ローグブライト/好奇心は時に毒となる

「満足したか?」

「えぇ、とても。ただ、新しい疑問も生まれました」

「疑問? 次から次へと湧いて来るな、お前」

「はい。それが私の取り柄なので」

「それで、疑問ってなんだよ。架学についてか?」

「どうやってオドリオンの存在に気付いたか、です。魔法を使える者は現状この大陸には居ない。その認識で間違いは無いはずですが、貴方が語ってくれた話では、魔法を使える者が居なければ成り立たないはずです」

「あぁ、それか。………………そうだな、シーファなら正しく理解するだろう」


 ヴェルドニア・カイの工房一階の作業場に席を用意して貰い、対面する。彼が作り続ける機械たちが床に散らばっている為、立っているままだと踏んでしまいそうだったのだ。


「魔物は魔法を扱うから魔物と呼ばれている。ならば、魔法を扱う事の出来るヒトは魔物なのか。これはそういう話だ。そして、架学の視点で語るならば、魔法を扱う事の出来るヒトと魔物に区別は無い。双方ともに化け物である、学会はそう発表した」

「…………………………」

「そう睨まないでくれ。俺はそう思っちゃいねぇよ。架学としての考えと個人の考えを一緒にしちゃいけねぇ。だが、一つだけ確かな事がある。魔物が使う魔法とヒトが使う魔法に大差は無いという事だ。旅人ならば見た事があるだろう?」

「……ですが、魔物が扱う魔法とヒトが扱う魔法では魔法陣の形状がいささか異なっているようでしたが……」

「…………あ? 待て、見た事があるのか?」

「…………………………い、いえ。見た事ありませんよ。ふふ、そんな訳、無いじゃないですか? ね?」

「────────────もし、本当に見た事があるのなら教えてくれ。魔法陣の形状が違うというのは具体的にどう違う?」

「……………………み、見た事無いので……解りません」


 誤魔化し方を習うべきだったと猛省しながら、自分の迂闊さを呪っている。嘘を吐いた事が無い彼女にとって誤魔化すという行為は全く慣れていない、未知の行為である。

 彼女の人生において今まで吐いた嘘は存在しない。正直者というより、嘘を吐けない身体というのが正しい。そもそもどう嘘を吐いて良いのか解らないのだ。


「そうか。ま、そうだよな。良し、聞かなかった事にする。シーファが見た事があるんなら、魔法の時代の到来という言葉にも頷ける、か」

「…………………………ところで、先ほどは何を作ろうとしていたのですか?」

「ん、あぁ。自動人形タロースの事か」

「タロース……ですか。確かトロッコを動かしたり鉱山を拓く為に使われている……」

「そうだ。と言っても働かせる為じゃない。戦うためのモノだ。戦闘用特化型自動人形、名付けて魔導リーパーだ!」


 誇らしげに言う彼に、そうですか、とやけに冷めた声で答える。


「魔物と戦うご予定が?」

「インスピレーションが足りない」

「インスピレーション……ですか」

「そうだ、インスピレーションだ! 正直作りたいモノは殆ど作ってしまった。この国でやる事も全てやった。だが架学の手は止まらん。目の前に魔法の時代があるというのなら猶更だ」

「それで魔物と?」

「というより旅に出ようと考えている。のだが、生憎魔導リーパーの完成には目途が立っていない。コアさえ完成していない状況だ」

「設計は済んでいるのですか?」

「設計だけ、な。机上の空論だけで編んだモノだ。それ故今ある素材では魔力伝導の速度が遅すぎる。魔鉄鋼もメテオライトもダリオンフォーミュラも魔宝石でも足りない」


 なるほど、とシーファは頷きながら、心当たりはないだろうか、と記憶を探る。この旅の中で見て来たモノは沢山ある。シーファの識りたがりの性格ももしかしたらこういう所で役に立つかもしれない。


「地脈溜まりに出来るエーテル結晶は如何でしょう」

「近くに無いだろ、それ」

「心当たりならありますが……」

「どこだ?」

「ギアクロスを出て西に進んだ森の中です。ただ確証があるわけではありませんが、地質、植生、生息する魔物から凡その地脈の流れを予想した先が森の中、という事になります。ギアクロスに入る前にあらかた調べ、少なくとも三本の地脈の流れが森に向かっています。そこで合流していれば恐らくは」

