第3話 幕間
殻栗空。
東京生まれインターネット育ち。暗そうな奴は大体友達。
しかし僕はどうやら東京もインターネットも嫌いらしいと気づいたときには東京もインターネットも僕の生活に癒着していた。
YouTubeやTwitterを見れないのにどうやって時間を潰せばいいのか分からない。脳に寄生したインターネット。深夜ふらっとコンビニまで歩いて、なんならそこから最寄り駅に向かい一人カラオケを楽しめる。東京依存症。
嫌いだ。頭がおかしくなる。
密集してるから大きいと錯覚してるだけのクソみたいに狭い世界。煩い群衆、煩い喧騒、煩い意見、煩いミーム、煩いトレンド、煩い競争社会、煩い承認欲求の道化師達。煩い踏切音。煩い駅のホームのアナウンス。煩い深夜の酔っ払いの笑い声。煩しい群衆のモブへの気遣い。常に列に並ぶように歩くあの人々の流れは嘔吐を催す。
しかし、そんな都会にも時折、エアポケットの様なものを見つけることがあった。
人気が無いそこはどことなく不気味で、居るだけで不安になってくるような。
それでも、ぼくはそういう場所が好きだった。
外の世界は煩すぎる。僕の内側は煩すぎる。僕の正気を喧騒で削る。
エアポケットには不安があるけれど、止まらない時計ととめどない競争に追われた焦燥より遥かに心地よかった。
結局のところ、僕は自分達生きている人間が大嫌いだったんだと思う。
だから、不気味さの奥底にある死の匂いにある種の親しみを感じていた。
だから、式神として退魔師になって思うのは、「やっと会えたね」という気持ちだ。
羅生祓はカルボナーラを自分より行儀よく食べる殻栗空を見ていた。
今日もここに来るまで、浮遊霊や妖怪と何度か遭遇した。
殻栗空はそいつらに平気に話しかけるから、何度も「神隠し」の原理を人間の術式に落とし込んだ「人隠し」の術で隔離しなければならなかった。
「向こう側」の世界のモノと接触すると、相手によって程度はあるが生者は精神的苦痛を受ける。恐怖、畏怖、そして穢れる事への本能的忌避感。
殻栗空にはそれがない。いや、恐怖や忌避感はあるのだろうが、『それを気にしない』のだ。
初めて殻栗空を知った「夢子ちゃん」──高崎遥の件もそうだった。
あれだけ膨れ上がった大怨霊と対峙すれば、穢れによる苦痛と恐怖で対話なんてとても不可能だ。
しかし殻栗空は気にしない。どれだけ穢れにまみれようと彼女に微笑みかけ、抱き上げて、一緒に遊んで、成仏させた。
今日も、殻栗空との下校中に彼が道端に佇む妖怪に話しかけたり、対話不可能な悪霊に絡まれて殴り飛ばしたとき、私はとても危険なものを感じた。
私が彼に「ハッピーエンド」の可能性を見たのは、彼の「鈍感さ」によるものだ。
しかし穢れを、理解不能なものを恐れないということは生物として、生者として部品が一つ壊れている。
穢れを恐れることは生者として必要な警報だ。
それが壊れている。その歪さは心霊の世界において武器にもなり、弱点にもなる。
(私は、彼を殺してしまうかもしれない)
色々話したいことがあった。夢子ちゃんの話もしたかった。学校の話もしたかった。両親の愚痴も零したかった。
それでも、彼の主人として自分になにが出来るか。頭に不安と思考がグルグル回って無言の食事は続く。
彼は退屈していないだろうか……?
ああ!元々マトモな友達が居ないからこういう場に慣れてない上に、こんなことを考えていたら話なんて弾むワケが無い!
ずっと、友達になりたかった男の子と夕ご飯を食べているのに。
むしゃくしゃして、お下品にフォークで巻いたパスタを啜る。
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