(双頭の神)5

五.

石本と森野香々美が説明した。二人は何かに引き込まれるようにダムドール支部に入会した。大きな苦悩からの救いを求めて入会したのではなかった。それは他の若者信者も同じだった。入会式で、ダムドール支部が、どんな活動をしているのか分かるだろうと気楽な気持ちで参加した。そこで、水越賀矢から、「守られすぎて育ってきた最も弱い若者」「金持ちで高学歴の恵まれすぎている若者」など、日頃から、自分でも気にしていることを厳しく批判され、そのことで頭が一杯になった。生きにくさに悩んでいることなど頭の中から消えてしまった。それ以降は、水越賀矢の与えたペンダント売りの苦行に取り組むことしか考えられなくなった。どれほど辛くても、やめてはいけない。苦行から脱落することは、社会からの落伍者になることだ。その恐れから、若者信者は、更に、ペンダント売りに打ち込んだ。

その話を聞いて疑問が湧いた。入会式で、水越賀矢が、若者信者のコンプレックスを列挙して批判した。これは、相手の弱点を罵倒する洗脳の一種ではないか? 彼女は、入会式で洗脳術を使ったのではないか? でも、僕はそのことには触れなかった。今更、そのことを考える必要があるとは思えなかったからだ。


先生は、水越賀矢に言った。

「賀矢先生の邪念とは、礼命会を壊滅させたいという思いです。そのため、神がかりのあなたが、生きにくさという若者信者の悩みに気づかなかった。私は、若者信者を増やしたいという思いが先行し、別の重大なことを見落としました。あなたの神が、あなたに礼命会に入信せよと言った理由です。あなたの神は、礼命会の知名度を利用するために、あなたを礼命会に入信させたのではなかったのです」

「どういうことですか?」

水越賀矢は尋ねた。

「賀矢先生。神があなたを礼命会に入信させたのは、あなたを礼命会代表に就任させるためです」

彼女は驚いた。

「何を言い出すのですか? 礼命会の代表は青沢先生です。私はダムドール支部長です」

先生はそのまま話を続けた。

「礼命会本部は、高齢信者で構成されています。そして、信者は、皆、死んだUさんと同様に、生きにくい社会を作ってしまったのは、自分たちだと悩んでいます。社会が良くなるようにと願って懸命に生きてきた。しかし、今、振り返ってみると、次の世代の人たちに負の遺産ばかりを残してしまったのではないか? 取り返しのつかないことをしてしまったと苦悩しています。高齢富裕層信者と呼ばれる人たちは、決して、優雅な老後を楽しんでいるわけではありません。それは表面的な部分のことです。心の奥底には、深い悔恨の念が渦巻いています」

僕は金持ちのお年寄りは、全員、優雅な老後を楽しんでいると思っていた。ステレオタイプな見方だと反省した。でも、高齢富裕層信者は、自分のネガティブな面を必要以上に見せないようにしている気もする。プライドがそれを許さないのかもしれない。


「例外的に、牧多君と杉原君の二人だけ、本部にも若者信者がいます。杉原君は、数カ月前に入会したばかりです。牧多君は中学生の時に入会しました。牧多君は、両親のことで悩んでいました。出会った当時、心に深い傷がありました。危機的な状況でした。そのため、すぐに入会させました。その頃の私は彼にとって治療者の意味合いが強かったと思います。杉原君も両親のことが心の負担になっています。その他にも色々な悩みがあります。でも、決定的な悩みは生きにくさです。彼の場合、強い意志が社会との折り合いをつける妨げになっており、それが生きにくさを生じさせているように思われます。但し、彼も、支部の若者信者二十人が感じているのと同じ、時代による生きにくさに悩まされているところが多分にあります。人間関係を中心に時代の殺伐とした空気に心が磨滅していく感覚に襲われています。私は、杉原君に出会うまで、若者に接する機会は牧多君しかありませんでした。ですから、私は、数カ月前に杉原君に出会ったことによって、若者信者が、生きにくさに悩んでいることに気づくことができた、と言えるかもしれません。若者信者の入会式に参加した時、彼らも、生きにくさに翻弄される人々の集う礼命会に入会するのだと思いました」

そして、先生はこう続けた。

「今、私は後悔しています。そこまで若者信者のことを理解していた私が、きちんと青年部に関わりを持っていたら、この度の問題も未然に防げたのではないかと……」

水越賀矢が遮った。

「青沢先生。私に後悔の念を打ち明けられても、答えようがありません。青沢先生の言う通り、私は、この問題の黒幕なのです」

先生は、彼女の言葉に頷いた。

「失礼しました。それでは、礼命会代表の件についてお話しします。私は礼命会代表を辞めます。私の跡を継いで、賀矢先生に礼命会二代目代表に就任して欲しいのです」

「私は礼命会を壊滅させようとした人間です。理解できません。それより、何故、青沢先生は代表を辞めるつもりなのですか? その説明をしてください」


先生は、握り手様の絵を見て言った。

「私が、Uさんの絵を教団の御神体にしたのは、Uさんを弔う意味からでした。Uさんの自死を防げなかったことを、生涯、詫び続けるためでした。でも、最近になって、握り手様の絵を見るたびに、何故、途中で逃げたのかと言われている気がします。つまり、もう一度、医者に戻れと言われている気がするのです」