「……予測か。しかし一介の旅人がそこまでするか? 随分と変わり者だな」

「旅をしてから良く言われるようになりました。気になる事、疑問は解決しておきたいので、なるべく調べる様にしているんですよ」

「そうかい。決まりだ。俺をそこに連れて行ってくれ」

「私だけで採りに行こうと思っていたのですが」

「馬鹿言え、着いて行くさ。試したいモノもあるからな」


 彼は部屋の隅に目をやる。そこにもまた機械が転がっているが、一体どれの事を言っていたのだろう。片付けくらいしたらどうか。


「採りに行くのにどれくらい掛かる?」

「どうでしょう。絞り込めるとは言え森ですから、少なく見積もって三日程でしょうか」

「そうか。シーファはいつまでこの国に滞在するつもりだ?」

「ギアクロスを出るのは五日後です。路銀も確保出来ましたし」

「そうか。では報酬の話をしよう。こういった採取系の依頼の相場はいくら程だ」

「エーテル結晶となると、採取出来る量にもよりますが五万程でしょうか。森というロケーションを含めるとそれくらいになります。森は危険ですから」

「達成報酬で良いのか? 先払いか?」

「本来であれば、探索に向かう前、そして入手した後の二回に分けて報酬を頂くのが通例なのですが、今回は私もエーテル結晶には個人的に用がありますので、共に来るというのであればその護衛として受けさせて頂き、報酬も後払いという事にしましょう」


 ヴェルドニア・カイは工房の所長だ。その分職業的に信頼を置ける。所長の様な人物が依頼代をバックレたとあれば、他への信頼が落ちてしまうだろう。それは彼にとっても避けたいはずだ。ならば後払いで結構。シーファからすれば無料でも良いと思っていた。エーテル結晶に用があるのは嘘ではないらしいしな。


「了解した。出立は明日で良いか?」

「えぇ。明日、私のお仲間さんも連れて参ります。待ち合わせ場所は、関所前でよろしいですか?」

「あぁ。それで構わない」

「では、また明日。あぁ、そうでした。私達と共に来るのでしたら、巻き込まれる覚悟をしておいてください。後には戻れませんよ」

「────────魔法の事だな?」

「ふふ、さぁ。それはどうでしょう。ではまた明日。関所前にて」

「あぁ」






「おはようございます」


 翌日、関所の前でシーファはユメを連れて彼を待っていた。


「シーファ、彼が昨日言っていた所長のヒト?」

「えぇ。架学者のヴェルドニア・カイさんです」

「よろしく頼む。戦闘経験はからっきしだが、脚は引っ張らない様に尽力するつもりだ」


 機械を試すような発言をしていた割りに、案外軽装で集合場所にやって来た。背中にはマスケット銃が携えられている。恐らく昨日シーファが撃っていたモノの改良版のようなモノだろう。


「(ねぇ、シーファ、魔法使って良いの?)」


 ユメがヴェルドニア・カイには聞こえない様に顔を近づけ小声でシーファに問う。


「(小さな魔物は私が相手をします。強力なモノが居た場合は躊躇わなくて構いません。死んでからでは遅いのですから)」

「(ん、解った。そうする)」


 ユメは頷くと、ヴェルドニア・カイに向き直る。


「あたしはユメ。えっと、よろしく」

「赤茶色の猫虎びょうこ族は珍しいな」

「うん、良く言われる。でも多分他の猫虎族と変わりは無いと思う」

「では行きましょうか。三日程の旅になります。えぇと、カイさんにとっては長い旅になるでしょう。辛くなったら言ってください。休息を取りますので」

「悪いな。工房で座りっぱなしだから、お前達程体力がある訳じゃないかもしれない」

「あたしも体力ある方じゃないから大丈夫! 一緒に頑張ってシーファに着いて行こうね!」


 歩き出したシーファの後を追う様に、ユメとカイも歩き出す。旅人が関所を出る場合、一時外出許可証というモノが必要になる。関所にて発行出来るモノで金が掛かってしまうが、一時外出許可証を発行せずに外に出てしまうと再び入国の手続きを行わなければならない。そしてそれもまた一時外出許可証の数倍の金が掛かる。

