっすらとした奴の面影を浮かべつつ、熱心に串呂の話を聞くのだった。警察と奴との深い確執を。

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