季節の風~花束を君に添えて~

毛 盛明

第1話 春の訪れ

ここは都市部の郊外。高層ビルがちらほら立ち並び始めたものの、一本路地を入れば、どこか懐かしい空気が流れている。

そんな町角に、昔ながらの木造の小さな花屋がある。看板にはひらがなで「KARIYUSI」と書かれている。


春の風が柔らかく街を撫で、花屋の前を通り過ぎた。


「はぁ……。ただばあちゃんの見舞いの花を買いに行くだけなのに、母さんったら“店主に土産を持って行け”なんて……」


そうぼやきながら歩くのは、久米盛久。二十三歳、独身。地元の交通インフラ企業「うるまレール」に勤めている。

白いシャツにカジュアルなジャケット、手には小さな紙袋。中には地元で人気の黒糖菓子が入っている。


(確かに、じいちゃんの代から付き合いのある花屋だけどさ……)


軽くため息をつきつつも、店の暖簾をくぐる。小さな鈴の音がカラン、と心地よく響いた。


「お! よく来たねー、盛久くん! 待っちょったよー。さぁさぁ、中にどうぞー!」


出迎えたのは、陽気な笑顔がトレードマークの店主、天妃(てんぴ)武次郎。

年の頃は五十代後半、がっしりとした体格にアロハシャツが似合う男だ。


「いやいや、今日は花を買いに来ただけですって。あ、でも……これ、つまらないものですが……」


盛久は紙袋を差し出す。


「あげぇ! でーじさー! こんなジョートームンもらっていいの? ありがとねぇ!」


「いえ、こちらこそ、いつもお世話になってますから」


武次郎の顔がぱっと明るくなり、にこにこと紙袋を受け取る。


【この人は、花屋「KARIYUSI」の二代目店主。父と武次郎さんはまるで兄弟のように仲が良かった。

じいちゃんの代からの付き合いだし、俺も小さい頃からこの花屋の香りには慣れ親しんできた。】


店内には、色とりどりの花々が並び、春の香りがふんわりと漂っている。その奥では、小さなスピーカーから渋い音楽が流れていた。


「それにしても、今日もまた渋みのある曲かけてますね」


「ははっ、よくわかったね! 今日は『オジー自慢のオリオンビール』をかけてるよ~。わたしは大酒飲みだからな~」


「ははは……。おとーからも、よく聞かされてますよ。武次郎さんが飲むと陽気すぎるって」


「そうかそうか~。で、花はいつものアカバナとデイゴでいいね?」


「はい、いつも通り、四本ずつでお願いします」


「はいよー、ちょっと待っててねー」


武次郎が手際よく花束をまとめている間、盛久は店内を見回す。古びた木の棚、手書きの値札、どこか昭和の香りが残るこの空間に、彼は不思議と安らぎを感じていた。


花の会計が終わると、盛久はぺこりと頭を下げた。


「ありがとうございます。また来ますね!」


「おうよ! いつでも来てねー!」


盛久が去ったあと、2階からバタバタと足音が聞こえてきた。


「夏美! あんたまた寝坊してからに! でーじどー! 盛久くんが来てたんだよ、いっぺーでーじなっとんたんどー!」


「えっ!? 盛久くんいたの!? ……なら、千春姉ちゃん呼べばよかった……」


「やめれやめれ、そんなことしたら千春は顔真っ赤になって気絶するぞ!」


「ねぇ、お父さんもうるさい!……」


「おっ、ごめんごめん、秋羽起こしちゃったか?」


「うん……それで、何の話してたの?」


「んー……ちょっとだけな……」


一方その頃、盛久は祖母のいる病室へ向かっていた。


「ばあちゃん? お見舞いに来たよー」


「おぉ……盛久ねぇ?」


「そうだよ! 今日も花、持ってきたよ。いつもの!」


白い花瓶に、アカバナとデイゴの花を挿す。祖母の顔に、やわらかな笑みが広がった。


「盛久……あんた、彼女はいるのかい? もうそういう歳でしょうに」


「ははっ、ばあちゃん……俺は大丈夫だよ。……それに、じいちゃんとの約束もあるしさ」


「約束?」


「うん。ちゃんと稼げるようになって、安定したら結婚を考えるって……。じいちゃん、2年前に亡くなったけど、俺、ちゃんと守るって決めたんだ」


「……そうねぇ。あの人らしいわ」


祖母の目が細められる。思い出の中の夫を懐かしんでいるのだろう。


「でも、そもそも俺、相手なんていないし……」


「それなら……あの花屋がいいんじゃないかい?」


「かりゆし?」


「そう。あの花屋の店主のお父さんと、あんたのおじいちゃんがね、とっても仲が良くてね。互いの子や孫を結婚させよう、なんて約束までしたくらいよ。私は冗談だと思ってたけどね」


「なるほど……だからおとーと武次郎さんがあんなに仲良いんだ!」


「そういうことさ」


「そっかー。……あっ、ばあちゃん、ごめん! もう時間だ。そろそろ帰るね!」


「はいはい。またやーさいねぇ」


盛久は手を振り、病室を後にした。


――そのころ、花屋「KARIYUSI」では。


ガチャリと勢いよくドアが開く。


「おとー! なんで! 盛久くんが来てたのに言わなかったのー!?」


「はぁ……千春。あんた、盛久くんを見ると気絶するだろ? だから言わんかったわけ」


「おとー、ひどい! ねっ、夏希!」


「あたいはどうでもいいけど……秋羽は?」


「分かんない。でも、千春姉ちゃんが盛久にーにーのこと好きってのはバレバレだよね! ね、冬理!」


「あー……うー……」


「もう! みんなしてひどい! そろいもそろって!」


「……千春? あんたももう二十二なんだから、いっそのこと、気持ち言ってみたら?」


「えぇぇっ!? /////」


千春の顔が一瞬で真っ赤になり、その場にふらりと倒れ込んだ。


「あらあら……やりすぎちゃったかしら。てへっ!」


「梅雨子……お前……」


「母さん、やりすぎ……」


「そうだよ、夏希姉ちゃんの言う通り!」


「あーうー!(秋羽姉ちゃんの言う通り!)」


今日も天妃家には、笑い声と花の香りが満ちていた。


――風に揺れる看板の「KARIYUSI」。そこから、新たな春の物語が始まろうとしていた。


(第一話・終)

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