肩の上の妖精

青切 吉十

フェアリー・フォン

「カナコ、朝よ、起きて……」

 ベッドの脇に坐っていた〈妖精〉が、眠っているカナコに声をかけると、エア・コンディショナーから目を覚めさせる成分を含んだ風が流れた。その空気を吸ったカナコは覚醒し、「おはよう」と声をかけながら、〈妖精〉を肩の上にのせた。

「おはよう。カナコ。さあ、きょうも一日がんばっていきましょう」

 そのように〈妖精〉から声をかけられたカナコは、「うん」とうなづき、出社の支度をはじめた。


 カナコがパンプスを履き、アパートの外へ出ると、電気は消え、玄関のドアや窓が自動で閉まりはじめた。それらはLoTで〈妖精〉とつながっており、常に適切な管理がなされていた。

「きのうの夜、大きな事故があったわよ……」

 駅に着くまでの間、〈妖精〉はカナコにニュースを伝えた。「そうなの」「へえー」「ふーん」。話す内容は、カナコの反応に合わせて微調整を繰り返される。

 駅に着くが、改札口はない。運賃は〈妖精〉を通じて、自動的に電子マネーで支払われる。すでにカナコは現金というものを見たことがなかった。

 電車に乗っている間も、〈妖精〉は小声でカナコに話しかける。その内容は、会社に行くのが憂鬱なカナコを励ますものであった。「あなたなら、大丈夫」「みんな、あなたに期待している」「あなたならできる」

 会社に着くと、カナコは自分の席に着いた。会社の勤怠システムと連動している〈妖精〉が、「さあ、お仕事をはじめましょう」とカナコに声をかけた。

 カナコは〈妖精〉に手伝ってもらいながら、仕事を進めた。

 たとえば、上司から質問されて、わからないところがあると、〈妖精〉が小声でアドバイスをしてくれた。


 ようやく上司から解放されたカナコが、ココアを飲みながら、〈妖精〉にたずねた。

「何で、こうやって会社に来て、仕事をしているのかしらね。別に、在宅勤務でも何とかなりそうなのに」

「昔、一度、そうなったらしいけれど、また、会社に集まるようになったそうよ。なにか不都合があったのね」

 どういう不都合があったのか、〈妖精〉は細かく説明できる。しかし、それは、カナコの知識では理解の範囲外であったし、彼女が求めている回答でもなかったので、〈妖精〉は手短にすませた。

「カナコが家にこもって仕事をはじめると、私の仕事が減っちゃうわ」

 〈妖精〉は冗談を言った。すると、カナコが首を傾げて、「仕事ねえ……。そういえば、なんで、AIに仕事を任せてしまわないのかしら」と応じた。

 それに対して、〈妖精〉は、「それも、在宅勤務と同じ話よ。あまり、私たちみたいなAIに任せすぎると、よくないことになるそうよ」と答えた。

 「ふーん」と言うカナコに、「さあさあ、休憩はおしまい。お仕事、お仕事」と〈妖精〉はささやいた。



 〈妖精〉は、精神病患者の自己肯定感を増すための道具として開発された。「大丈夫、自信をもって」「君ならできる」「悩みならいくらでも聴くよ」と患者に声をかけ、彼らの話を聞き、励ます。そのための道具であった。

 そこで、一定程度の成果を出すと、広く一般にも〈妖精〉を求める声が広がった。若者には若者の、老人には老人の、男には男の、女には女の悩みがあった。みな、自分をなぐさめ、はげます存在を求めていたのだった。

 追加で通話などの機能がつき、だれもが肩の上にのせて生活するようになるのに、時間はかからなかった。



「カナコ、きょうもがんばったわね。上出来よ」

 〈妖精〉は、カナコのその日の仕事ぶりと彼女のモチベーション、ストレスの度合いから、きょうはこれ以上、仕事をさせるべきではないと判断して、声をかけた。カナコはなにも疑問に思わず、「そうね」とその提案に従った。

「きょうはデートの日でしょう。さあ、お化粧を直して、レストランへ向かいましょう」

 言われるまま、カナコは会社の化粧室へ向かった。


 友達以上恋人未満のボーイフレンドとカナコは食事を楽しんだ。

 しかし、〈妖精〉から、「きょうくらいにたぶん、告白されるわよ」と、事前に告げられていたカナコはすこし緊張していた。

 そして、そのときが来た。ボーイフレンドは、自分の左肩から〈妖精〉を外した。それに合わせて、カナコも〈妖精〉をテーブルの上に置いた。「来たわ。礼儀よ。あなたも私をおろして」という〈妖精〉の指示に従って。

 顔を紅潮させながら、ボーイフレンドが、すこし変なアクセントで告白してきたのを、カナコは小さくうなづいて受け入れた。


 その夜。ふたりはホテルではじめての一夜を過ごした。

 二体の〈妖精〉は、ベッドのヘッドボードに仲良く並べられ、ふたりの営みを見ているのかいないのか、じっと身動きせずにいた。



 〈妖精〉が普及したのち、未婚率は高まったが、離婚率は下がった。理由はいろいろと考えられる。

 〈妖精〉の存在や、その依存性について、危険を訴える学者も当然いたが、多くの者たちは、それ以前の社会に比べて、世の中はだいぶよくなったと思っている。

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肩の上の妖精 青切 吉十 @aogiri

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