短編②「初恋」
賀来リョーマ
第1話「初恋」
「紗千香、それは本当なのか?」
いつかはこんな日が来る、そう覚悟はしていた。俺は刑事として、いやその前に一人の父親として、彼女と向き合わなければいけない。
今、俺は妻の紗千香と、我々家族にとって過去最大ともいえる難問について話し合っている。ただ、妻の表情は涼しげだ。刑事である俺ならば、こんなこと解決できて当然とでも思っているのだろうか。
確かに、俺はこの件に尽力するつもりだ。しかし、普段担当している事件とは毛色が異なり、今回はなかなか骨が折れる事件だ。
だが、必ず突き止めてみせる。
「俺は犯人を必ず見つけ出す。」
「は?あんた何言ってんの?」
「だって、結菜に、、、好きな人ができたんだぞ!?!?」
「良いことじゃない。」
窓の隙間から入り込んできたハエが、俺の頬にとまった。慎重にティッシュを手に取り、『彼』を優しく包み込む。傷つけぬよう、彼が入ってきた窓から解放した。
「なぁ、俺はどうすればいい?」
「もういいから、手洗って、ご飯食べなって。」
「あ、あぁ。」
「雄一が心配すべきは、まずは自分の仕事でしょ。今追ってる変態男、ちゃんと捕まえてよね。」
残業で疲れた身体に、味噌汁が染みわたる。今日の夕飯はブリ大根。娘が「この世で一番好き」と豪語する料理だ。常温で食べる煮魚も、味があって俺は好きだ。娘の好意がこの鰤に向いたままであれば、どれだけ幸せだっただろう。
白米を噛み締めながら、妻へと視線を向ける。何やら幸せそうにカタログギフトの冊子を開いている。なぜ、この緊急事態であんなにも呑気にしていられるのだろうか。
妻は、本当に「娘の初恋」を祝福しているのか?
だとすると今日の献立は、初恋への祝い...。
「なぁ、紗千香。」
「なによ、そんな神妙な面持ちで」
「結菜は、『好きな人いるんだ』しか言ってなかったよな?」
「うーん、そんなところまで覚えていないけれど...。たぶん、そうなんじゃない?」
「だとすると」
思考を巡らす。現実的思考と希望的観測が入り混じるのを自分でも感じる。
だが、そんなこと刑事ではよくある事だ。「こうあって欲しい」という考えは捨てろ。その思考は自らを事実から遠ざけることになる。
「紗千香」
「ん?」
「結菜の初恋相手って、俺じゃないか?」
ここ数日、眠りが浅い。娘が気になって眠れないのだ。今も隣で妻が気持ちよさそうに寝ている。なぜそんなに深く寝られる?一家の危機だぞ。とはいえ、いつも家事をしてくれる妻には感謝の気持ちしかない、ありがとう。
俺の考えを伝えた時の、紗千香の表情を思い出す。あれは人が何かを諦めた時にする顔だ。
俺だって、分かっている。
娘の初恋の相手は、きっと...。
「ママ、行ってきます。」
「はーい。あ、結菜!昨日やってた宿題置いてってるよ。お母さん今手濡れてるから取りに来て。」
「あーやばいやばい!」
結菜が慌ててリビングのローテーブルに漢字ドリルを取りにくる。そんな娘を横目に、俺はいつものように背筋を伸ばし、朝食をとっていた。いつも朝ごはんを準備してくれる妻がいるというのは、本当に幸運なことだ。こういうことを当たり前に思うような男にはなってはいけない。そんなやつは男ではない。
「結菜、他には忘れ物はないか?」
「あーうん!多分ないと思う。行ってくるね、パパ。」
「気をつけてな。」
元気いっぱい、家を出た。
“あなた...!あなた...!”
