第15話

 新皇帝の即位から二年ほどは、大きな災害もなく平穏に過ぎた。


「梓丁、このあと時間はあるか?」

「陛下のお召しとあらば、時間などいかようにもやりくりいたしますが」

 紋切り型の返答に、皇帝蒼斗は苦笑したものの、そこで引き下がりはしない。

「では、ついて来い」

 そう言って、清涼殿の奥の妻戸を開けた。

 その先に見える御簾の奥にあるのは、皇帝個人の寝所である夜の御殿おとど

 この2年間蔵人頭として皇帝に近侍した梓丁は、この部屋の御簾の手前までは何度も出入りしているが、御簾をくぐったことはない。

 蒼斗は足を止めることなく御簾をくぐり、御帳台の横を通ってさらにその奥の扉を引き開けた。

(え……?)

 それは螺鈿や金箔で美しい紋様の描かれた重々しい扉。その扉の存在を、梓丁は知らなかった。

 後宮へ続く扉かと思いきや、その先は壁板に囲まれた薄暗い細殿のようだ。

(どこへ……?)

 梓丁の疑問に頓着もせず、蒼斗は先へと進んでゆく。梓丁は遅れないよう後を追うしかなかった。

 細い通路の壁板はやがて土壁へと変わり、曲りくねってさらに狭くなってゆく。

 ひんやりと肌を刺す冷気。

 天井に点在する明かり取りからのわずかな光だけが、この怪しい通路を現実のものなのだと認識させてくれていた。

 やがて天井の明かり取りはなくなり、前方に光が見えた。

 光の漏れる木戸を、蒼斗が押し開けた。


 世界が拓けた。そう思った。

 そこには白銀の世界が広がっていた。


 頬をなでる冷たい風。

 眩しさに目が慣れると、自分たちが白木の八角堂に通じる細殿に立っていたのだとわかった。

 外は美しい雪景色。その向こうにそびえる雪の山々は、おそらく帝都の北に位置する北玄武連山だ。

「ここは……」

 内裏からこんな場所に出る通路があろうとは、梓丁は想像したこともなかった。

 有史以来、戦もない帝都だが、これは皇帝の緊急避難用の秘密の通路なのだろうか。それにしては、白木の八角堂は優美で繊細だ。

「これが、夢殿ゆめどのだ」

 蒼斗が八角堂を見上げて言った。

 その名は、梓丁も耳にしたことがある。皇帝が見る予知夢は時も場所も選ばないが、あえて詳細を夢で知りたいとき、歴代皇帝は夢殿に籠もって予知夢を待つのだという。

 そう思い至り、梓丁はギョッとした。

 ここは皇帝にのみ立ち入りの許された聖域。臣下が足を踏み入れて良い場所ではない。

 青褪めて後ずさりする頭中将を、皇帝は嬉しそうな笑みを浮かべて見やる。

「おまえでも、そんな顔をするんだな」

 どんな顔だと聞き返す余裕もなく、梓丁は声を震わせる。

「陛下、これは禁忌です」

「そうか? ここにほかの者を連れてきてはいけないという法など、聞いたことがないぞ」

「法の有無ではない。前例と、神を畏怖する気持ちの問題だ」

 敬語も忘れ、梓丁は蒼斗に説いた。よもやまさか、皇帝にこんなことを教え諭す必要があるとは考えたこともなかった。

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