第3話 甘い囁き
でも、気づけば俺は首肯していた。
屋上に吹く風が、肌を優しく撫でるように流れていく。
俺から顔を離す
「これで、契約完了」
「え、契約!?」
「今、確かに頷いたよね。これから確かめるって」
「そうだけど……」
「これから一緒に行動してくれるってこと、でしょ? 作戦の話を始める」
予め用意していたかのような言葉を並べ、胡桃は一人勝手に話を進めてしまう。
「作戦? 何の……」
「決まってる。あなたを裏切った人間への復讐作戦」
初めて胡桃の唇が弧を描いた。
そしてようやく気づく。
俺の味方、裏切られた人の気持ちが分かる、一緒に行動。胡桃は俺と共に、瑠璃と翔への復讐を行うつもりのようだ。
いや待て。大前提としてこれを聞いておきたい。
「……君、初対面だよね? 本当に俺のこと知ってるのか?」
「ええ、よく知っている。あなたが昨日、カフェで浮気現場を目撃したことも、その後彼女にラインであしらわれたことも知ってる」
「本当、何者なんだよ、お前……」
胡桃が俺をじっと見つめてくる。
目を合わせていると、瞳の中に渦巻く闇に飲み込まれそうになってしまう。
「それだけじゃない」
「え?」
「あなたが今、クラスで孤立してること。あなたが一人の人間として壊れかけていること。そして、あなたがどうしたら胸の痛みを消せるのか分からずにいること」
ここまで言われてしまったら疑いの余地など無くなる。
俺は全てを把握され、内面までも見透かされているのだと悟った。
でもどうやって……そう問い正そうと思ったのだが、気づけば俺は胡桃の声に聞き入ってしまっていた。
やはり彼女の声は、不思議と耳に心地よかった。
無機質なのに、まるで傷ついた心を撫でるような、柔らかく甘い声。
「桜先輩」
彼女が俺の名前を呼ぶんだことで、ようやく我に返った。
「作戦の話に戻っていい?」
「いや待て待て。俺のこと、何でも知ってるみたいだけど初対面には変わりない。それなのになんで君は、無関係な俺の復讐なんて手伝おうとする?」
「私は裏切られた人の味方。ただそれだけ」
つまり、俺だから味方するってわけではないってことか。
話は大体わかった。俺の情報をどうやって集めたのかはわからないし、むしろめちゃくちゃ怖いのだが、今はそれよりもっと決断しなくてはならないことがあった。
……俺は本当に、復讐を望んでいるのか?
「俺、よくわからなくて。裏切られたことはショックだったけど、わざわざ仕返しをしてやろうとは思わないというか」
人間、大きな絶望をすると気力が無くなり、報いを受けさせようという恨みの感情すら沸かなくなるのだと今回知った。
それと同時に俺の中では、翔や瑠璃みたいな陽キャとは、恋人であったとしても、幼馴染であったとしても、結局のところは共存することが不可能なんだいう諦念が生まれてきていた。
胡桃の語気がほんの少しだけ強くなる。
「あなた、心が痛くないの?」
「痛いよ。でも俺にはもう復讐する気なんて……」
「想像して」
「え?」
「橘瑠璃と桑原翔が、クラスで孤立した未来」
アイツらが、今の俺みたいに孤立……言われた通り想像してみる。
そして、その姿が明白に思い描けた瞬間、自分の思考が魔物か何かに取り憑かれたような感覚がした。
――ああ、そうか。
俺は被害者になって、「仕方がない」と折り合いをつけることによってこの問題から逃げようとしていたんだ。楽をしようとしていた。
これ以上傷つくのが嫌だから。
でも、それで本当に良いのか?
俺は瑠璃と翔を許して、本当の自分の思いを押し殺して日々を過ごし、そのまま卒業するつもりなのか?
俺は胡桃に一歩近づき、腹の底から声を引っ張り出した。
「アイツら、ぜってー許さねぇ!!!!」
「それでいい」
「ああ、俺決めたよ……ひぇっ!」
胡桃に顔を向けると、そこには弓なりに目を細め、歯を剥き出しにして狂った笑みを浮かべる胡桃の姿があった。
あまりの恐怖に戦慄し、俺は反射的に彼女から距離をとってしまう。
「み、水無月さん……?」
声をかけると、胡桃の笑顔は一瞬にして消え去り、無表情へと戻った。
何だったんだ、今の……。
彼女は遠ざかった俺に近づき、片手を差し出してくる。
「改めて、よろしく。これから楽しくなる」
言いつつも、声に感情の起伏は伺えない。
彼女が何者かなんて知らない。
でも今の俺にとって、「味方」であるということさえわかっていれば十分だった。
故に返答は決まっている。
彼女の小さな手を力強く握った。
「ああ。瑠璃と翔に復讐するよ」
俺の返答を受け取ると同時に、胡桃はスカートのポケットからスマホを取り出した。
「橘瑠璃と桑原翔。まずはあの二人の裏の顔を暴露するところから始める」
「裏の、顔……?」
***
校門が見えてきた。
昨日の水無月胡桃とのやり取りが、まるで夢の中の出来事だったように感じる。
まだ状況が整理しきれない。
俺はこれから、瑠璃と翔の本性を露見させる。
胡桃の情報が本物ならば、今までよく一緒にいられたなと思う程にアイツらはとんでもない人間だった。
それにしても胡桃、どっから情報を仕入れているんだ……。
あの狂気じみた笑みを見てしまった以上、怖くてとても詮索できない。
いつものように上履きに履き替え、階段を上って教室に入ると、瑠璃の笑い声が聞こえてきた。
俺は思わず足を止める。
「でね、翔のやつ、付き合い始めても何も態度変わんなくてさー。でも、またそこが好感持てるっていうかぁ〜」
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