第5話 彼の街に暗雲あり

 「う……く、くるなぁ……」


 走る幸太。しかし、足が絡まってしまい上手く走れない。


「ドゥーン……ドゥーン」大きな音がゆっくりと、しかし着実に大きくなっていく。


 必死に走る幸太だが、恐怖のあまり恐る恐る後ろを振り向く。


 その目線の先には50mはあろうかと思われる巨大な姿。遠目でも見える爬虫類のようなうろこに覆われた体と背びれ。地面を踏み鳴らしながら歩く太い両足。その背後でうごめく長い尻尾。そしてギラギラとこちらを見下ろす鋭い瞳。


 そう、あれは怪獣王ギズラだ。


「う……あっ……」


 その姿を見た時に、全身が硬直し首を絞められたかの様に声は出なくなる。


「怖い怖い怖い怖い……」頭の中で幸太は叫び続ける。


 そんな姿を見下ろしているギズラが、何物も食らいつくせそうなほど大きな口をゆっくりと開けていく。幸太はそれをただただ見る事しかできない。

 

 そしてあまりの恐怖に目を閉じてしまう。


 目を閉じて何秒経ったのだろうか……。


 幸太は静寂の中、ゆっくりと目を開ける。


 真っ暗だ……。


 先ほどまでの恐怖からの解放にその場にへたり込み空を見上げる。


 そこにはこちらを見る大きな目と鋭い牙があった。

 

「うぁぁああ!」


 叫ぶと同時に起き上がる幸太。そこにはいつもの部屋の風景。そしていつもの朝日が幸太を照らしていた。


「なんだまたあの夢か……。あの頃から変わらないなぁ……」


 ふと思い出されてしまう記憶。それを誤魔化すかのように幸太は笑う。


「……いやぁ今日も部長に怒られちゃうかもな!ピピィ!ってな、アハハ……」


 彼の笑顔は少しぎこちなかった。重い体を起こしてベッドから降りると、窓側に向かい朝日を浴びつつ伸びをする。


「ん~。……よし、今日も頑張るか!」


 それからはいつも通りの変わらぬ朝だった。お皿は落として割るし、牛乳はこぼす。それでも幸太はポジティブだった。


 そしてテレビをつけてニュースを流し見で見ながらご飯を食べる。



「……T市全域で起きた自転車のサドルをブロッコリーに替えられた事件。現在警察は規模と被害件数があまりにも多いことから他の市からの応援を入れて特捜本部を立ち上げました。一部ではホニャイヤダによるテロとの意見もありますが、米田こめださんはどのようにお考えですか?」


「そうですねぇ、犯人がホニャイヤダかどうかは置いといて、こんな市内全域の自転車のサドルをブロッコリーに替えるなんて事は個人にはまず無理でしょう。確実に組織的犯行です。その上でここ数カ月でホニャイヤダと思われる人物らが日本各地、特にM県T市で見られていることから彼らの可能性が高いでしょう」


「確かにそうですね、反ホニャ国組織ホニャイヤダ。彼らが掲げるのは平和的テロ。確かに彼ららしい血を流さない主張の仕方ですが今回の行動には何の意味があるのでしょうか?」


「そりゃあ……ブロッコリーを食べろ的な意味でしょうかね?」


「ふざけてるんですか?」


「じょ、冗談ですよ。ブロッコリーの語源の1つに枯れた枝と言った意味があります。そのことから貴方たちの国は枯れた枝に替えられている的な隠喩でしょうな」


「なるほど、では円谷つぶらやさんはどのようにお考えですか?冷静にお願いします」


「え?あ、はい……。恐らくですが、あれは宇宙人による生態調査の1つではないでしょうか。まず市内の全ての自転車のサドルをブロッコリーに替えるなんて芸当、人間にできるわけがありません。いくらテロ集団でもそれだけの人が短時間で市内全域で活動したらさすがにバレますよ。それを出来るのが宇宙人の技術です……。えぇ!そうですよ、彼らは我々の反応を見ているのです!」