 ので、旅人にとっては馴染み深いアイテムだ。旅人は立ち寄った国で路銀を稼ぐ為に、冒険者として依頼を受ける事が多々ある。その際街や国を出る事もあるのだ。


「お前達は二人で旅をしているのか?」

「うん!」

「女性二人だけだと危ない事も多いんじゃないのか? 自治外では盗賊が今も居るって聞くが」

「うーん。不思議と出逢った事は無いなぁ。シーファは出逢った事ある?」

「いえ。顔が見えないのと大き目な剣を背負っているので見つかっても警戒して襲って来ないのだと考えていますが……」

「ま、そういう事が無いってんなら安心か」


 実際、深くフードを被り剣を背負っている所為でシーファの性別は一見分かりにくい。ユメやカイだって、声を聞くまでどちらか判断出来ずに居た。女性だと解ってユメは少しだけ安心していたし、カイも警戒を和らげていた。女性だからと言って安心という訳ではないのだが、まぁ気持ち的には少し楽になったのだろう。

 傍から見れば不審極まり無いからな……。


「五日後また旅に出るのに時間を取って貰って悪いな。準備もあっただろうに」

「私もエーテル結晶には用がありますので、物のついでという事で」

「用があるって、一体どうして。エーテル結晶なんて一般人にとっては無用の長物だろ?」

「興味があるのです。貴方と一緒で私も知識欲には自信がありますので」


 エーテル結晶は地脈溜まりに出来る美しい結晶群から採取出来る素材だ。本来気体の様に漂うエーテルが水に溶けだし、その中で堆積し結晶化する珍しい素材である為、市場にはあまり出回らない。それ故に大抵の場合冒険者に依頼を出し採ってきてもらうのが職人たちの常識だ。


「しかし、近くの森の中に地脈溜まりがあるなんざ聞いた事が無いが、本当にあるのか?」

「えぇ。あるのは間違いないはずです」


 地脈溜まりにはその超高濃度のエーテルに寄せられた魔物が生息している場合がある。結晶を喰らい成長する魔物も存在する為に、正直冒険者に取っても報酬が良くても受けたくない仕事ではあるのだ。

 それでもシーファが快諾、というか自分から申し出たのにはいくつか理由がある。


 一つ目は、純粋に興味があったから。これまでずっと述べている様にシーファの好奇心というのは言葉を覚えたばかりの幼児の様に留まる事を知らない。知らない事を耐えられないのではなく、識るという事に快感を覚える一種の趣味趣向なのだが、ちょっと異常だと言われても仕方ない部分が多い。


 二つ目は、暫く魔物との戦闘を行っていない為、身体が訛ってしまう恐れがあった為、旅を続ける前に一度慣らしておきたいと思ったから。旅人に取っては戦う術を持つ事は絶対条件ではない。そもそも魔物の生息域に足を踏み入れなければそう何度も魔物と相対する事は無い。基本的に避けるべき相手というのが魔物という存在だ。

 だがユメの魔法がある彼女達にとっては避けるよりも下した方が速い場合もあるのだ。疲れるけど。


 三つ目は、これはまぁ、後で解るだろう。


「どうやって探すつもりだ?」

「魔物の痕跡を集めるんだってさ」

「痕跡?」

「地脈溜まりがある場所はそこを中心に魔物の生態系が形作られているらしいんだ。だから近づくにつれ強力な魔物が生息していて痕跡も多くなるんだよ」

「なるほど。魔力がどうこうの話じゃないんだな?」

「あはは、魔力を頼りに探すなんて無理だよ。エーテル結晶は魔力放ってないもん。探知出来るのは精々魔物くらいだよ?」

「ん、まぁそうか」


 シーファの代わりにユメが彼の疑問に答えている。こういった説明事はシーファではなくユメの方が上手なのだ。沢山の旅人の話を聞いたからか、話しを纏めるのが上手いのだ。とは言えこの知識もシーファによるもの。


「二人は旅を始めて長いのか?」

「半年くらいかな。思えば長いような短いような。楽しいからすぐ時間過ぎちゃって」

「楽しい、か。羨ましい限りだ」

「大変な事も多いけどね。ほら、シーファって好奇心旺盛だからさ、珍しいモノ見たら目を輝かせながら観察し始めたり追いかけ始めたりするんだよ。この前なんて、グロストダインって背中に鉱石が生える特殊な虫を見つけて三時間くらい追いかけ回してたからね」

「想像に難くないな……。俺の工房に訪れた昨日も二時間程機械を触ってこれはどういう構造かを熱心に聞いていたよ。嬉しい事ではあるんだがな」


 シーファはその話を聞きながら少しむっとしたが何も言い返せないのであった。気になるから仕方なくないですか? なんて言うと、気になったからって言ってこの後の予定後回しにして良い理由にはならないんだよって怒られてしまうだけだ。


