第1話 ビビッドな再会



ただひたすらにアイスを貪りながら、虚空を見つめる。つけっぱなしのテレビからは上がり続ける最高気温を嘆くリポーターの声が聞こえてきて、それからエアコンは静かな動作音を立てる。

これが人間の文化的生活かと足をぶらぶらさせていると、机を拭いていたお母さんが思い出したように言った。


「あ、そうだ。今日からすみかちゃん来るからね。部屋、片付けときなよ」

「ふぁーい」

やっぱりバニラが一番美味しいよね。バニラ。


え?

私は遅れてお母さんの発言を飲み込んだ。溶けたアイスの白い雫がぽたんと一滴床に落下する。


「え、誰が来るって……?」

「すみかちゃん。去年言ってたじゃない。こっちの学校通うからって」

「え、っと、すみかちゃんって誰」


お母さんは信じられないと言うふうに目を丸くした。


「ゆーちゃんとこの子じゃない。あんたからすると従姉妹いとこよ、従姉妹。親戚の名前も忘れちゃったわけぇ?」

「あー、確かいたねそんな子」


お母さんは薄情な奴だとか何とか言いながらまた机を拭き始めた。力を入れて擦っているのでテーブルがぎゅっぎゅっと軋む。


ゆーちゃんというのはお母さんのお姉ちゃん。そのゆーちゃんの子供がすみかちゃんだ。確か、最後に会ったのは小学生の時だっけ。誰だかわからないくらい遠い親戚のお通夜だったと思う。多分。言葉を交わしたか交わしていないかすら忘れてしまったけれど、会場の隅っこで恥ずかしそうにもじもじしていたような。



「……え?ここに来るって?その子が?」

「だからー、去年言っといたでしょ。こっちの学校に転校するから引っ越しが終わるまでの間うちで預かっといてくれって言われてるの」


手を休めないままお母さんが答える。いやいやいや。そんな1年も前のことなんて覚えてないし。しかも今日? それに何だか、その子の滞在は1日や2日じゃ済まないような感じだし…… それに! 当日に言うのって、やっぱ急すぎない?? 

で、転校? そういう時って普通家族みんなで引っ越すもんじゃないの? 

とりあえず、私は何をすれば。

いろいろなことが脳内を駆け巡って、そして、私は今一番やるべきことに思い至った。


「部屋、片付けてくるっ!」





まさか同じ部屋で暮らすなんてことはないだろうけれど、同じ家で生活する以上は部屋を見られる可能性もあるわけで。直視することすら憚られるくらい散らかった自室をそのまま見られちゃうと、私のメンタルはおそらく持たないだろうから。階段を一段飛ばしで駆け上がって、私は自分の部屋の扉を勢いよく開いた。


「……」


場を支配した一瞬の沈黙。散乱した衣類の隙間に、白いTシャツを着た女の子が立っていた。何も言わないで、じっとこっちを見てくる。怖いんですけど。


「……えーっと」

てか誰? なんでここに?


「泥棒?」


私がそう漏らすと、その女の子はじーっとこっちを見つめるようにしてから、こくりと一つ、頷いた。

肩までの髪は黒くて艶があった。羨ましい。

じゃなくて。


「えーっと……まさかほんとに泥棒? なの?」

「今日からよろしく」


その子の声を初めて聞いた瞬間、あ、もっと聞きたいなって私は思った。羽毛みたいに柔らかくて、ラムネの瓶越しに覗いた青空みたいに透き通っている。ガラス細工みたいな繊細さもあって、いつまでも耳に残る、そんな声。



とっとっとと、階段を登る音が聞こえた。

2階に上がってきたお母さんは、私と、それから女の子の顔を交互に見て、


「ごめん、先に部屋上げちゃってたの、忘れてた。 この部屋、一緒に使ってね」


てへぺろ、と効果音がつきそうな顔で言うと、さっさと階段を降りていってしまった。


「え、ちょ」

呆然とする。何が起こってるのか、理解が全然追いつかない。


「聞いてなかったの?私が来るって」

「えっと、今日初めて聞いて! いや初めてってわけじゃないんだけど。いやでもほぼ初めてって言うか!」

「ふーん」


その子、じゃなくてすみかちゃんは悪戯っぽい笑みを浮かべていた。何でそんな余裕そうなの!?


