ベルベット・ルビーの魔女
舶来おむすび
1話
「マフラーを仕立ててくれる?」
おりしも西陽の射し込む時分。
ゼンヨウ羊毛店を訪れた黒衣の女性は、開口一番オーダーを告げて微笑んだ。佇まいはおよそ30代ほどに見えたが、彼らの見た目ほどあてにならないものはないと、トレニア・ゼンヨウはよく知っていた。
絵に描いたような魔法使い。
トレニアが抱いた第一印象は、それに尽きた。帽子、手袋、靴、そして短い髪。すべてが服と同じように黒一色。きわめつけに、片手には箒を持っている。
魔法使いでマフラーとくれば、トレニアが思いつくものは1つしかなかった。魔道に奉仕する者たちが行う、ある種の贈答の風習だった。
「いらっしゃいませ、
「ん、10歳のお祝いにね。まだまだ先のことなんだけど」
「大丈夫ですよ、そういう方はよくいらっしゃいます。……これは同業者から聞いた話なんですが、お子様が2歳の時にご来店された方もいるとか」
真面目くさった顔で告げたトレニアに、魔女はぷっと吹き出した。
「それは大変ね、10歳まで見つからないといいけど。秘匿術をかけて安心してたある日、当の子供がそれを解いてしまい……なんて、よくある話だし」
「ええ、だから最近はそういう配送サービスもあるらしいですね。何年後でも関係なく、指定日に届けてくれるっていう」
「へえ、そうなの。……でも、ねえ?」
この国だから、たかが知れてる。
言外に匂わされた部分で、トレニアと女性の見解は一致したらしかった。同時に顔を見合わせ、困ったように苦笑した。
良く言えばおおらか、悪く言えばおおざっぱ。
ゼンヨウ羊毛店が開業した場所は、そういう風土の街だった。
素焼きレンガのオレンジ屋根と、漆喰の白壁が名物の土地。その一角に、トレニアは十数年前から店を構えていた。小さな店ではあるものの、丁寧な仕事が話題を呼んだ。
特に、魔法使いには好評だった。とかく
目の前の魔女も噂を聞きつけてきた手合いだろう、とトレニアは当たりをつけていた。
はたして、魔法使いはこちらをうかがうように「ところで」と口を開いた。
「このお店、マフラー作ると10歳の誕生日まで預かってくれるって本当?」
「はい、おかげさまで魔法使いの方々に多くご利用いただいているので。ただいま感謝を込めてのキャンペーン中です」
トレニアとしては、元々は発送まで店で請け負うつもりだった。ところが、実行まであと一歩というところで、常連客に渋い顔で止められたのだ。
『悪いこと言わねえから、それだけは止めときな。俺たちとあんたたちが、どうして共存できてると思う? 誰も俺たちの
魔法使いがどこから来てどこへ行くのか、誰も知らない。
そういう人々なのだと、トレニアをはじめ世間一般には認識されていたが、実際にはいささか複雑な事情があるようだった。
配送というからには、当然相手の住所が必要になる。トレニアの親切心は、魔法使いたちをいたずらに刺激しかねない。
件の常連は、戦争になるぞと脅すだけ脅して帰っていった。
そこまでの事態に発展するのは、当然本意ではない。かくして女店主は、サービス内容の修正を余儀なくされたというわけである。
そんな経緯を知るはずもない女性客は、トレニアの返答を聞くやいなや面を輝かせた。
「ありがとう、本当に助かる!」
そしてトレニアの両手を、手袋のままで握り込んだ。革製の手袋越しに、客の熱が伝わるような錯覚を覚えた。
こういう時、トレニアの胸はいつも暖かいものでいっぱいになる。感謝されて悪い気はしないというのもあったが、それよりも誰かの役に立てた嬉しさが上回った。
「とんでもない、私の方こそありがとうございます。さ、こちらへ」
手を離した魔法使いは、促されるままカウンター前の椅子に腰を下ろす。
「お色味はどうします?」
「白がいいかな。黒によく映えるもの」
