23 ただひとつ、願うこと
帰り道。駅へ向かう葵衣と別れ、日奈は自宅方面へと足を向ける。
その日、予定していた合唱練習は中止。
明日の特別講義後に、最後の練習を行うことになった。
(それにしても……これは通知切らないとやばいな)
日奈はスマホの画面に目を落とす。
帰り道のほんの数十分で、未確認の通知はすでに1000件を超えていた。
通知はすべて、SNSからのものだった。
教室で、吉光が提案したこと―――
それは、日奈が録音した音声を、SNSに投稿するというものだった。
「それは……アリかもな」
そう言って賛同したのは、蒼佑。
「あらぬ疑いにより暴行されたこと、記者が金で生徒にAIを探させていること……これらがうまく拡散されれば、報道や世間の風向きも変わるかもしんない。それに、こっちが証拠押さえてるってわかれば、例の2年ももう吉光に手出せないだろ」
蒼佑の言葉を聞き、クラスメイトも吉光の提案に賛成した。
日奈が録った音声を加工し、SNSにサブアカウントがある生徒数名に共有した。
その音声を一斉に、SNSに投稿する。
最初は、「リポストされた!」「閲覧数伸びてきてるよー」と騒いでいたA組の生徒たち。
しかし、それぞれの投稿が拡散され、徐々に通知が鳴り止まなくなり。
「先生が乗り込んでくる前に退散しようぜ」という話になったのだ。
通知を止めるため、歩きながら日奈がスマホを操作していると、スマホの画面が突然切り替わる。
(え、紘斗?)
紘斗からの、着信だった。
慌てて画面を操作し、通話を受ける。
「は、はい」
『あー……佐倉?』
「うん。どうしたの?」
紘斗との通話は、2回目だった。
突然のことに緊張して、心臓がばくばくと胸郭を揺らす。
『もう、家?』
「ううん。もう少しで着く、けど……」
『ちょっと話せない?』
どうしたんだろう―――
紘斗と2人で会えることが嬉しい反面、一抹の不安も感じる。
その想いを押し隠し、待ち合わせの場所を決めて、日奈は通話を切った。
待ち合わせ場所は、日奈と紘斗の家の中間にある、落ち着いた雰囲気のカフェ。
……のはずだったが、店の前に着いてみると、扉には「臨時休業」の札が掛けられていた。
「あれ? 店、休み?」
「そうみたい」
ほぼ同時に到着した2人は、思わず顔を見合わせ、肩をすくめて笑い合った。
どこかゆっくり話せる場所は……と、日奈は頭の中に地図を拡げる。
思い出したのは、カフェの裏手にある高台の公園。少し歩くが、夕暮れにはぴったりの場所だ。
「こんなとこに公園あったんだな」
「あんまり人来ないから、穴場みたいなとこかも。いちばん上まで登ってみよっか」
2人は、丘の上に立つ展望台へと向かう。
らせん階段を40段ほど登ると、ようやく最上部に辿り着いた。
「おー! すげぇ景色! 学校も見える」
「夜景もきれいなんだよー。夜7時で閉まっちゃうけど」
展望台の柵に寄りかかり、2人は並んで街を見下ろす。
傾き始めた夕陽が、街の輪郭を金色に染めていく。
「SNSの反応……すごかったな」
「うん。作戦は……成功ってことなのかな」
みんながSNSに投稿した音声に対しては、様々なコメントが届いていた。
批判的なコメントももちろんあったが、多くは加害者や買収した記者に向けられた非難の声。
そして、むやみに疑いを向けられる生徒たちに対する、同情や共感の言葉も多くみられた。
「みんなの気持ちは……ちゃんと届いたと思うよ」
「そうだね。……みんなの投稿のコメント見てるだけで、泣きそうだったもん」
投稿に添えられた、A組のみんなの言葉ひとつひとつが、胸に沁みた。
『AIに関する報道の過熱に疲弊しています。私たちを放っておいてくれませんか』
『これ以上クラスメイトが傷つくのを見たくない』
『誰がAIでもいい。クラスメイトを疑いたくない』
『私たちはもう、AIさがしをしたくない』
これこそが、みんなが出した答え―――1年A組の声明だった。
出口の見えない不安や苛立ち、届かなかった願いが、匿名とはいえようやくかたちになって外の世界に届いたのだ。
すべてを理解してもらうことはできないだろうし、1年A組を取り巻くAI騒動が終わるとも思えない。
それでも、"AIさがし"を辞めると宣言できたことは、1年A組にとっての確かな一歩だった。
吹き上げる冷たい風が、頬をかすめる。
展望台に置かれた小さなベンチに、2人は並んで座った。
日奈は、ためらいがちに口を開く。
「……紘斗、なんかあった?」
突然の呼び出しの理由を、まだ聞けていなかった。
日奈の問いに、紘斗はおどけた様子で答える。
「いや……呼び出しといて申し訳ないけど、マジでなにもない」
「あはは、なにそれ」
日奈が声を上げて笑うと、紘斗もつられるように笑い返す。
足元に舞い込んだ木の葉に目を落とし、紘斗は静かに息を吐く。
「ただ、会いたかったんだ」
