(双頭の神)3

三.

水越賀矢は、一番前に立っていた牧多と目が合った。

「牧多君。教えておくわ。裏のドアの鍵はかけるのにコツが要る。ドアノブを少し左に捻った状態で鍵をかけると、その後、ドアノブを強く捻っても鍵は開かない。だから、勝手に青年部の信者が出入りすることもできない。支部は古い建物だから、色んなところに傷みが出ている。それを劣化と捉えるか、味わいと捉えるか。古いロックンロールのレコードを聴いた時に、ノイズ音が入るけど、それを劣化と捉えるか、味わいと捉えるか。私は、そのことに似ている気がする」

彼女は言った。


水越賀矢が支部に入ってきた。僕らは支部の中に押し戻された。彼女は支部の真ん中に立った。水越賀矢が若者信者に話をする時、いつも立つ場所だ。彼女は、つば付きの灰色のニット帽を目深に被り、擦り切れた黒のスウェードのジャケットを羽織っていた。膝の破れたジーンズにブーツを履いていた。ジャケットの中には、『イレイザーヘッド』のTシャツを着ていた。独特の盛り上がった髪型をした男がプリントされていた。彼女は帽子を脱いだ。頭上にある蛍光灯の光が、彼女の顔を青白く照らした。


僕らは少し距離を置いて彼女の前に並んだ。先生が水越賀矢の正面に立ち、左右に僕と牧多が並んだ。僕の横に石本と森野香々美がいた。


牧多が水越賀矢に尋ねた。

「賀矢先生。今まで、どこにいたんですか?」

「ある場所に隠れていた。としか言えない。それより、あなた達は、何故、こんな時間にここにいるの?」

先生が答えた。

「今回のことで、商店街の人たちが礼命会に対してひどく怒っています。そのため、昼間を避けて人のいない夜に来ました。ペンダントを購入した高齢者のリストを取りに来たんです。それに基づき謝罪と返金に回ります。賀矢先生。あなたは、何故、こんな時間にここに来たんですか?」

「商店街の状況は知っています。私も商店街の人たちに袋叩きにされるのは嫌ですから、この時間に来ました。二階にある荷物を取りに来たんです。私は、もうこの街にはいられませんから」

そう言うと、彼女は二階の部屋に行くために階段のほうに向かった。

「賀矢先生。支部はどうするんですか? 若者信者はどうするんですか?」

牧多が問うた。

「支部のことは青沢先生にお任せします。存続させるか、廃止するか。全て青沢先生が決めてください」

彼女の背中に先生が声をかけた。

「賀矢先生。あなたがどこに行こうとかまいません。但し、その前に、あなたには今回のことについて説明する責任があります。そして、謝罪する責任も。あなたが迷惑をかけた全ての人に対してです。今、ここにいる二人の若者信者に対しても。彼らは、あなたの教えを信じて詐欺まがいのペンダント売りをさせられました。彼らもあなたの被害者です」


水越賀矢は足を止め、支部の真ん中に戻ってきた。

「あなたから、詐欺まがいとは言われたくありません。精神科医であることを隠し、宗教家を自称している本名青沢紀秋さんには……」

僕の横にいる石本と森野香々美が、「やっぱり」と呟いた。

先生は水越賀矢に言った。

「僕は精神科医であることを隠しているわけではありません」

「今日は薄青色の眼鏡をかけていませんが、あの眼鏡こそが証拠です。あなたは、精神科医としての自分を隠すために薄青色の眼鏡をかけ、宗教家という偽りの自分を演じてきたのです」

「僕が医者だということは、FT新聞の瀬木という記者から聞いたのですか?」

「いえ。礼命会に入会する前に私が自分で調べました。G大附属病院の精神科医から宗教家への転身。レアケースです。転身の理由は?」

先生は答えなかった。

水越賀矢は話題を変えた。

「先ほど話に出てきた瀬木という記者ですが知っています。彼が取材に来た時、私は支部の裏口から逃げて身を隠しました」

彼女は、その時のことを話した。


その日は、珍しく牧多も若者信者も支部にいなかった。水越賀矢は、いつも牧多が使っている事務机の椅子に座って考えごとをしていた。商店街に客のいない静かな午後だった。彼女は目をつむっていた。

