プロローグ②「扉の向こう」
──ガシャン。
重い鉄の扉が閉ざされる音が、無情に響いた。神崎慧はゆっくりと鉄の扉に背を向けた。
もう戻れないのだ。鍵も取っ手もない。扉の重い音は、もう二度と開かないことを神崎に教えるには十分だった。
静かに息を吐き、神崎は前を向くと、目の前には、薄暗い通路が続いていた。壁には古びたランプが等間隔に取り付けられているが、その明かりはゆらゆらと揺れるばかりで頼りない。足元はひび割れたコンクリート。この通路が造られてから一度だって補修されていないのがわかる。左右の壁には、誰が描いたのか分からない無数の落書きと、赤黒いシミがこびりついていた。
その通路を先に進むとぼんやりと明るくなってきて、やがて視界が開けた。そこには、異様な光景が広がっていた。目の前に広がっているのは、色のない荒廃した街。 ボロボロの建物が立ち並び、通りにはゴミや瓦礫が散乱している。
そして、そこには無数の男たち──おそらく囚人――たちがいた。数十人、いや、もっといるか。
いくつかのグループがあるのか、男たちが数人ずつの塊でたむろし、道端に座り込み、酒瓶を回しながら笑っている。奥では、誰かが喧嘩をしているのか、低い怒声と鈍い殴打音が響いていた。どこで手に入れたのか、ナイフを手にしている者もいる。
どいつもこいつも、まともな神経をしているようには見えなかった。
──ここが噂の「ダンテ・アイランド」か。
想像以上に、秩序がないのが手に取るようにわかる。ここにはルールが存在しないのか? それとも、何か別の形で支配されているのか?
ふと、神崎は近くの建物の壁に貼られた紙を見つけた。そこには、黒々とした太い文字が並んでいた。
「藤堂に逆らうな」
「従うか、死ぬか」
その貼り紙を見た瞬間、神崎ははっきりと理解した。
この監獄――ダンテ・アイランド――の秩序は、暴力によって支配されている。 そして、その頂点にいるのが『藤堂』という男なのだ。
「おい、新入りか?」
背後から声がかかった。神崎は立ち止まり、ゆっくりと振り返る。男が二人。片方はずんぐりとした体型で、鼻にピアスをしている。もう一人は背が高く、腕に不気味な色のない刺青を入れていた。どちらも、いかにも粗暴なチンピラの典型だ。二人はじわじわと間合いを詰めながら、神崎を囲むように立ってきた。
「お前、どこから来た?」
背の高い男が神崎に言った。神崎は無言で男たちを見つめた。
「答えねぇってことは、テメェ……礼儀を知らないタイプか?」
鼻ピアスの男がニヤリと笑うと、次の瞬間、スッとナイフが抜かれた。太陽の光を受けて、その刃が鈍く光る。
「ここに来たばっかの奴は、大人しく身の振り方を決めねぇと……」
「痛ぇ目見るぞ」
──なるほど。こういう出迎えか。
神崎は、静かに男たちの動きを観察した。二人とも喧嘩慣れはしているが、そこまでの使い手ではなさそうだ。本当にヤバい連中は、こんな安っぽい脅しはしない。
どこまでやる気なのか──
今ここで一歩踏み出せば、反撃する余地はある。だが、ここで来て早々にこいつらと大立ち回りを演じても、おそらく余計な厄介ごとを招くだけだ。
……どうするか。
そう考えた瞬間、通りの端からくぐもった声がした。
「おいおい、やめとけ」
男たちが振り向く。神崎も、声の主を見た。そこにいたのは、小柄で痩せた男だった。服装は他の囚人と同じくボロボロだったが、目だけは鋭かった。彼は肩をすくめ、面倒くさそうに言う。
「新入りをぶっ殺したところで、食い物が降ってくるわけじゃねぇぞ」
鼻ピアスの男が何か言いたそうにしたが、舌打ちし、ナイフを引っ込める。
「チッ、つまんねぇ」
「次はきっちり挨拶してもらうぜ、新入り」
そう吐き捨てて、二人の男は去っていった。
「新入り、お前、名前は?」
声をかけてきた男は、神崎をじっと見つめながら訊ねた。
神崎は軽く肩をすくめる。
「神崎慧だ」
「神崎ねぇ……ふん、気に入ったぜ。こっち来な」
男は神崎を藤堂の支配区域から少し離れた建物へと導いた。それはコンクリート造りの古びた宿舎だった。
「で、お前は何者だ?」
部屋に入り、粗末なベッドに腰を下ろしながら神崎が訊くと、男は薄く笑った。
「俺か? ただの窃盗犯さ」
「窃盗でここに?」
「……まぁ、20回目だったんでね。更生の見込みなしってことらしい」
男は肩をすくめ、壁にもたれかかった。
「俺はここでのルールを知ってる。生き延びたいなら、まず『監獄の王』藤堂に頭を下げることだな」
「へぇ……」
神崎は曖昧に頷いたが、内心では鼻で笑っていた。そんなことをする気は毛頭ない。
「今夜はここで寝な」
男はそう言い残し、部屋を出ていった。
夜になった。神崎はベッドに横になったまま、天井を見つめていた。いやに静かな夜だった。だが、どこか不気味だ。その思考の中、突然、窓の外から音がした。
コン、コン――
神崎は眉をひそめ、ゆっくりと身を起こした。月明りしかない暗闇の中、音のした窓の向こうに、白い影が立っていた。
長い金髪。白い修道服。まるで、暗闇の中に浮かぶ幻のように佇んでいる。神崎は、思わずごくりと唾をのんだ。
すると、その「修道女」がゆっくりと手を伸ばし、窓越しに手招きをした。なぜか吸い寄せられるように、神崎は窓へと歩み寄った。
修道女が顔を寄せ、窓越しに囁いた。
「私の名はマリア。あなたを――救いにきました」
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