第16話 囚われの革命家

パリの夜は冷たい。星も見えない曇天の下、リュシアンたちは小さな路地に身を潜めていた。


「デムーランが拘束されているのは?」


アンドレが低く尋ねる。


ジャン=ポールが小声で答えた。


「コンシェルジュリだ。ロベスピエール派の衛兵に連行されたという情報がある。」


コンシェルジュリ——かつて王宮の一部だったが、今は革命裁判所の被告たちが収容される監獄。多くの反革命派がここで処刑を待った。


「まだ裁判を受けていないなら、尋問中のはずだ。」 リュシアンが言った。「だが、時間はない。ロベスピエールが本格的に粛清を決めれば、手遅れになる。」


アンドレが頷く。


「計画は?」


リュシアンはポケットから先ほど解読した手帳のメモを取り出し、簡単な図を描いた。


「サン=ジュストの手帳によると、コンシェルジュリの地下には一部の高官しか知らない隠し通路がある。もともとは王族や貴族の逃走ルートだったはずだが、今は秘密裏に使われている。」


仲間の一人が驚く。


「そんな抜け道が?」


「ただし、扉は封鎖されている可能性が高い。だから、正面から潜入しつつ、地下の通路を開ける二段構えで行く。」


アンドレが腕を組み、考え込んだ。


「正面からの侵入……やるなら、衛兵になりすますしかないな。」


「その通り。衛兵の交代時間を狙って、内部に入り込む。」


「よし……準備を始めるぞ。」


数時間後、リュシアンとアンドレは衛兵の制服を身にまとい、コンシェルジュリの前に立っていた。


門の前には二人の兵士が警戒している。


「交代の時間だ。」 アンドレが堂々と言い放つ。


兵士たちはちらりとこちらを見たが、不審がる様子はない。


「遅かったな。」


「悪い、道が混んでいた。」


適当に返しながら、リュシアンとアンドレは門をくぐった。


中には薄暗い廊下が続いている。牢屋の中から囚人たちのうめき声が響く。


「デムーランの牢はどこだ?」 アンドレが小声で尋ねる。


リュシアンは事前に得た情報を思い出し、壁の番号を確認する。


「地下の独房にいるはずだ。」


二人は廊下を進み、階段を降りていく。


デムーランとの対面


地下牢は湿っぽく、異様な臭いが漂っていた。


奥の独房にたどり着いたとき、リュシアンは息をのむ。


カミーユ・デムーランがそこにいた。


「……誰だ?」


やせ細った体、ぼろぼろの服、しかしその瞳にはまだ光が宿っている。


「……君たちは……?」


「助けに来た」


リュシアンがそう言うと、デムーランはかすかに微笑んだ。


「驚いたな……まさか、私を救おうとする者がいるとは」


アンドレが彼の腕を支えながら出口へ向かおうとした——その瞬間だった。


「そこまでだ!」


鋭い声が響き、数名の衛兵が廊下の向こうから駆け込んできた。


「しまった……見つかったか!」


リュシアンたちは素早く武器を構える。しかし、相手は数が多い。


「逃げ道は……!」


ジャン=ポールが焦ったように辺りを見回すが、どの出口も塞がれている。万事休すか——そう思ったその時だった。


「——どうやら、お困りのようですね?」


落ち着いた男の声が響いた。


全員が振り向くと、そこに立っていたのは一人の貴族風の紳士だった。漆黒のロングコートを纏い、整えられた銀の髪が薄暗い光に照らされている。その目は冷静でありながら、どこか人を見透かすような鋭さを持っていた。


「あなたは……?」


リュシアンが警戒しながら問いかける。すると、紳士は微笑んだ。


「この場は私に任せなさい」


次の瞬間、彼はゆっくりと衛兵たちの前へ歩み出た。


「紳士、身分を明かせ!」


衛兵の隊長が鋭く詰め寄るが、彼はまるで動じない。


「サンジェルマン伯爵、と名乗ればご納得いただけるでしょうか?」


その名を聞いた瞬間、衛兵たちの表情が変わった。


「……サンジェルマン伯爵?」


「貴族がなぜこんな場所に……」


サンジェルマン伯爵はゆっくりと手を挙げ、まるで魔法でも使うかのように語りかける。


「ロベスピエールとは旧知の仲でね。この件はすでに彼の承知のことだ」


「そんな話は聞いていない!」


「ふむ……では、これを見てもらおうか」


伯爵は懐から一通の手紙を取り出し、近衛兵の隊長に差し出した。それはロベスピエールの筆跡に似せたものであり、「カミーユ・デムーランの処遇に関してはサンジェルマン伯爵に一任する」という文言が書かれていた。


確かに筆跡はロベスピエールのものだが隊長は眉をひそめ、それが本物かどうか判断に迷っている様子だった。


「私が責任を持とう。そちらの判断で勝手に動くと、後で面倒なことになるぞ?」


サンジェルマンは微笑みながら告げる。隊長はしばらく逡巡した後、舌打ちしながら兵たちに命じた。


「……撤収する。だが、後ほど確認させてもらうぞ」


「もちろん」


伯爵は優雅に頷いた。兵士たちはまだ疑いの眼差しを向けていたが、その場を去っていく。


サンジェルマン伯爵は振り返り、リュシアンたちに向かって軽く頷いた。


「さあ、急ぎなさい。猶予は長くはありません」


リュシアンはまだ警戒を解かぬまま伯爵を見つめた。


「なぜ……助けてくれる?」


「理由は単純です。あなた方には、まだ果たすべき役割があるから」


それだけを告げると、伯爵は歩き出した。


リュシアンたちは一瞬躊躇したが、今は考えている時間はない。


「行こう」


彼らはサンジェルマン伯爵の導きに従い、夜のパリへと消えていった——。

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