突然、入り口の引き戸が開いた。

「FT新聞の社会部記者。瀬木昌司というものです。ペンダント売りのことで水越賀矢先生にお話を伺いたいのですが?」

彼女は男を見た。

背格好は青沢礼命と同じぐらい。年齢は青沢より若かった。

水越賀矢は、瀬木を見るとほとんど反射的に立ち上がった。そして、裏口から逃げた。瀬木が慌てて追いかけた。だが、彼女の姿はもうなかった。

ある場所に水越賀矢は身を隠した。次の日だった。予想した通りFT新聞にペンダント売りの記事が掲載された。小さな記事だったが、礼命会への疑惑を生むには十分な内容だった。マスコミに取り上げられることは、彼女の重要な目的だった。しかし、瀬木の動きは彼女の予想より速かった。そのため、彼女は身動きがとれなくなった……。


先生が尋ねた。

「ペンダント売りを利用して礼命会の世評を故意に貶めたのだとしたら、その理由は何なのか? 答えてください」 

水越賀矢が答えた。

「服屋のダムドールをやっていた頃、商売柄、街の噂が耳に入ってきました。礼命会のことも。ほとんど宗教活動なんてしていない。実態は、教祖青沢礼命が、いい加減な講話を金持ちの信者に聞かせて、金を巻き上げているだけ。慈善活動は、そのいかがわしい実態を隠すために行っている。私は思いました。礼命会は、毎日を必死に生きている我々庶民を愚弄している。このまま存続させてはいけない。みんなのために、いつか私が礼命会を倒さなければならないと決意しました」

先生は言った。

「礼命会の問題点については、今は、議論しないでおきましょう」

「都合の悪い話からは逃げるんですか?」

「違います。緊急性の問題です。礼命会の拝金主義の問題より、ペンダント売りの問題のほうが緊急性が高いからです。賀矢先生。分かっていますか? ペンダント売りの黒幕は、あなただということまで既に突き止められています。マスコミのターゲットはあなたです。つまり、逃げようがないのは、私ではなくあなたなのです。問題を一刻も早く解決することしか、あなたの助かる道はない。そのためにも、我々は協力してこの問題を解決するしかないのです!」

先生にしてはかなり厳しく諭した。

僕には、その意図が分かった。水越賀矢のように大胆不敵なことをする人間というのは、往々にして、当事者意識に欠ける。先生は、彼女にそのことを気づかせるために厳しく接したのだ。


牧多が水越賀矢に質問した。

「賀矢先生。ペンダント売りに関連して俺にも疑問があります。『永久の夫婦の愛』です。若者信者が、神様から『永久の夫婦の愛』をもらったとして、具体的に、将来、何があるんですか?」

「神縁で結ばれた二十人は、近い将来、結婚をし、『永久の夫婦の幸せ』を授かるのです。ペンダント売りの時には、『永久の夫婦の愛』は、競争に勝った一組だけにしか与えられないと言いましたが、本当は、二十人全員に約束されたものです」

石本と森野香々美は言った。

「賀矢先生。僕たちは交際をやめました。何故なら、愛し合っていなかったからです。他の九組も交際をやめました。『永久の夫婦の愛』など、最初からなかったんです」

水越賀矢が二人に叫んだ。

「神に選ばれし若者達が子孫を残す。彼らは、神の子として、将来、この国を再び繁栄に導く傑出人物になるのです。それを、愛し合っていないから別れましたでは済まない! 国家的な損失になります!」

