第45話「炎の記憶、鏡に映る影」

夜のヴェルサイユ宮殿。

王妃の居室に横たわるマリーは、静かに息を乱していた。


再び、夢が始まる。


――炎。


――祈り。


――聖旗。


眩い炎の中、誰かが立っている。

それは若く、凛とした瞳を持つ少女――ジャンヌ・ダルク。


少女はゆっくりとこちらを振り向く。


「恐れることはない。あなたは……“まだ仮面を被っているだけ”」


周囲の炎が渦を巻き、マリーを飲み込む。


「真実は、あなたの中にある。

 忘れられた炎が、やがて世界を照らす」


鏡の破砕音――。


マリーは飛び起き、息を呑んだ。

だがその指先には、夢ではあり得ない“灰”が付いていた。


「……これは、いったい……」


震える声が、闇に溶ける。


三銃士は夜通し、危険区域の巡回を続けていた。


シャレットが短剣の紋章を机に置く。


「どこの紋か調べたが……記録が一切ない。侯爵派でも、革命派でもない」


ピシグリューが言う。


「つまり……まだ見ぬ敵がいるってことか」


ド・モードが紋章を指でなぞる。


「この形……古い結社の系統に似ているが、歴史書にも存在しない。

 まるで“記録されてはいけない者たち”の印だ」


不穏な空気が広がった。


リュシアンは、サンジェルマンの密命を受け、王宮周辺を巡回していた。


「……嫌な空気だ。誰かが動いている」


ふいに、上階の窓から一人の女性が歩く姿が見えた。


月光に照らされる白い肌。

漂うような歩み。


――マリー・アントワネット。


しかし、その歩き方は夢遊病のようだった。


(あの状況で……外に出るなんて?)


リュシアンは影を蹴って後を追った。


マリーは静かに中央へ進む。

外界から切り離されたように、彼女の意識は遠くへ漂っていた。


月光が床を照らし、鏡がいくつも彼女の姿を映し出す。


次の瞬間――


鏡の中の“マリー”が、別の姿に変わった。


火の粉を纏った鎧。

聖なる旗。

凛とした眼差し。


ジャンヌ・ダルク。


マリーは息を呑む。


(……また……この人……)


鏡のジャンヌは、手を差し伸べるようにして言う。


「炎を恐れてはいけない。

 あなたの中に眠る力は、まだ目覚めていないだけ」


その声が消えた瞬間、鏡がひび割れ――光が爆ぜた。


「きゃっ……!」


マリーの身体が崩れ落ちる。


その瞬間、影が飛び込んできた。


「危ない!」


リュシアンがマリーを抱きとめた。


腕の中で震える王妃。

その瞳が薄く開き、彼を見つめる。


「……あなた……は……誰……?」


リュシアンは答えられなかった。

ただ胸の奥から湧き上がる感覚に従い、言葉を紡ぐ。


「わからない。

 けれど……あなたを守らなきゃいけない気がするんだ。

 理由なんて、説明できないけど……」


マリーの瞳が揺れる。


そのとき――冷たい声が二人の背後から響いた。


「守るべき“理由”は、いずれ思い出しますよ。リュシアン」


サンジェルマン伯爵が影の中から姿を現す。


リュシアンは驚いて反射的に半歩下がり、鋭い目で伯爵を見据えた。


「……伯爵。なぜあなたがここに?」


伯爵は微笑を浮かべ、静かに答える。


「恐れる必要はありませんよ、リュシアン。

 あなたは“使命”のためにここへ導かれている。ただ――まだ理由を知らぬだけ」


「使命……? 説明してくれ。何が俺に起きている?」


「いずれ分かります。

 今は、彼女を守る。それだけ理解していれば充分です」


「あなたの役目は、まだ始まったばかりです」


「役目……?」


「ええ。

 “時の継承者”は、必ず彼女の前に現れるものです」


リュシアンは言葉を失い、マリーをそっと床に降ろす。


マリーは震える声で問いかけた。


「伯爵……私に、何が起きているの?

 私は……誰なの……?」


伯爵は優しく微笑み、答えた。


「それを知るのは、まだ早い。

 ですが――目覚めは、すぐそこまで来ています」


伯爵がマリーを抱き上げ、去っていく。


リュシアンは残された鏡を見つめた。


ひび割れた鏡の奥――

そこに、炎の少女の“影”がふっと浮かび上がり、


「目覚めの時は近い……

 我らの戦いもまた――」


と呟き、闇に消えた。


リュシアンは拳を握りしめた。


「……俺は、何に巻き込まれた……いや――

 何を思い出しかけている……?」


夜のヴェルサイユが、静かに、しかし確実に変わり始めていた。

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暁のマリーと三銃士 @Ilysiasnorm

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