「雄一!」
「っは...!すまん紗千香。」
「早く病院に行かないと。」
「そ、そうだな。ひとまず仕事は俺の部下に任せた、深川なら問題ない。」
「今は刑事は関係ない、でしょ?はやく行こう。」
「あぁ、そうだな。」
病院へ向かい車を走らせる。見えているものに違和感はないのに、視界が狭く感じる。ハンドルを切るたび、強く握りしめる度、夢の中へと1歩ずつ進んでいくような感覚に襲われる。
狭くなった視界だが、紗千香の心配そうな表情だけはハッキリと捉える。まるで、夢に逃げていく俺の脚にしがみ付くかのようだ。
こんな時に、なぜか娘の初恋の相手について考える。父親としてなのか、刑事としてなのか。いずれにせよ、そんなことに費やす時間などないことは分かっているのに。
「雄一!みえたよ。」
「あぁ、分かってる。」
家から最寄りの病院まで車で5分程度、少々飛ばしたが。
「は?別の病院?」
紗千香の苛立ち方に、素の性格が滲み出ている。妻は言い方がキツかったことにすぐに気づき「すみません」と小さく目の前の看護師に謝った。
どうやら、運び込まれた患者はすぐに総合病院へと移されたようだ。
「集中治療室って...。」
紗千香が顔を両手で覆う。だが、俺たちも向かうほかない。
「その病院はどちらに?」
看護師から病院の場所を聞き、俺たちが向かうこともその病院に連絡してもらった。
さっきはハンドルを強く握りしめていた手も、今は少し震えている。心臓が重い。目的地に近づくにつれて、少しずつ鼓動が早くなるのを感じた。
「何か嫌な予感するね...」
「大丈夫だ、そんなこと言うな。」
本当に言わないでほしかった。なぜなら、俺も同じことを思っていたからだ。俺だけじゃないと分かると、余計に不安になる。
総合病院に着いた。俺たちを待っていてくれたのか、看護師、次の看護師と次々に案内される。ポケットの電話が鳴っている。きっと部下からだ。しかし今は優先すべきじゃない。
やっと、彼女のもとまで辿り着いた。
「む、娘は......!!」
「ひとまず一命をとりとめました。ですが...もう少しここでお待ちください。」
ふと妻の表情を窺う。ほんの少しの安心を感じるが、不安が大半を占めているようだ。
結菜の命が助かったと聞いて、俺は少しずつ冷静さを取り戻した。まだ何があるか分からないが、生きてさえいればどうとでもなる。視界も開けてきたように感じる。
一服しに、病院の外に出る。煙草を一本取り出し、ライターを取り出そうとした瞬間に、再びケータイ電話が鳴った。部下の深川からだ。
「唐沢だ、どうした?」
「あ、唐沢さん。やっと繋がった...!あの件ですが、」
「今、娘が大変なんだ。分かってるだろ?今日はお前に任せたんだ。」
「はい、それは分かってます!ですがどうしても報告しなければいけないことが」
「ん?なんだ?」
「追ってる犯人の素性が掴めました。そして、奴の行動を遡って調べていたんですが...」
「なんだよ、早く言え。」
足早な音が耳に入る。
「雄一!結菜の様態が!」
少し遠くから紗千香が俺を大声で呼びかける。
「分かった!すぐいく!深川、またあとにしてくれ。」
「は、はい。」
結菜は、それから数時間後に意識を取り戻した。0時を回っていた。娘は、震えながら上体を起こそうとする。
「結菜、無理はするな。」
「雛村さん...?」
「ん?お父さんだぞ。今、結菜はとっても疲れているんだ。またゆっくり寝なさい。」
「うん。」
そうして娘は眠りについた。妻も隣で寝てしまった。看護師さんに頼んでブランケットを借り、妻の方にかけて病室を出た。
スマホを取り出し、部下から来ていたチャットを確認する。
”唐沢さん、お疲れ様です。すみません、大事なときにお電話ばかりしてしまいました。ただ、娘さんにも関わることなので、お伝えしておかなければと思いまして。今、我々が追っている誘拐犯ですが、名前は、『雛村彰人』といいます。”
急に、心臓を握りつぶされる感覚に襲われる。
”唐沢さんの娘さん、『結菜ちゃん』にも犯行が及んでいることが判明しました。今回の交通事故は、ヤツの『誤算』が生んだものかと。”
「そうか、そうだったか。」
俺は一人、拳を握り締めて、月明かり照らす都会の街へと飛び出した。
短編②「初恋」 賀来リョーマ @eunieRyoma
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