偶然の共犯
月夜 宴
第1話:普通の日常
高橋誠は、普通の人だった。少なくとも、そう見えるよう努力してきた。
三十六歳、中堅広告会社の営業部に勤務し、それなりの実績を残してきた彼は、同僚からも「頼りになる高橋さん」と言われるような存在だった。
趣味は週末の軽いジョギングと読書。
特別な夢や野望があるわけでもなく、それなりに充実した日々を送っていた。
ただ、子供の頃から、彼には誰にも言えない癖があった。
人が困っている場面を見ると、なぜか心の中で「こうしたらどうなるんだろう…」と空想をしてしまうこと。
子供なら描く人は多いかもしれない。興味はたいてい不謹慎ななもの。
そういうものは、だんだん大きくなるにつれ薄れていくもの。
でも彼はテレビの事故映像や災害報道にも妙な関心を持つようになった。
もちろん、そんな自分の内面を人に見せることはなかった。社会生活を送るために、彼は「普通の人」を演じることを学んだのだ。
妻の真由美とは大学時代に知り合い、卒業後に結婚。二人の間には小学四年生になる娘の美咲がいた。毎朝、高橋は美咲の頭を撫でてから出勤する。それが彼の小さな幸せだった。
「行ってきます」
2022年2月15日、高橋はいつものように家を出た。寒い朝で、息が白く凍る。彼は最寄り駅まで歩き、いつもと同じ時間の電車に乗り込んだ。
車内は既に混雑し始めていて、なんとか座席を確保した。
スマホを取り出し、仕事のメールをチェック。
クライアントからの修正依頼。昨日の夜中に送られてきたくせに、朝一対応を求めてくる文面に苛立ちを覚えた。
「こっちにも生活があるんだよ…」と心の中で毒づきながら、適当な返信を打ち、送信した。
車窓から見える景色はいつもと同じ。高層ビル、住宅街、小さな公園。何年も見続けた光景は、もはや風景というよりも壁紙みたいなものだ。
視界に入っていても、心には届かない。
「はぁ…」
気がつけば、深いため息をついていた。最近、何かが足りないと感じる。何だろう?
心を揺さぶるもの、日常からの脱出、冒険…?分からない。ただ毎日が薄っぺらくリアリティが薄く感じる。
ニュース系のアプリを開くと、トップに銀行強盗事件の速報が流れていた。昨夜、都内の銀行での出来事。
犯人が人質を取って警察と対峙する様子も記事の動画で配信されている。
高橋は思わず食い入るように画面を見た。映像の中では、覆面の男が銀行内で人質を取り、警察と交渉していた。
なぜだか、その緊張感が彼の心を掴んで離さない。子供の頃に感じた、あの感覚がじわじわと蘇ってきた。
「どうなったんだ…」反射的にスクロールして続きを読む。
「犯人は逮捕。人質一名が心臓発作で死亡」
動画を繰り返し再生しながら、高橋は自分でも説明が難しい変な感覚に包まれていた。
恐怖?興奮?両方が混ざり合ったような感情だった。自分でも理解できない感覚に、少し怖くなった。
「次は新宿、新宿です」
事務的なアナウンスに我へ返り、スマホをポケットに入れる。立ち上がってドアの前に立ったが、あの映像が頭から離れなかった。
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