言葉の意味を理解するよりも先に、日奈の心臓が飛び上がった。
鼓動が一瞬で速くなり、思考が追いつかないまま、全身が熱に包まれる。
「家に着いて……でもなんか家入りたくなくて。佐倉と話したいなーと思って連絡した」
他愛もないことのように、しずかに紡がれる言葉。
どうしようもなく嬉しくて、恥ずかしくて。そして、やっぱり泣きそうになる。
「だめだった?」
きっと、日奈がどう答えるのか、紘斗はわかっている。
わかっていて聞いてくるのだから、紘斗は案外あざといなと、日奈は思う。
「だっ…………だめ、じゃ……ない」
そして、紘斗の期待通りの言葉を返してしまう自分。
そんな自分に呆れながらも、こんなやり取りさえ日奈は嬉しく感じてしまう。
「そう言ってくれるから、佐倉に甘えちゃうんだよな」
くしゃっと笑うその笑顔に、日奈の胸がキュンと締め付けられる。
心の奥が、じわじわと熱くなる。
(あぁ、やっぱりわたしは、この人を―――)
想いが溢れそうになり、喉の奥がかゆくなる。
本当の気持ちを伝えたくて、苦しくて。深く空気を吸いこむことで、日奈はなんとか気持ちを落ち着かせる。
「不思議だよな。俺、いつのまにこんなに佐倉に心開いたんだろ」
日奈と過ごした時間を、交わした会話を、忘れてしまう紘斗。
紘斗にとっては、『記憶もないうちにいつのまにか仲良くなった』くらいの感覚なんだろうか。
「……紘斗に気付かれないように、魔法かけてたの」
「どんな魔法?」
「わたしに心を開いて、なんでも話すようにっていう魔法」
「あはは、なんだよそれ!」
誤魔化してふざけてみると、紘斗もそれに乗っかり笑顔を見せる。
紘斗の表情に、日奈の顔もほころぶ。
「魔法のかけ方、教えてよ。俺も、佐倉に心開いてほしいし」
ふと、2人の視線が絡んだ。
心の奥底を覗くみたいに、紘斗はじっと日奈を見つめる。
「……心開いてないように、見える?」
「だって、俺と話すとき……笑ってるのに、泣きそうな顔してるから」
紘斗はちゃんと、気付いていたのだ。
日奈の心の奥に根を張る、悲しみと不安に。
「ほら、また泣きそうじゃん」
「これは……不可抗力! 泣き虫なだけ!」
「え~」
無理に笑って見せながら、日奈は自分の頬をおさえた。
取り繕ったところで、紘斗にはすべて見透かされているだろうけど。
「笑っててほしいのにな、佐倉には」
独り言のように呟き、寂しそうに笑う紘斗。
その表情に日奈は、切なく、息苦しく感じる。
自分の想いを言ってしまいたい―――飲みこみ続けた、たった二文字の言葉を、口にしてしまいたい。
でも言えば、それがトリガーとなってすべてが終わってしまうかもしれない。
そう思うと、本心はただ澱みのように、心の奥底に沈めておくしかない。
「じゃあ紘斗、面白いこと言って笑わせて」
「それは無理。そういうセンス皆無だから」
「断るの早っ!」
「言ったろ。日本語ニガテだって」
冗談めかしたやり取りが、少しだけ日奈の心を軽くする。
すると紘斗は姿勢を正し、思い立ったように口を開いた。
「じゃあ、今度デートしよう」
「でっ……?!」
不意をつかれ、日奈は思わず声を上げた。
また冗談かと思ったが、紘斗はいたって真面目な様子だった。
「デートっつーか、佐倉が行きたいとこ行こ。好きなとこいけば、笑ってられるっしょ」
明確な言葉は、もちろんない。
それでも日奈は、紘斗から向けられる確かな想いを感じていた。
日奈ははにかみながら、「うん、約束」と答えた。
淡い琥珀色の空は、しずかに藍へとにじんでいく。
時間を気にしながらも、2人のおしゃべりは続いていた。
「この前、読んだよ。『平成の少女漫画』」
「え、うそ! なになに?」
「『天使なんかじゃない』ってやつ」
「神チョイスすぎ……!! 泣いた? 感動した?」
「くっそ泣いた。3回泣いた」
「あはは! 最高!!」
「影響受けすぎていま『Stand by me』練習してる」
「ギターで?! やばい、聴きたいー!」
6時を告げる音楽が鳴り響く頃には、空はすでに茜を手放し、群青の気配があたりを包みはじめていた。
日奈が、「あ!」と声を上げる。
南の空に、星がひとつ流れたのだ。
「え、どこ?」と空を見上げながら、日奈に肩を寄せる紘斗。
触れあう肩に身体を火照らせながら、日奈は願う。
(どうかこのまま……本当のことが知られることなく、ずっと一緒にいられますように)
冷たい風も気にならないほどに、日奈の心はただただ、温かかった。
展望台の閉門時間となり、2人は螺旋階段を下りた。
日奈が公園のトイレに行っているあいだに、紘斗が自販機で暖かいお茶を買ってくれた。
そしていつものように、自宅前まで送ってくれた紘斗。
日奈は、自転車に跨った紘斗の背中を、見えなくなるまでずっと見つめていた。
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