帝都の闇に月は微笑む
宮乃崎 桜子
1 三條西家のできそこない
第1話
離れの木戸が、カタンと鳴った。
「お膳をお下げいたします」
勝手口から、使用人の聞き慣れた声がした。
「ありがとう」
礼に対する返事はなく、引き戸の閉まる音がした。
さっきまで夕餉を済ませた膳が置かれていた床に、急須と茶碗の乗った盆が置かれていた。
急須にはお茶ではなく飲み水が入れられている。そうしてくれと、
美月はその盆を部屋に運び、小さな
それから、床の間の手前に置かれた小皿の水を縁側から捨て、急須の水を入れる。
うにゃ と可愛い声がして、小柄な猫が美月の白い足袋に頭を擦り付けた。
「だめよ、ミィ。水が零れてしまうでしょう」
美月が皿を置くと、猫は入れ替えられたばかりの水を舐めるように飲んだ。
可愛らしい猫の小さな頭を、美月は指先でそっと撫でる。
やわらかな手触り。愛おしい。
今の美月には、元は野良猫だったミィだけが唯一の家族のようなもの。
美月は、子爵家である三條西家の次女として生まれた。
兄弟姉妹は長女の
古くは三條侯爵家の分家であった三條西家。この家の娘には、代々、悪しきモノを祓う
美月の二歳上の姉の美子も、幼い頃から悪霊や雑霊を視て、それを祓うことができた。
だが、美月は霊を祓うどころか、視えたことさえもない。
――三條西家のできそこないのお
親戚ばかりか帝都中の華族たちから陰口でそう呼ばれているのだと、美月は心ない使用人たちの口から聞かされていた。
母は美月と浩一郎を産んだのち、産後の肥立ちが悪く亡くなっていた。
忙しい父は美月にはほとんど構ってくれなかった。それでも、仕事の合間に帰宅して美子や浩一郎と言葉を交わす父の姿を、美月も間近で見ることができた。
だが、その父が他界してしまうと、美月は父の葬儀に参列することも許されないままこの離れに軟禁されたのだった。
『悪く思わないでね。お父さまの遺言なのよ』
姉の美子から、そっけなくそう言い渡された。
(わたしは、三條西家の恥だから……)
破魔の力のない娘。
父亡き後、家を守らねばならない長男長女の足を引っ張らないように、ここに閉じ込められたのだ。
哀しいけれど仕方のないこと、美月はそう思い、納得している。
(それに、お姉さまはわたしを憎んでいらっしゃるから)
幼い頃の記憶だが、姉が泣きながら美月を睨んで言ったことがある。
――あなたを産んだから、お母さまは亡くなったのよ!――
――あなたなんか、いらない! 生まれてこなきゃ良かったのに――
美月と一緒に生まれた浩一郎は長男だ。三條西家を継ぐべき大事な男児。
美月はそのオマケだ、しかも破魔の力さえない。
もし生まれたのが双子ではなく浩一郎ひとりだったなら、母は命を落とさなかったかもしれない。
ほうっと細い息を吐き、胸の痛みを追い出す。
考えても仕方がない。
後悔しても、母はもうかえらないのだから。
和室が二間あるだけの離れは、雨戸があるほかは鍵もなく、外に出られないわけではない。
それでも、美月は極力外へは出ずに暮らしていた。
姉と顔を合わせるのが怖かった。
それに、迂闊に庭に出て来客に姿を見られるようなことがあれば、姉に迷惑をかけるかもしれない。それだけは避けたいと思っていた。
仲の良い姉妹とは言えないが、それでも美月にとって姉は肉親だ。心のどこかで慕ってさえいる。
浩一郎は学校の寮に入っているので、父亡き今この家を仕切っているのは姉の美子だ。
(私はお姉さまのお手伝いもできないのだもの。せめて足手まといにならないよう気をつけないと)
とはいえ、夜ならばこんな古い屋敷を訪ねてくる客も滅多にいない。
美月は雨戸を開け放ち、縁側に立った。
庭の湿気を含んだ、かすかな夜風。若葉の匂い。
満月の光が、煌々と降り注いでいる。
「ほら、きれいなお月さんね、ミィ」
猫を抱き上げて、夜空を見上げる。それだけで心が穏やかになる。
寂しいけれど、平穏な日常。
こんな日々がずっと続くのだと思っていた。
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