「お二人とも、この先は魔物の生息域です。お気をつけて。魔物は私が相手しますので、お二人は私の後ろに隠れていてください」

「いや、俺も手伝う。その為にこいつを持って来た訳だしな」


 彼は背中に携えた銃を指差す。


「解りました。では援護は任せます」


 今回はカイが依頼者という立場になる。その為本来であれば戦闘には参加させたくないというのがシーファの本音だが、依頼者がそう言うのであれば仕方ない。元より試したいモノがあるとは言っていたが、銃の事だったのだろうか。


「ユメさん、警戒をお願いしますね」

「うん。任せて」


 猫虎族特有の聴力と嗅覚に頼るという事だ。決して魔力的なアプローチを期待している訳じゃない。この半年でユメは魔法の腕をかなり上げた。マーキングがあればどこへでもテレポートを行えるくらいには。時間制限付きではあるが、魔力が尽きぬ限り詠唱さえどうにかすればどこへでも。

 とは言え、この旅でテレポートを使う事は殆ど無い。強力な魔物に出会った時撤退する時には使うが、それ程の強力な魔物が出現する場所には極力近づかない様にしている。旅は安全が基本なのだ。

 シーファの好奇心の所為でそれも危うい場面はあるが……。


 森へ続く道はまだまだ続く。魔物の生息域に足を踏み入れて暫く、近づいて来た魔物は物陰に隠れるなりしてやり過ごしていた。どうしても避けられない魔物と遭遇したのは、数十分経ってからだった。


「シーファ、強いのが来る。多分避けられない」

「解りました。ではユメさんは後ろへ。私が前線を。カイさんは、援護をお願いします」

「お、応。任せとけ」


 カイと呼ばれて少し驚いた様子を見せるも、彼は背中の銃をしっかりと握る。シーファは剣を抜き、襲来に備える。


「匂いが近い…………っ! シーファ! 上!」


 その声に釣られるように上を見上げる。


「コンドルですか」


 ヴェクトールコンドル、巨大な鳥類を模した魔物だ。翼開長は三メートルを超える。旅人の間では荷物を盗まれる事もあるらしくとても厄介な相手だ。


「撃ち落とせば倒せるか?」


 ヴェクトールコンドルはシーファ達を見つけ、上空を旋回している。円を描くその姿は、魔法の前兆。旋回し描いている円がそのまま魔法陣となるのだ。


「必ず」

「よし、言ったな」


 カイは手にした銃を空へと向ける。ガシャンっ! と何かの機構が動き出した音と、淡く光る銃口。魔力が装填され、装填された魔力は形を変える。魔力を物質化し、弾として装填したのだ。照準はグルグルと回るコンドルを正確に撃ち抜く為に空へ向いているが、未だ安定していないようだ。動き回られるとやはり狙いにくいのだろう。


装填完了リロード照準固定カウンタースコープ構造式収束トリガーオフ


 次々と並べられる言葉と共に、銃がガシャンっと音を立て変形する。ただのマスケット銃だったはずなのに、いつの間にかライフルへと変化している。


初撃アン双撃ドゥ巴撃トロワ


 一つ二つ、最後に三つ目。魔力によって作られた弾丸が、彼が引き金を引く度にその場に設置される。空中で停止して、指示を待っているようだ。


魔力弾総射マナズデッドライン


 最後にコンドルに向けて銃の引き金を引くと、設置した全ての弾丸と、最後に引き金を引いた事で発射された弾丸が同時にコンドルへと一斉総射された。回転を加えられた弾丸は真っ直ぐ空へと飛んでいき、コンドルの左右の翼を撃ち抜いた。完成間近だった魔法陣は壊れ、コンドルはそのまま自由落下してしまう。


 シーファは剣を携えたまま走り勢いままに、落下してくるコンドルの首を断ち切る。


 コンドルは首を断ち切られた後も暫く動いたが、すぐに生命活動を停止してしまった。少し可哀想だが、これも魔物だ。あんな上空から魔法を使われては対処が難しい。魔力障壁による防御もあるが、魔法は撃たせないに限る。


「まずまずといった所か。試運転にしては良い結果だ」


 カイは満足そうに銃を背に戻す。いつの間にか形状もマスケットに戻っている。一体どういう構造なのだろう、とシーファが興味を持ち始めている事に気付くと、彼はシーファから目を逸らした。