「てか、どうしてここに来ることになったの? その、迷惑ってことじゃなくて! 大歓迎なんだけどさ」

すみかちゃんが部屋をさっと見渡して言う。

「……これがその、大歓迎する部屋?」

「すみませんでしたっ」


即謝罪。それしか私にできることはなかった。


「いいよ、一緒に片付けよ」


すみかちゃんは鈴を転がすような声色で、そしてどこか楽しげに言う。


「え、いやでもお客さんにそんなこと……」

「お客さんじゃないし。それにさ」

すみかちゃんはずいっと顔を近づけてきて、囁いた。

「見られちゃまずいものとか、あるの?」

「ないから!」

「じゃあ、いいじゃん。綺麗にしよ?」

「ちょっと、最低限片付けるから! 3分だけ出てて‼︎」


半ば追い出すようにすみかちゃんを扉の外に追いやって、鍵をする。

やっぱなんかあるんだねぇと扉の外から聞こえるけれど気にしない。

えっと、まず片付けなきゃなのは……

頭をフル回転させる。

とりあえず下着類はケースに戻して、漫画とかはクローゼットの上の段に追いやって、後はまあ、大丈夫そうだ。

ふう、とおでこの汗を拭いてもういいよーと扉を開ける。



「ところですみかちゃんさ、私が来る前に部屋漁ったりしてないよね?」

「ひどい言い方。してないよ」

「ほんと?」

「たぶん」

「たぶん!?」

「まあまあ、いいじゃん。まずは服からしまっちゃおう」

「全然よくないけど、うん、そだね……」



すみかちゃんは実に片付け上手で、私が普段片付けにかける時間の4分の1くらいの時間で部屋は綺麗になった。すごい。

心なしか広くなったような部屋を見渡す。

「……片付け師匠だよ、すみかちゃん」

「何それ。ださいね」


私の心からの賛辞はださいねの4字で一蹴された。なんかちょっと凹む。


「あと、同い年なのにちゃん呼びは無いよ」

「あっ、ごめんごめん。すみかって呼んじゃって良かった?」


すみかちゃんは返事がわりに指で丸を作った。


「そっか。私のことも七海でいいからね」

「七海。いい名前だね」

「……ありがと」



ところですみか、後ろに回した右手になんか隠してない?私が覗き込もうとすると、それに合わせてすみかも動いてくるから何を隠そうとしてるのかよく見えない。嫌な予感がした。


「……何持ってるの、すみか」


私が聞くと、これ?と言ってすみかは後ろに隠したものを取り出した。


「ずいぶん派手なの持ってるね、なぎさちゃん」


ひらひらと、私の下着を振りながらすみかが穏やかな笑みを浮かべる。真っ赤なブラ。まだ一度もつけたことないやつ!


「ちょい!」


奪い取ろうとするとひょいっと交わされた。はぁ。


「いいじゃん。女の子なんだし。みんなそんなもんだよ」


下着を持ったままのすみかが歌うように言う。


「みんな……?」

「私も今日、ちょっと目立つやつ着けてるよ」

「へ?」

「見る?」

「……見ません!」


とんでもないことを言う。なんか、そういうところにルーズな子なんだろうか。友達にはいないタイプだ。


「あんまりそういうこと、人前で話したらだめだよ」

「七海だから、話したんだよ」

「え?」

「いとこだもん」

「あ、そうだよね」


血が繋がってる親戚なんだし、まぁ家族みたいなもんだよね。家族にだったら、そういう話もするか。一瞬感じた期待めいた感情を振り払うように首を振る。



「ところでそれ、かわいいよ。似合う」

私が掴んでる赤いブラを指差して、すみかは飄々と言った。

「はぁ!?」

屈辱。隠してた下着を見つけられただけでも恥ずかしいのに!


「どこで買ったの」

「ネット……」

自分の出した声に力がなさすぎてびっくりした。


「よく着けてるの?」

「まだ……」

「ん?」

「まだぁ!まだ着けたことないの!」

「開き直った」

「悪いか!」

「んーん。何でつけないの?可愛いのに」

またそうやって恥ずかしくなるようなことを言う。私の羞恥心メーターは既に振り切れてしまっていて、多分2周目とかに突入しちゃってると思う。


「なんか、その。私、そんなに、無いし? それなのにこんなの着けるのって、ちょっと」

何でこんな馬鹿正直に全部話しちゃってるの、私。すみかを前にするともう何でも言ってしまう。こわい。どんな能力なんだ、それ。


「無いって、そんなにかな」

言いながらすみかは、服の上から私の胸部を眺める。

あの、ちょっと、この子大胆すぎない??

ていうか、

「それ嫌がらせのつもり!?」

私より遥かにサイズの大きいものをすみかは持っていた。認めたく無いけど。


「そんな趣味の悪いことしないよ」

「してるじゃん!」


ははは、とすみかは笑って、また顔を寄せてくる。やめてくんないかな、それ。顔近いの。良い声がダイレクトに脳に届いて、催眠ASMRみたいになっちゃうから。

「触ってみる?」

「え」

一瞬、聞き違いかと思った。

「私の。ご利益あるかもよ」

「はぁ? 」


すみかの顔をまじまじと見る。でも、至って真面目!みたいな表情だった。こいつ、本気だ。


「え、まじで言ってんの」

「まじだよ」

「触んないから!」

「えぇー」

「私そんな、そんな軽い女じゃないし!」


なんだか、必死になって言い返せば言い返すほど、逆効果になってるような気がしなくもない。


「また夜、触らせたげるね」

「うん…… じゃない!」

「今ちょっと揺らいでるでしょ。触るのも案外悪く無いかも、みたいな? それでこのまま会話を続けてるといい感じに私に押し切られて、自分が頷かなくてもその場の流れで実際触れたりするんじゃないか、って、期待してるんじゃない? どう?図星?」

「なわけあるか!」

図星だった。


人の心を読む能力まであるなんて、流石に反則だよ、すみか。


我が意を得たりとばかりににやにやとした表情を浮かべるすみかを横目で見ながら、私は深いため息をつく。



今までのような、なんてことない私の日常は、良くも悪くもこの女の子に壊されちゃうんだろうなって、そんな予感があった。

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