トレニアは、店内に展示していたマフラーやセーターをいくつか抱えて舞い戻る。そうして、魔女の目の前で、腕の中の品物をひとつずつ広げていった。
「白となると、うちではこのあたりの素材ですね。メリノ、ヤク、カシミヤ……あとは白バフォメット」
「バフォメット? 子供にはまだ早いと思うけど」
「最近は魔力酔いしないレベルの毛質になってるんですよ。ほどよく弱体化できる召喚陣が公開されたとかで」
「そうなの? やだな、全然知らなかった」
「いえいえ、私も業者さんから聞いただけですから」
並べられた見本を触りながら、魔法使いはしばし思案の表情を浮かべていた。素材を吟味している場面だというのに、手袋をはめたままなのが、トレニアは少し気になった。
「どれも憑依加工はできるんだよね?」
「そうですね……お客様にお願いすることにはなりますが、下位級の使い魔を憑かせる程度の強度はありますよ。ご希望なら憑依不可の素材も、」
トレニアが言い終わるより先に、相手の首が横へと振られた。
「んーん、憑依対応のカシミヤにして。それと、模様編みも頼める?」
「ええ。保護紋様ですか?」
定番の
「ああごめんなさい、そういう柄物にしてってことじゃなくてね」
宙を指した指が、虚空をそっとなぞった。不規則な動きのあとを辿るように、赤い軌跡が残り、ひとつの図面を描いていく。
ごく簡単な魔法のそれは、街中でも時折見かける代物だったから、トレニアはたいして驚くこともなくその光景を眺めていた。
絡み合う蛇のような太い鎖模様と、両脇にそびえたつ幾何学めいたデザインの木が2本。
最終的に出来上がったのは、そんな紋章だった。
「こういうのなんだけど」
「
客は頷いた。人好きのする笑みの中に、こちらを値踏みする気配が見え隠れしていた。
「そ。これを模様編み。どう? できる?」
「ええ、お任せください」
トレニアはあっさりと承諾した。
これより難しい編み物は、今まで何度も受けてきている。この地で十数年を生き抜いてきた自負と余裕が、トレニアの口を動かした。
カウンターの向こう側で、ふたたび輝くような笑顔がきらめいた。疑念めいた色が晴れるのを、トレニアは確かに認めた。
「よかった! あ、それと、端は普通のマフラーと同じで……こんな感じにしてほしいかな」
女は、見本の1つを手に取った。布の端に細長い毛糸が何本もついて、房のようになっているそれは、俗に『フリンジ』と呼ばれていた。
「かしこまりました。……ところで、失礼でなければお訊きしたいのですが」
お子さんは、おいくつなんですか?
他愛のない、世間話の一環だった。
だから、対面の魔女が謎めいた笑みを浮かべたときも、トレニアはさほど気に留めなかった。
「さあ、いくつだと思う?」
「5歳くらいですか?」
「はずれ。もっと下」
「……3歳?」
「違う違う。さっきお話に出た人より、もーっと下」
つまり2歳未満。ならば1歳か、もしくは生まれたばかりの二択に自然と絞られる。
思案するトレニアの前で、客はふと目を伏せた。黒い手袋をはめたままの片手が、服の上をすべるように動いた。
ゆったりとした黒衣の、ひときわなだらかなところ。みぞおちからまっすぐ下腹部へと下りてゆき、そこで手を止める。
その動きに、思い当たる答えがあった。
「……まだ、生まれていない?」
「正解。今、ちょうど4ヶ月目でね」
いたずらっぽく笑う魔法使いに、いよいよトレニアは絶句した。
妊娠時点での注文など、同業の誰からも聞いたことがない。気が早いにもほどがあるだろう、とはさすがに言わなかったものの、いくらなんでもと内心で呆れ返った。
「それはまた……」
トレニアの言葉は、最後まで続かなかった。
「時間がないんだ。私、もうじき猫になるからね」
魔女は事もなげに、突拍子もないことを口にしたのだ。
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