家事の妖精

秋山 楓

家事の妖精

「ふぁ~。さて、そろそろ風呂に入るかな」

 背筋を大きく伸ばした大介は、テレビの電源を消して立ち上がった。

 浴槽にお湯を張るため、風呂場へと足を運んだのだが――、

「あれ、入ってる?」

 湯は満たされ、適温に沸かされていた。

 大介は一人暮らし。ワンルームのアパートに住んでいる。

 そのため自分以外の誰かが風呂を入れることなど、ありはしないのだが――、

「ま、いっか」

 湯気が立ち上る浴室を怪訝そうに見回しながらも、きっと無意識のうちに入れていたんだろうと思い、大介は気にせず入浴を始めた。

 風呂から出た後、久しぶりに一杯やるかと冷蔵庫を開ける。

「ビール、ビールっと……あれ? 増えてる?」

 缶ビールが思ったより多かった。

 確か残っていたのは一本だけだったはず。いや、さっき買ってきたんだっけ? なんかそんな気がしてきた。

 そう思い込んだ大介は、気にせずプルタブを引いた。

「そういえば……」

 ビールを飲みながらシンクを一瞥する。

 夕飯で使った食器類が、きれいに片付いていた。

 食べた後すぐに洗ったんだっけ? 覚えてないけど。

「あ、しまった。明日提出期限のレポートがあるんだった」

 慌ててリビングへ戻り、ノートパソコンを開く。

 一応、下書きは済んである。あとは清書するだけ。多少は酒が入ってても問題ない。

 しかし――、

「終わってる?」

 レポートは見事に完成していた。

 きっと知らず知らずのうちに自分でやったのだろう。

 そう判断した大介は、残っていたビールを飲み干し、早々に床に就いたのだった。



「……ってことが昨日あってさ」

「怖ッ! あんたん家、絶対何かいるじゃん!」

 大学での講義の合間、大介は女友達である由美に相談していた。

「何かいるって言っても、妖精の類だと思うんだけどなぁ」

「いやいや、幽霊でしょ。亡霊でしょ! 絶対に悪い霊だって!」

「えっ、幽霊!?」

 途端、大介の顔が恐怖に怯え始めた。

「どうしよう。俺、幽霊ダメなんだって!」

「ええい、デカい図体して女々しい奴め! それでも男か!?」

「幽霊相手に男も女も関係ねえよ! ヤバい、帰れなくなった。由美ぃ、今夜だけでもいいから俺ん家に泊ってってくれよぉ」

「いやよ! 今の話は部屋に連れ込む口実で、何か変なことするつもりでしょ!」

「しない、絶対しないから! 頼む、この通り!」

「そこまで否定されるのも逆にムカつくわね」

 結局、由美は大介の家で一泊することになった。



 夕方。大学の講義が終わった後、二人は大介のアパートへ向かった。

 おっかなびっくり二の足を踏む大介と、堂々とした足取りの由美。

 そんな彼女の背中に隠れるようにして歩いていたためか、大介はふと疑問を抱いた。

「あれ? 由美、俺の部屋の場所って知ってたっけ?」

 アパートに到着するやいなや、迷わず階段を上ろうとする由美に声を掛ける。

 彼女を部屋に招待したのは、これが初めてのはずだ。

「203でしょ? 前に言ってたじゃない」

「そうだっけ?」

 首を捻るも、すべての会話を覚えているわけではないので、気にしないことにした。

「ちょっとトイレ借りるね」

 そそくさとトイレに入っていく由美を見て、大介は違和感を覚えた。

 なんでトイレの場所がすぐに分かったんだ?

 ま、ワンルームの間取りなんてどこも同じようなものかと、一人で納得した。

 そんなこんなで迎えた夜。特に恐ろしい出来事があったわけでもなく、二人は普通に寝ようとしていた。

「由美、本当に床でいいのか?」

「あんたの匂いの付いたベッドなんて入りたくないわよ。それより何か変な気でも起こしたらマジで殺すからね」

「はいはい」

 そう言うなら別にいいかと、部屋の明かりを消した。

 今まで怯えていたのが嘘みたいに、大介は消灯早々いびきを響かせる。

 その音が煩わしかった――わけではなく、大介の顔を覗き込む由美の顔は嬉々としていた。

「うふふ~。可愛い寝顔ね。ビールの買い置きとレポートの清書、私の仕業だって全然気づいていないようだったし」

 由美は大介のストーカーだった。

 実は同じアパートに住んでるし、この部屋の合鍵も作っていた。もちろん盗聴もしている。

 布団に顔を押し付けて深呼吸。そしてもう一度だけ大介の寝顔を眺めると、

「さて、と」

 何かを決意したように立ち上がった。

 気配を感じて振り返る。テーブルの上に小人が立っていた。

 灰色のエプロンを身に着け、三角巾を被り、小さなはたきを手にしている。

 彼女は家事の妖精シルキー。手の平に乗るサイズではあるが、今は懸命に由美を威嚇していた。

 妖精のシルキーではレポートを書いたりビールを買ってきたりはできない。

 逆に人間の由美では大介に気づかれないよう風呂を入れたり食器を片付けたりはできない。

 そう、この部屋には大介を世話したい存在が二つあったのだ。

「ようやく現れたわね、ドチビ。悪いけど、大介のお世話は私だけで十分なの」

「キィィィィ!」

 睨み下ろす由美と、金切り声を上げるシルキー。

 お互い同時にファイティングポーズを取る。

 今夜、家主の知らないところで、ストーカー女と家事の妖精による仁義なき戦いが始まろうとしていた!

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