「青沢先生の心境の変化ですね。医学の世界に戻りたくなった」

「はい。ただ、そう思うようになったのは、賀矢先生。あなたが、礼命会に入信したからです。神がかりではない私には、あなたの神がかりとしての力が、どれほど大きなものか、実は、分かりません。でも、あなたが、事実上、ダムドール支部の教祖として宗教活動を始めてから分かったことがあります。支部の活動を自在に発展させていくあなたは、本物の宗教人だということです。もちろん、ペンダント売りは別にしてです。私は、精神科の専門医ですが、宗教については、専門家ではありません。高齢信者の救済にも自ずと限界があります。賀矢先生。神がかりのあなたが、礼命会代表を継いでください。そして、高齢信者を救ってください」

「青沢先生は精神科医です。精神科医の立場で、高齢信者の悩みを解決できるはずです」

水越賀矢の指摘に先生は、こんな話をした。

「高齢信者は、病院ではなく教会に訪れています。診察を受けに来ているわけではありません。心の救済を求めています。でも、私は診察しかできません。学んだ知識に基づく科学的に正しいことしか言えません。しかし、高齢信者は科学的に正しいことを言って欲しいのではありません。宗教的な救済を求めているのです。語弊があることを承知で言いますが、高齢信者は、非科学性を求めて教会を訪れているのです」

「非科学性を求めて?」

「宗教を欲するものは、皆、奇蹟を起こして欲しいのだと私は考えています。高齢信者も同じです。心の大きな飛躍を求めて教会を訪れているのです。人智を越えたところにある何かを見せて欲しいのです。賀矢先生。それができるのは神がかりのあなただけです」

先生は水越賀矢に決断を迫った。

「高齢者のリストがあればペンダント売りの問題は、間もなく解決すると思います。それとともに、この問題も皆の記憶から消えるかもしれません。だとしても、私には根本的な疑問があります。私は、神から若者を救えと言われました。ですから、青年部はともかく、高齢信者の教祖になることは、神の意志から外れることではないでしょうか?」

先生は言った。

「私はこう考えています。神は賀矢先生に、生きにくさに苦しむ若者を救うことを命じました。これから、神命に従い先生は多くの若者を救うでしょう。その時、生きにくい時代を作ってしまったと後悔している高齢者も救われるのではないでしょうか? 『若者を救え』と命じた神が、何故か、高齢信者集団の礼命会に入信せよとあなたに命じました。私は、神があなたにこう願っているのだと思います。礼命会二代目教祖になり、世代を超えて全ての人を救って欲しい。そして、この願いこそが、あなたの最大の神命だと私は思います」

先生の言葉を聞いて水越賀矢は頷いた。

「分かりました。神命に従い礼命会二代目代表に就任することを約束します」


僕らは思わず拍手をした。突然、水越賀矢が代表に就任すると聞かされて驚くばかりだった。それでも、彼女ならできると思った。だから、僕らは拍手をした。


水越賀矢が話し始めた。

「青沢先生。礼命会代表になるものとして気になることが一つあります。握り手様の絵で明らかなように、礼命会の神はUさんの魂です。その礼命会に、別の神の神がかりである私が就任することは許されることなのでしょうか? 一つの宗教に二つの異なる神が宿ることになります」

じっと話を聞いていた牧多が言った。

「俺も同じことを考えていました。神様同士が喧嘩するんじゃないですか?」

「礼命会の信者は、どっちの神様を信仰すれば良いのでしょうか?」

石本も疑問を述べた。

森野香々美も、先生の顔を見た。

僕も、先生の顔を見た。

先生は皆を見て言った。

「礼命会に二つの神様が宿る時、『双頭の神』の宗教になります。礼命会の教えは、『ともに生き、ともに幸せになる』です。何も心配することはありません。二つの神様も、これからともに生き、ともに幸せになれます。信者の皆様も、二つの神様とともに生き、ともに幸せになれます」

そして、先生は笑った。先生らしい素直な笑顔だった。


実のところ、僕は、「双頭の神」と聞いてもよく分からなかった。それよりも、先生は、「悔恨と諦観の世界」から解き放たれる。水越賀矢は、「憎悪の世界」から解き放たれる。僕は、「双頭の神」をそのように理解した。そこで、僕は、また同じ疑問に突き当たった。二人が解き放たれるということは、果たして、僕にとって、どういう意味を持つのだろうか? 今度は、僕は答えることができた。名残り惜しくもあるけれど、居心地の良い教会の書斎から巣立つ時が訪れたのだ。それは、つまり、僕も現実の世界に戻る時が訪れたということだった。

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