妖精と姉がつなぐ物語

泡沫 希生

 リビングで、いつの間にか座ったままうとうとしていたらしい。


「まだ書いてたんだ、小説」


 降ってきた声に、私は慌てて身を起こして、反射的にノートパソコンを閉じようとした。すると、現れた別の手が閉じられるのを阻んできた。その手がキーボードに少し当たって文字を入力してしまう。

 「ごめん」と言いつつ、その手が慌ててパソコンを開いた。横を見るとそこに立って、手を伸ばしているのはやはり姉だ。


「別に書くの止めろって言ってないのに、閉じようとするから」


 だからといって、パソコンとキーボードの間に手を入れるのはどうなのか。

 もちろん悪気がないのはよくわかっている。昔からこんな感じで大雑把なところや調子の良いところがあるけれど、優しい自慢の姉だ。


「小説大丈夫そ?」

「たぶん……」


 私が頷くと、姉は台所に引っ込んでいく。

 姉が気になるものの、まだぼんやりとしている頭で、パソコンの画面に広がる、書き途中の小説を確かめた。


『廊下に差し込む光が嫌に眩しく思えm<<』


 被害は軽く済んでいた。要らない文字を消していく。

 ホッとしていたら、ハーブティーの匂いがしてきた。母が常備しているやつだ。

 台所から出てきた姉はマグカップを二つ持っている。一つを私の所に置いて、自分のマグカップを持って、テーブルの反対側に姉は座った。「ありがとう」と小さくお礼を言うと、姉は応えるように手を振った。


「それより、文消えたりしてなかった?」

「大丈夫」

「そっか良かった。でも、まだ小説書いてるなんて驚いたよ」

「うん」

「賞に応募とかしてるの?」

「うん」

「芽は出そう?」

「全然ダメ」

芽生めいという名前通りにはいかないか」

「そうだね」


 姉は不意に息を吐く。


「そこで頷いたらダメでしょ。あんたは相変わらず、自信がなさすぎるというか遠慮しすぎるというか」

「えっと。どうしたの?」

「ん?」


 姉はお茶を飲みながら首を傾げた。


「お姉ちゃん、今日の午後には帰るんでしょう? 寝なくて大丈夫?」

「久々の実家だからさ、ゆっくり寝れると思って、八時に寝たんだけど、なんか途中で目が覚めちゃってさ。早く寝すぎるのも良くないねぇ」


 パソコンの隅に表示される時計は、一時過ぎを知らせている。


「ていうか、あんた、何で自分の部屋で書かないの? 自分の部屋なら、私にちょっかいかけられずに済んだのにさ」

「寝る前によく書いているんだけど、時々集中できない時があって。そんな時は、今日みたいに場所を変えると捗るから」

「そこを私に見つかってしまったと、なるほど」


 葬式で何かとバタバタしていたから、姉とこうして落ち着いて話すのは久々だ。

 祖父が数日前に亡くなり、その葬式のために姉は実家に帰ってきてくれた。

 東京の大学に行き、そのまま向こうで働いている姉は忙しく、最後に帰ってきたのは二年前。帰省時に話すことは、地元のことや姉の仕事とか、そんなことばかりで、今気づいたけれど、私は聞かれない限り自分の話をしないから、そうか。今でも小説を書いていることさえ、姉には知らせてなかったのか。


 初めて小説を書いたのは九歳の時。今考えると、小説と言えるのかも微妙な代物だけれど、私はその時、書く喜びを知った。

 それから、中学の卒業文集に夢を「小説家」と書いて、高校二年の頃には小説サイトに投稿するようにもなり、新人賞の応募も始め、二四歳になるまで書いてきたものの、小説はだ。

 地元の大学に進学した私は、地元の小さな会社の事務として、実家を出るには心許ない給料をもらいながら、母と暮らしている。

 そんな生活をしながら、何にもならない小説を書き続けている。私の長く続く趣味。趣味から脱しない夢。


 才能がないのだ。単純に。

 それはもう、痛いくらいに理解している。

 小説サイトに投稿していると、自然に、他の投稿作品も目に入るから、たくさん読んできた。元から小説を読むのも好きだから。

 そして、私は知った。

 私くらい書ける人はたくさんいる。私よりも上手く書ける人は、もっともっとたくさんいるのだと。

 時に思う。それなのになぜ私は書くのか。

 賞に応募しても大体一次選考で落とされ、閲覧数さえ少ない私の小説は、きっと存在しなくてもいいものだ。

 有り難いことに、長く続けているから、私の小説を毎回読んでくれる方も少なからず存在する。けれどそれでも、物足りない自分もいて。どこかぽっかりと穴が空いていて。そんな自分が嫌でもあった。

 私の小説がなくなったところで、読んでくれている方たちの世界は変わらない。

 もしかしたら、最初くらいは、読めなくて残念とか、寂しいとか、そんなことを思ってくれるかもしれない。

 でもきっと、それだけだ。一週間経てば私の小説のことなんて考えなくなるだろう、一カ月もすれば、小説サイトを開いて私の名前がないことに、違和感も覚えないだろう。


 消そうと思えば簡単に消せる文字の集まり。結局、私が書いているのはそんなものに過ぎない。

 社会人になってからも、こんなことをしている自分が、正直嫌になってきていた。もう、やめてもいいんじゃないかって。簡単なことだ。退会ボタンを押せばいい。アカウント設定の所にある、そのボタンまで何度も行ったこともある。なのに。

 いつも、私の手は赤いそのボタンをクリックせずに、ページ上部の✕ボタンを押してページを消す。本当に情けない。




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