「……………………」


 暫く考え込んだシーファは結局カイに問う事は無く、先を急ぎましょう、と歩を進めた。

 シーファはついに我慢を覚えたらしい。ユメがとても驚いた表情のまま固まってしまった。本当に珍しい。何か悪い物でも食べたのだろうか。それとも体調を崩してる? 大変だ、今すぐ休息を取るべきだ。


「……何ですか?」

「いや、別に」


 ユメは慌てて誤魔化してシーファの後に続く。カイは肩を竦めて、言わんことは解る、とユメにアイコンタクトを送る。ユメはだよね、おかしいよね!? と頷いた。


「私だってたまには我慢します」


 ちょっと不貞腐れた態度のシーファは心なしか歩く速度を速めた。





「着きました。ここからは、より危険な魔物が出現します。一層気を引き締めて最深部へ向かいましょう」


 シーファの言葉に二人を頷く。ヒトの手があまり加わっていない神秘の森は、鬱蒼としていて、小鳥の声は勿論、大型の動物の鳴き声や足跡も至る所から聞こえてくる。ユメにとっては、絶好の狩場に映るだろうか。

 とは言え、魔物の気配も濃い。普段外に出て魔物と対峙しないはずのカイにもその気配が手に取るようにわかる程、この森では魔物は身近に存在している。避けるのは難しいだろう。


 森は視界が狭く見通しが効かない。加えて足場も悪く、不意の攻撃に対応しにくい。


「獣道を探します。魔物や動物と遭遇する確率は上がりますが、こういった森の獣道の場合、魔力溜まりに通じている事が多いはずです。迷うよりはよっぽどマシでしょう」

「賛成。あたしの鼻なら、獣の匂いを辿って道を探せるかも」

「便利な鼻だな」

「獣人だからね。ここはあたしを頼ってよ」


 えっへんっと胸を叩いて、ユメはすぐに鼻をくんくんと鳴らして周囲を探る。


「……こっち。悪いけど、あたしは後ろに回るから、お願いねシーファ」

「えぇ」


 シーファは頷いて、ユメが指差した方へと歩みを進める。獣臭が濃い。獣人では無いシーファにも解るくらいに、獣が近くで生活している。

 襲ってくるような気配はないが、警戒は怠らない。


 森で一番怖い事は、方向感覚を失う事だ。だから大抵の場合は木に印を付けて帰り道を確保するのだが、今はユメが居る。ユメのテレポート先は現在宿の中に設定されている。一度限りにはなってしまうが、マーキングは紙に描き、壁にでも貼っておけば良い。だから今回に限り、魔法でテレポートする事が出来る。例え迷おうが一瞬で宿に帰れるのだ。だからこそ、彼女達は何の躊躇いも無く森へと入っていける。


 無論、危険なのは動物や魔物だけではない。虫による感染症や毒を貰ってしまう可能性もある。常に厚着であるシーファは問題ないとして、架学者として相応しい恰好をしているカイも、分厚い素材の白衣と足首まで隠れるズボン、そして手袋をしている為、まぁ及第点だろう。だが、ユメは薄着のままだ。正しくは、街に居るだけならば何も問題ない服装だが、森に出るにはちょっと……どうなんだ? というような服装。

 だが彼女なりの対策は施している。それは魔力で身体全体を覆う事である。彼女の魔力量から考えて、二十四時間は余裕で保てるだろう魔力の膜を纏っている。触った感触も匂いも何も変わらないが、魔力の層が彼女を覆って、虫の毒牙や毒針を通さない様にしている。

 最初シーファが目にした時、目を輝かせて教えてください! と何度もせがんだが、ユメにとっては感覚で行っているモノで、ヒトに教える事が出来なかった。


「シーファ」

「了解です。カイさん、前方から来ます」

「あ、あぁ。名前呼んだだけで解るんだな?」


 シーファは剣を取り、カイはその手にマスケットを握る。前方に現れたのは、鹿。二本の立派な角に、茶色い身体の四足歩行。一見ただの鹿に見えるが、違う。角と角の間にがある。物理的な目ではなく、魔力によって生成されたシックスセンス超感覚を象徴する目だ。あれは恐らく魔力の流れを読む為に出来たモノ。この森で生活するには地脈を読み取り、中心の泉に辿り着くのが手っ取り早い。ここで生きて行く為に進化した種だろう。


「……名称不明。何をしてくるか解りません。慎重に行きます。ユメさんはもしもの為の準備を」

「わかった」

 

