陽性の妖精

@ns_ky_20151225

陽性の妖精

 天文博士が三千年周期の妖星の接近を確認したとき、まだぼくは少年で、博士の本を出したり片付けたりするのが仕事だった。

 博士の指示があり次第塔の地下の書庫に行き、指定の本を見つけ、あった場所を記録してから持って行く。片付けるよう言われたらその記録を頼りに元のところに戻す。一日が終わったら記録を清書して綴じる。

 仕事の代償は食事と、な寝場所。ここは強調させてもらった。安全じゃなくて

「赤い星か……」 博士が指を鳴らす。「おい、これを」

 しわだらけの手から生えている骨っぽい指で本の一箇所を指している。ぼくはそこにある文献の書名を書き留めた。『陽性の妖精』

「変な題ですね」

「そう思うのはおまえの勉強が足りてないせいだ」

「……取ってきます」

 そりゃ、博士のような人からしたらどんな学者だって勉強不足だろう。でもぼくだってがんばってるんだ。最近は博士の指定した本は片付ける前に目を通すようにしている。ほとんどわからないけど、時々わかる部分があって、そういうとき心がぱっと明るくなる。

 書庫の埃っぽく黴臭い空気をかき分けて本を探す。棚を指差しながら、ぼくは知ってる言葉を心に並べてみた。

『妖星』 空に現れるとろくでもないことが起きる星。

『陽性』 陰陽二つある性質のうちの陽のこと。外向きの力や変化を表す。

『妖精』 姿はぼくらに似てるけど、それ以外は似ても似つかない霊的な生き物。陰陽分類では陰。

 変だな、と思った。妖精は陰の気だけでできた半端もののはず。だから人間みたいな陽性の生き物にまとわりついて陽気を吸おうとする。『陽性の妖精』なんているんだろうか?

「そんな妖精はいない。今はな」

 ぼくの質問に答えてくれたとき、博士はため息をついた。

「今は?」

「妖星。あの星が起こすろくでもないことを教えてやろう。あれは陰陽を逆転させるんだ。この世のすべての」

 その意味をちゃんと理解するまで、ぼくは口を利けなかった。あらゆるものの基質となっている陰陽の気がいきなり逆転したら崩壊しかない。家を建てたまま柱や壁を交換すると言ってるようなものだ。耐えられる生き物は少ない。

 測定機器を見ると、妖星は最接近まであと三日というところに迫っていた。

「滅ぶ、ということですか」

 博士は首を振った。

「いいや、大混乱と大絶滅はあるが滅びではない。人は生き残る。それと霊的生物も」

「妖精も?」

 大きくうなずいて説明してくれた。

 陰陽大逆転の後、混乱から新たな秩序が生まれる。それがどういうものかわからないが、ここにある知識が役に立つはずだ。おまえの仕事はここの本で混乱を最小限に抑え、秩序の確立を早めることだ。どこになんの本があるかはよく知ってるな、と。

「博士は? まだご指導が必要です。わたしは未熟過ぎます」

「未熟というのはすべての人に言える。それにわしは塔の力をもってしてももう大逆転には耐えられない。あんなのは一回で十分だ」

 そのとき初めて、ぼくは博士の本当の歳を知った。

「おまえなら安全だ。大逆転からもな。おまえは新世界で唯一陽性の人間となる。世の理から分離され、陰性の人間が受けるであろうあらゆる霊的害悪から安全で、次の接近まで死は許されない」

「そんな……。ではもっと人を助けましょう。少なくとも賢者を。ここに来てもらって……」

「はは……、そんな残酷なことはできぬな。この世から隔絶され、死すら許されないのだぞ」

「でも、ぼくにはやった」

 博士を睨んだ。なんとしても助けられる者は助けなきゃ。

「だれか一人は大逆転をすり抜けないとな。おまえも選ばなきゃならなくなる。妖星はまた巡ってくる」

「また?」

 博士の言い方に不審を感じ、ぼくは望遠鏡と測定機器に飛びついた。

 すでに最接近は終わり、妖星は遠ざかっていた。

「すまんな。反抗は予想していた。おまえの時間感覚を狂わせた。今の会話の間に月が一巡りした。では、さらば」

 博士が倒れ、塵となった。ぼくの感覚が正常時間と一致し、衝撃が襲ってきた。目の前が暗くなった。

 意識が戻ったとき、塔の中にいてさえ大混乱の気配が伝わってきた。世界が大逆転し、陰陽が入れ替わってしまったのだ。陰気が体内を巡る人間がまともに暮らし、社会を維持していけるだろうか。

 ぼくは頭を振った。何冊かの書名と収納場所が浮かぶ。ひどい状況だが救える。博士を弔うとすぐにそれらの本を開き、当面の霊的沈静化をはかる儀式を執り行なった。

 後は有力な王族や各氏族の代表者との話し合いだ。旅行の準備をする。

 ふわりと、開け放した窓から入ってくるものがあった。妖精だった。いつもの習慣で警戒し、指を妖精除けの形に組んでから自嘲した。今やぼくと同じ陽性。こっちになんの興味のもないんだ。組んだ指をといても陽性の妖精はこちらを無視し、ひらひら部屋を調べると出ていった。

 ぼくは新たな世界が始まったことを実感した。そして、新たな責任が生じたことも。

 世界を本で救うのだ。


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