石本が反論した。

「それは神様が言ってるんじゃなくて、賀矢先生が、僕らにそうさせたいから言ってるんだ! 賀矢先生の妄想だ!」

「信者の男女比が同じなのも、ただの偶然だったんじゃないんですか? 特別な意味なんてなかった。同数なのを知って、賀矢先生が、意味を後付けしたんじゃないですか?」

石本と森野香々美が、水越賀矢に反論した。

そこで、水越賀矢が言った。

「冷静になりましょう。あなた達と私は、神縁で結ばれている。勧誘の時の奇蹟がそれを証明している。そうでしょ?」

「確かに、そのことは、そうだと思います」

「血は水よりも濃い。そして、神縁は血よりも濃い。私たちは神によって結ばれた仲間です。だからこそ、血族よりも、深い繋りがあります。私の話を聞いてください。きっと分かり合えます」

そう言うと、二人の返事も待たずに水越賀矢は話し始めた。

「本来の若者信者の能力なら、ペンダントを売ることなどさほど困難ではなかったのです。当初の計画では、『売れない苦行』を重視して、ペンダント一個五千円あるいは一万円にするつもりでした。でも、速く、そして、数多く彼らに売らせる必要性から、三千円にしました。修行の第二段階では、嘘の話で、更に、ペンダントは売れ、礼命会の悪評を大きく世間に広めることができたはずでした。高齢富裕層信者は社会的信用を失うことが何よりも怖い。皆、すぐに脱会し、礼命会は無惨なほどあっけなく消滅へ。そして、私は、ほとぼりが冷めた頃、若者信者とともに、新たに『神縁 ダムドール教』を立ち上げるつもりでした。しかし、ペンダントを売るのに時間がかかりすぎた。五千円を三千円に下げれば、彼らなら、すぐに売れたのです。私の長年の商売の経験から分かっていました。しかし、何故か、売れなかった。そのため、マスコミに嗅ぎつけられ、計画は失敗に終わりました。でも、できないはずがないのです。石本君、森野さん。もう一度、私とともに神命に生きましょう!」

彼女の話を聞いて石本が言った。

「賀矢先生。何故、ペンダントが売れなかったか分かりますか? 僕たち信者には良心があるからです。良心がペンダントを売ることを拒否したんです」

「石本氏子も森野氏子も、神の後押しを受けているんです。つまり、この修行そのものが善行なのです。ですから、良心を包含しています。かつて私が言ったことを覚えているでしょう。この修行は、金持ちに生まれ、貧しい人々の幸せを吸い上げて育ってきたあなた達がなすべき贖罪です。つまり、金と欲にまみれたあなた達の心と体を清めるための神の儀式です。修行を通じてあなた達は浄化されているんです」

森野香々美が言った。

「お年寄りを騙してペンダントを売りつけることのどこが贖罪ですか? それに汚いことに手を染めることがタフになることではないと私たちは気づいたんです!」

「上っ面だけの正しさでは、あなた達は救われないのです。礼命会は、拝金老人集団。富裕層の子女のあなた達も、このままでは、将来、彼らのようになります。あなた達の手で礼命会を壊滅させるのです。そうすれば、あなた達は救われます!」


水越賀矢の話はデタラメだった。神は、「時代の中で苦しむ若者を救え」と彼女に命じた。そのための実践が、礼命会を壊滅させることだと彼女は言うのだ。誰が聞いても、おかしい。しかし、つい先日までの石本と森野香々美なら、彼女の話を信じていた。でも、二人にかかっていた魔法は、もう解けてしまった。


「ついこの前までの僕たちは、賀矢先生の話に感動のあまり涙すらしました。でも、今は、何を言っているのかも分かりません」

「私も同じです。今は全く分かりません」


水越賀矢は、彼らは目覚めたのだと気づいた。その瞬間、彼女は、自らが与えられた神命の終焉を感じた。たとえ石本から妄想だと批判されようとも、若者を救えという神命を実現できるのは、自らの実践以外はないと信じてきた。だが、今、彼女も、彼らとともに目覚めた。

『私のやっていたことは、全部、デタラメだったのではないか……?』

彼女は心の中で呟いた。



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