なんでも知ってる妖精さん

八方鈴斗(Rinto)

なんでも知ってる妖精さん


「ママー、ひとごろしは、つみにとわれるんだよ」


 ニュースを流し見しつつ洗濯物を畳んでいた私はぎょっとした。

「え……ゆうくん、今なんて?」

「だからぁ、ひとごろしは、つみにとわれるんだって」

 物騒な言葉が、三歳児の幼い声で辿々しく紡がれる。

 子どもの成長は目を見張るものだ。

 ほんのちょっと前は「あれもやだ」「これもやだ」と繰り返しては、だけど「やだ」の理由さえも上手く説明出来ず、それをもどかしがってぎゃんぎゃん泣いていた。

 あの日々が嘘だったみたいに、息子はどこかでなにかを学んでくる。

 教育上良いことも、そうでないことも、一緒くたに。

「……ゆうくんは物知りだね。どこでそんな事聞いてきたの?」

「えっとねえ、それはねえ」

 褒められて得意げになった息子は、

「ぼくのねえ、妖精さんが、おしえてくれたの!」

 してやったりなまん丸い笑顔を浮かべ、そう言った。

 ああ、と思う。

 最近は決まり文句のようにこの〝妖精さん〟が出てくる。

 これもちょっと知恵がついてきたが故の行動なのだろう。

 あれしろこれしろとうるさい保護者が自分の発言で戸惑うのを見て面白がる悪戯心か、もしくは今の語彙では説明するのが難しいようなことを全部まとめて〝妖精さんから聞いた〟とすることで解決する横着心なのか。

 きっとそのどちらか、もしくは両方。

「そっかあ。……じゃあさ、ゆうくん、聞いていい?」

「うん、いいよ」

「今の誰から聞いたの? パパ? ――いや、さすがに違うか」

「ぶー。パパじゃない、ちがうよー」

「だったらそうね……、保育園の先生とか、お友達から?」

「ぶぶー。せんせいも、ともだちも、ちがうー」

「あ、わかった。ユーチューブ? 見せ過ぎるの良くないかなあ」

「ぶぶーぶぶーぶぶー! ちがうちがう。だからねえ」

 息子は大きな黒い瞳を弓なりに歪め、それはそれは楽しそうに、

「妖精さんがね、おしえてくれたの」

「そう……妖精さんねえ……。ゆうくん、ちょっとお話しよっか?」

 私は洗濯物を畳む手を止め、膝立ちでその目線に合わせる。

 怒られそうな雰囲気を過敏に感じ取った息子はおずおずと、

「うん、……いいけど」

「ママがいつも言ってること、覚えてる?」

「……うそついたりごまかしたりすると、すてきなおとなになれない」

「うん。えらいね。よく覚えてる――それじゃ、さっきの言葉は誰に教わったの?」

「……妖精さん、……おしえてくれたもん」

 私は腹の中の怒りを抑えるべく、深く長い溜息をついた後に、

「そう……それじゃその妖精さん、どういう人なの?」

 えーっと、えーっと、と忙しなく視線を彷徨わせた後に、

「あしがよっつで、ほーほーみたいで、わんちゃんなの。で、にょろにょろしっぽ!」

「……なにそれ? 本当に、人じゃないの?」

「うん。だから、妖精さんなの。ぼくになんでもおしえてくれるの」

 この年頃にはよくある、そう聞いたことがある。

 イマジナリーフレンド。

 想像上のお友達の〝妖精さん〟が、これまで息子がどこかで聞き齧った知識を整理して、〝妖精から聞いた〟という形で出力しているのだろうか。それならそれでいいのだけれど。半分は興味本位で、もう半分はからかう気持ちで尋ねる。

「それじゃあ、どうしてママが怒っているのか、妖精さんに聞いてみて」

「うん、いいよ! ねえねえ、妖精さん……」

 息子は小芝居付きで見えない何かと内緒話をしはじめた。

 これで息子が「教育によくない物騒なことを言ったから」という答えが返ってきたら、息子も私の想像以上に成長しているということで、それは喜ばしいことだ。

「妖精さんから、教えてもらったよー」

「なんて言ってた?」

「ママがおこってるのはねえ」

「うん」


「パパをころしちゃったの、ぼくにばれたかもって、おもってるからでしょ」


 まったくこの子は、と思う。

 先程よりも深く、先程よりも長い溜息。

「ねえ! あってるでしょ? ねえねえ、ママってばあ、ねえ!」

 べたべたとまとわりついてくる小さな手を、私は軽くあしらう。


 本当にこの子は、見えているのだろうか。

 なんでも知っている妖精さん、とやらが。


 私は色々なものを天秤に掛けて考えた。

 それが私の人生の平穏にどのような影響を与えるのか。

 熟慮に熟慮を重ねた上、そして決めた。

「ねえ、ママ? 聞いてる? ママってば!」

 私はそっと、ベランダの戸を空ける。

 ひんやりとした風が勢いよく室内に吹き込む。

 街の明かりを軽々見下ろせる高さ。あのクソ男は稼ぎだけは良かったから。


 息子だけに見える、なんでも知ってる妖精さん。


 それは妖精でなく、悪魔なんじゃないかと、私はそう思う。

 だってそうだろう。なんでも教えてくれたとしても、知ってしまったことで起こりうる悲劇については教えないのだから。

 私は上っ面だけ満面の笑みを形作って、息子をベランダへと手招きする。


 お前のために、わざわざ陰で排除してやったのに。

 教育にすこぶる悪い、浮気性のあのクソ男を。

 その恩を、こんな形で返すだなんて。


 私は息子の首根っこを掴み上げ、

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なんでも知ってる妖精さん 八方鈴斗(Rinto) @rintoh0401

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