 鹿と目を合わせたシーファが絶叫を上げる。


「キィィィィヤァァァァァァァァアアアァァァァッ!!」


 と甲高い声で。それに驚いた鹿が一瞬たじろいだ様子を見せ、ついでにカイも呆気に取られている。シーファは構わず地を蹴り、木々を蹴飛ばしながら鹿へと距離を詰める。

 剣を振り下ろし、鹿に切りかかると、鹿の寸での所で剣が止まってしまう。


「……?」


 魔力障壁で防がれた? いや、違う。何かにぶつかった感覚や音は無い。シーファは距離を取って首を傾げた。


「シーファ?」

「……………………カイさん、引き金は引けますか?」

「いや、指が動かん。俺はどうやら鹿を撃てないらしい」

「そうですか」


 あの目の所為だろう。あの目が合っている間は、攻撃が出来ない。その証拠として、カイは他の場所に照準を合わせ引き金を引くと、軽快な音が響いた。


「厄介ですね。こうなれば頼みの綱のユメさんもダメでしょうし」

「あの目を潰さなければどうにもな」


 シーファは再び木々を蹴り、鹿へと距離を詰める。攻撃的な意思は今のところ見えないが、何をしてくるか解らない。早々に決着を付けたい訳だが……。


 シーファは鹿の背後へと回り再び切りかかる。


「……ッ」


 やはり触れない。魔力の目は、前後ろ関係無いらしい。三百六十度全て見通している。魔物としては弱いが、不覚の攻撃でなければならないらしい。


「直接的なアプローチは受けつけない……という事でしょうか」


 鹿は、余裕綽々と言った感じでシーファに振り返る。


「シーファっ!」


 ユメが警告を告げる。鹿の内部で魔力が急速に回転を繰り返し、角の間の目が巨大化する。

 ドクンッ! と脈打つように膨れ上がった目が、シーファを捉え続ける。


「……っ」


 心臓がキッと締め付けられるような感覚になって、思わず押さえつける。


「……ッ、これは。呪い……の、類……ですかっ」


 視線を外さなければならないのに外せない。釘付けにされてしまったかのように視線を動かせない。

 マズイ。このままだと心臓を潰される。


「シーファッ!」


 カイが叫びながら走る。瞬時に状況を判断し、彼は急いでシーファと鹿の間に割って入る。勿論鹿に背を向けて。


 シーファの視線から完全に鹿が居なくなると、心臓の痛みは無くなった。あの目を見ている誰か一人を対象とした呪い。厄介極まり無い。目を合わせてはいけないと解っているが、目を合わせなければ位置が分からず攻撃が出来ない。


「助かりました、カイさん」

「いや、良い。どうする? このままじゃいつかやられるぞ」

「……試してみたい事があります。今はもう目も膨張していませんし、あの鹿の足元は撃てますか?」

「……あぁ、撃てる」

「なら私が合図したら撃ってください」


 カイは頷いて、シーファはすぐに行動に移した。鹿から少し距離を取り、彼女は木の裏に隠れる。


「何するつもりだ?」


 鹿と対峙したままのカイは、鹿に銃口を向け、気を引き続ける。


 シーファは剣を木に対し構える。


「ドゥームブレイカー」


 剣に集めた魔力が幾千の光の粒となって放たれる。宝石の様に煌めいたそれは幾本かの木に深い切れ込みを作り、少しでも押してしまえば折れてしまうくらいに調整された。


「カイさん、お願いします」

「……あぁ」


 彼が引き金を引くと同時に、シーファは木を押す。すると折れた木が丁度、驚いて逃げようとした鹿に向かって落下する。ズンッと一トンはあるだろう重量が鹿の身体にのしかかる。シーファはそのまま容赦なく次々と木を倒し、鹿を押しつぶしてしまう。


「やはり、間接的にならば、なんとかなるようですね。発動条件は少し疑問ですが」


 完全に押しつぶされてしまった鹿を見下ろして呟く。


「うっわぁ……」


 とユメがドン引きしている。誰だってこんなの見たら同じような反応をするだろう。


「これからも鹿と呼ぶ訳には行きませんね。メデュケルトと命名しましょう」

「俺はシーファが怖いよ」


 冷静に言う彼女にカイも笑うしかない。


「先を急ぎましょう。カイさん、冒険は始まったばかりですよ」

「らしいな。先が思いやられる」

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