「何言ってんの?……馬鹿らしい。もし宇宙人がいたとして、わざわざ地球にきてやることが悪戯ですか?やはりあんたみたいな月刊モーを読んでいる人は思考も幼稚ですな」


「き、貴様ァ!また馬鹿にしやがったな!この政府の犬め!」


「なん……だとぉ!誰が犬だ!表出やがれ!」


「おうよ、やってやるぜ!」


「そ、それでは一旦CMです!(チッ……台本通りに進めろよ……)」



 「なんかアナウンサーキレてね?このニュース見るたびに荒れてるなぁ……」


 そんな事を考えつつスーツを着て自転車で走り出す。そしていつも通り、踏切でぼーっとしていると目の前を黒い影が通り過ぎる。


「うわっ、なんだぁ?」


 通り過ぎた先には額に白い羽の生えた大きなカラスが電柱にとまっていた。


「……珍しいカラスだな。なんか見たことある気が……。ハッ……」


 その瞬間思い出される記憶。そう、あの時の悪戯カラスだ。気になる方は第一話をご覧ください。


 幸太はすぐに、自転車の前かごを確認する。しかし荷物は無事だ。


「なんだ、何も取ってないのか……疑ってごめんよ。カー」


 カラスは幸太の事をじっと見て「カーカー」と鳴くとそのまま飛び去って行った。


「いつも悪戯をするわけじゃないのか……それにしても今日はなんか意思疎通出来た気がするな」


 考えていると踏切の遮断機が上がる。幸太は会社へと向かう。


 そして会社での業務が始まる。その日はいつも通り何事も上手くいかない。コピー機は詰まるし、Excelデータはマクロが上手く反応しない。その結果、業務が進まない。


「うへぇ……。なんだ?どこかいじっちゃったか?」


 幸太は必死に原因を探す。しかし原因は表示されない。そんな時に遠くから「ピィーピィー」と言う音が鳴り出してこちらに近づいてくる。


福永ふくなが君!?困るよッピィ!」


「部長?どうしたんですか?」


「どうしたんですかッピィじゃないよ!ピピィ!先方に送ったデータだが、全部数字が違うじゃないかって怒られたッピィ!」


「え、そんなはずは……」


 急いで今朝送った先方との営業データを確認する。確かに数字がずれて間違っていた。


「あ、ありえない……」


「ありえないだとッピィ!現に間違っているじゃないかッピィ!」


 幸太がありえないと思うのも無理はない。なぜならこのデータは昨日の時点でまどか先輩とダブルチェックを行っていたからだ。そして、その時にミスは見つからなかった。それは間違いない。


 幸太が怒られているのを聞きつけてまどか先輩がやって来てデータを確認する。そして驚きつつも現状の説明をする。


「部長、このデータは確かに昨日福永ふくなが君と一緒にチェックをしています。その時点ではこのような状態ではありませんでした。なにか別の理由があると考えられます。それを探すのが先決……」


「まどか君!君まで言い訳かッピィ!私は君を高く評価しすぎていたみたいだッピィ!」


 まどか先輩が言い終わる前に部長は言葉を重ねて、まどか先輩まで𠮟責しだす。


「ははは、もうやめてくださいよ……」


 幸太がポツリとつぶやく。


「何を笑ってるッピィ福永ふくなが君!君は事の重大性をわかっているのかッピィ!」


「部長、それは違います。福永ふくなが君は……」


「もういいッピィ。君たちは私を失望させたッピィ……」


 その瞬間から幸太には部長の姿が違うものに見えた。


「とにかく、現状の把握を進めるッピィ……なぜお前はそんな事しか出来なんだ?」


「わかりました、部長。申し訳ございません。すぐに……あなたのせいで私の人生は滅茶苦茶よ。最悪だわ」


「ごめん、なさい……ごめんなさい……」


福永ふくなが君?聞いているのかッピィ……お前は私を裏切った。謝罪しろ」


「あ……あ、ああ……」


福永ふくなが君、大丈夫?……使えない男ね……ねぇなんで生きてるの?」


「お前はゴミだ、親もそんな教育しか出来なかったんだな。ゴミだから」


「死になさいよ、ねぇ……責任取りなさいよ!?」


「もう連絡してくるな。消えろ」


「うぁぁぁぁぁぁ!!……」


 幸太が叫ぶと同時に、フロアの電気が切れる。


「な、なんだ!?ッピィ!」


 スタッフ全員がその状況に驚く。しかし現象はまだ止まらない。


「部長!PCの画面がフリーズしました!」

「私もです!」

「うちも!」


「なんだとッピィ!?」


 フロア内の全てのPCの画面は全て緑色に発光してフリーズ。さらにコピー機からは異音が鳴り出したと思うといきなり印刷を始めだす。


「今度はコピー機かッピィ!?」


 急いで何が印刷されたのかを確認しに部長とまどか先輩が向かう。


「こ、これは……」


 まどか先輩が印刷物を取り上げ確認する。そこには真っ黒に印刷された紙だけが印刷されており、止める事もできず狂ったように印刷を続ける。


「何が起きているんだッピィ……」


「プルルルルル……」スタッフ全員が困惑している中、一本の電話が鳴る。


「はい、T原商事、南原なんばらで……え!?どういうことですか!?データが飛んだ!?」


 取引先からの電話は、現在データが吹き飛んで仕事が出来る状況ではないといった内容だった。そしてその電話に出た直後から続くように次々と電話が鳴り、内容は同じような阿鼻叫喚の状況だといった報告だった。


