【KAC2025-3】妖精の記憶
一式鍵
🧚♂️はどこにでもいるっす。
子どもの頃には見えていたはず――。
とか、思うのだけど、私にはその「見えていた記憶」が一つもない。飲み会ですっかり出来上がった同僚にそれとなく聞いてみても、「確かに!」と言われてしまう。つまり、誰も「見た記憶」がないのに「見えていたに違いない」と思い込んでいるのだ。
確かに乳児くらいの子だと「なにもないところ」を凝視していたり、「なにか」を目で追ったりする。私たち大人はそれを見て「私たちには見えないものを見ているに違いない」と言ったりするのだ。もちろん、乳児に「何を見てるの?」と聞いても「あーだだーばーぶぶぶー」くらいの回答しか得られない。
「俺、妖精見えるっすよ」
皆ほとんど泥酔しているその中で、ほろ酔い程度の表情の新人が言った。
「お酒強いんだね、アレックスくん」
「西園寺さんほどじゃないっすよ」
山田アレックス。お母さんがアメリカ人だ。彫りの深い顔立ちと、
「西園寺さんにはもう見えないんすか?」
「私には何かが見えた記憶なんてないけど、私の周りの大人はみんな『まことちゃんは絶対何か見えてた』って言うんだよね」
「妖精はそこら中にいるっすよ。なんていうか、ぎょっとするような顔してるんすけどね」
「へえ」
周りは騒がしい。誰も私とアレックスくんの会話を気にしていない。
「どうしてアレックスくんには見えるの? 霊感みたいなやつ?」
「あんな胡散臭い話じゃないっすよ。妖精はただそこにいるだけっす」
「宿題やってくれたり物を隠したりするやつもいるんじゃないの?」
「もしかしたらいるかもしれないっすけど」
アレックスくんはすっかり炭酸の抜けたコーラを飲んだ。
「基本的には奴ら、ボケっとしてるだけっす」
「そ、そうなんだ」
「妖精は見たいと思うと消えちまうっす。関心を持たなければ見えるっす」
「関心?」
「西園寺さんみたいなメンタリティだと絶対に見えませんっす」
「そ、そうなの!?」
「トンボなんかそうっすよね。追っかけたら逃げてしまうけど、そば通り過ぎるだけならじっとしてたりしますよね」
「そ、そうかも」
「そんな感じで意識しないでいると、だんだん見えるようになってくるっす」
「なんか怖いな」
「奴ら何もしませんすから、慣れればどうってことないっすよ」
「でも、お風呂とかトイレにもいるのよね?」
「もちろんっす」
「それは嫌だなぁ」
「風景の一部みたいなもんすよっていうか、そうじゃなかったら見えないっす」
アレックスくんの不思議な雰囲気は、もしかしたらそういうところから来ているのかもしれない。
「アレックスくんは最初からずーっと見えてるってこと?」
「っぽいすね。客観的にはイマジナリーフレンドなのかもしれないっすけど、幻だろうが思い込みだろうが、当人にとっては現実っすからね」
「なんか急に哲学の話になった?」
「つまりっすね、妖精を見ようと思うって時点で、妖精の存在を信じてないんすよ。さっきのトンボの話じゃないっすけど、見ようと思っている時点で逃げられてるってことっす。でも、『こいつ、俺たちに関心がねぇな』って思われたら、奴らは安心して姿を見せるんっすよ」
「つまり、ええと」
私も少なからず酔っている。ちょっと頭が回らない。
「つまりっすね、西園寺さんはもう一生妖精さんを見れないってことっす」
「どうして?」
「キリンってどんな姿してたっすかね」
「え、首が長くて黄色で模様があっておっきくて舌が紫」
「すごいっすね」
舌が紫のところが特に、と、アレックスくんは言う。
「はい、そんじゃ西園寺さん。キリンのことを思い描かないでください」
「え」
「今、キリンが一瞬でも浮かんだっすよね」
「う、うん」
「じゃぁ、次はキリンという存在を忘れてくださいっす」
「そりゃ無理だよ、アレックスくん」
忘れようとするってことは、同時にそれを想像してしまうってことでもあって。よほど急に忙しくなるとか、警察が踏み込んでくるとかしない限り、意識の外に追いやるのは不可能だ。
「そういうことっす」
アレックスくんはニヤッと口角を上げ、目を細めた。
「ま、妖精なんて見た所で何の良いこともないっすよ」
「お風呂とかトイレ覗かれてると思うとちょっとね」
「西園寺さんのお風呂は覗きたいっす」
「どさくさにまぎれて何言ってんの、アレックスくん」
「冗談っす」
「あ、なんかイラッとした」
「嘘っす」
「もー!」
年下の男の子に翻弄される西園寺まこと(32)。
「西園寺さん、二次会行くっすよね」
「え、ちょっと、私このままフェイドアウトしようと思ってるけど」
「そんなら、俺とフェイドアウトするっす」
「えええ?」
「西園寺さんの肩にいる妖精がね、ちょっといい感じなんすよ、うちの子たちと」
「へ?」
「ここが正念場な感じなんで、俺は西園寺さんと付き合うっす」
「え、私の意思は」
「妖精がゴールインしたら西園寺さんはお役御免なので安心するっす」
「いやちょっと待って。なんかイラッとしたよ?」
「お役御免にならないほうがいいっすか?」
「いや、えーと」
翻弄される西園寺まこと。これはまずい。ズルズル流されるやつだ。
「というわけで、西園寺さん行くっすよ」
「え~……」
というわけで。
――私は見事に夜の繁華街に連れ出されてしまったのだった。
妖精さん、お前というやつは。
私の肩にいるというそいつにジト目を送りつけてやる。
『がんばれよ、お若いの。ふぉふぉふぉ』
そんな声が聞こえたような気がした。
――いや、まさかね。
【KAC2025-3】妖精の記憶 一式鍵 @ken1shiki
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