「どうなっているの……はっ、福永ふくなが君……どこ!?」


 そんな中まどか先輩が幸太の様子がおかしかったことを思い出して、彼の姿を探す。幸太は窓ガラスに手を触れて外を見ていた。


「……福永ふくなが君、さっき部長と話してた時、体調悪そうだったけど大丈夫?」


 そう話しかけると幸太はゆっくりとまどか先輩のほうに顔を振り向く。しかし彼女を見たとたんに畏怖の顔になる。


 その瞬間幸太を中心にフロア内の窓ガラスが一斉に割れる。


「きゃぁ!」


 ガラスの割れる音とまどか先輩の悲鳴に気付いて部長が駆け寄る。


「な、な、なんだッピィ!?君たち大丈夫かッピィ!」


 そんな心配して駆け寄る部長を見て幸太の顔はさらに歪んでいく。


 会社の外では黒い突風が吹いたと思うと静寂が訪れ、そしていきなり轟音と共に再び黒い烈風が辺りの建物のガラスや屋根を壊し始める。その壊れた破片も黒い風に巻き込まれてさらに被害を拡大させていく。停電で暗くなったオフィスの中では悲鳴の声が後を絶たない。そんな中、閃光が照らす。その直後、地鳴りのような雷鳴が鳴り響き、大気を震わせる。しかし震えたのは大気だけではない。突如として激しい横揺れが建物を揺らす。とてもじゃないが立っていることなど不可能な揺れだ。


「み、みんな窓から離れてデスクなどの下にもぐるッピィ!」


 部長が床に突っ伏しながらスタッフに指示を出す。


「まどか君、福永ふくなが君も向こうに避難するッピィ!」


 部長はまどか先輩と幸太に避難を呼びかける。


「は、はい!」


 まどか先輩は立ち上がることが出来ない中、部長の後を追って這いつくばりながら窓から離れたデスクに向かう。しかし幸太がついて来ていないことに気付き振り返る。


 そこには目を見開き笑顔で涙を流す幸太の姿があった。


「え……」


 そんなまどか先輩のつぶやいた言葉は周りの音に簡単にかき消された。

 

 必死で命を守る行動をとるスタッフたち。皆、自分の事で精一杯だ。激しい烈風に雷と地震。それによって引き起こされる火災や地割れ、倒壊。全てを破壊していく自然の猛威に、もはや彼らの逃げる場所はどこにもなかった。


 そして、幸太の顔を見たのを最後に、まどかの記憶は途切れた。



「……んっ」


 まどかは目を覚ます。どうやら意識を失っていたようだ。痛む体をゆっくりと起こしてまどかは自分がどこにいるのかを知る。そこには瓦礫で溢れる荒れ果てたオフィス。そして外は火事の火が辺りを照らしていた。


「ど、どういうことなの……」


「まどか君!?目を覚ましたかッピィ!よかった……」


 そう言うと部長がまどかに足を引きずりながら寄って来る。何も理解できていないまどかを部長は理解して現状をゆっくり伝える。


「いいかい、落ち着いて聞くんだッピィ……。今から9時間前、T市に突如暴風と雷、地震がほぼ同時刻に発生したッピィ。その被害はT市全域に広がり結果として、6万戸の建物が半壊、12万戸が全壊。うちの会社のオフィスも全壊したッピィ……」


「そんな……」


 T市の惨状を聞いて信じることが出来ないまどか。そして彼女の脳裏に幸太の姿が浮かぶ。


福永ふくなが君は!?彼は無事ですか!?」


 それを聞き、少しうろたえる部長。そして少しの沈黙の後ゆっくりと話し始める。


「彼は……福永ふくなが君は、現在意識不明の状態だッピィ……」


「え……」


 思いもしない言葉に、まどかは言葉が出てこなかった……。



 2025年6月5日に発生したこの災害は被災戸数が最終20万戸にも上る、歴史史上2番目に被害の大きい複合災害として、令和7年度T市複合災害と呼ばれる事となる。しかし、それだけの被害を出しながらも死者はおらず、命に別状のない入院を要する者や軽傷だけだったと言う。その災害規模に対しての死者の少なさから、後にT市の奇跡としても語られることになる。


 これにて第5話、おしまい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る