第二章(双頭の神)
一.
初代信者総代の宗田功作久を訪ね、高齢信者への謝罪を全て終えた。あの日から数日が経った夜のことだった。先生の運転するワゴン車はダムドール支部に向かっていた。牧多が作成した高齢者リストを取りに行くためだった。
あの日以降、昼間、牧多が一人でダムドール支部周辺の様子を見に行っていた。依然として記者の姿があった。それがこの日、突然、記者がいなくなった。牧多は教会に戻って来た。それから、三人で話し合った。各新聞社から、各々の記者に引き上げるよう指示があったのだと僕らは考えた。そこで、すぐに支部に高齢者リストを取りに行くことになった。記者が再び支部周辺に現れる危険性も考えた。だが、それよりも、一刻も早くリストを手に入れるべきだと先生が言った。
教会の駐車場に停めてあるワゴン車に乗って、先生がエンジンをかけようとした、ちょうどその時だった。先生のスマートフォンに電話がかかってきた。FT新聞の瀬木からだった。
「青沢先生。少し気になることがあって電話をしました」
「今から礼命会の支部に向かいます。瀬木さんには、後で、こちらから連絡をします」
「用件はそのことです。支部に行くのは夜にしてください」
「夜に? 何故ですか?」
先生はそう尋ねながら、助手席にいる僕と後ろの席にいる牧多の顔を見た。
瀬木は先生に説明した。
「支部の近くにいた記者は引き上げさせました。他社も同様です。ですから、その意味では、支部を訪れても大丈夫です。しかし、別の問題が残っています。ダムドール支部のある商店街の住人が、今回の問題で、礼命会に対して激しく怒っています。支部に張りついていた記者まで、そのとばっちりを食らったぐらいです。うちの記者は、『いつまで、商店街をうろうろしているんだ。営業妨害だ!』と怒鳴られました。今の状況で、礼命会代表のあなたが支部を訪れることは危険です。どうしても訪れる必要があるなら、夜、商店街のシャッターが全て下りてからにしてください」
「そんなことになっていたとは……。瀬木さん。ありがとう。夜に変更します」
「実際に、今回の問題を起こしたのは、支部長の水越賀矢であったとしても、世間では、礼命会代表青沢礼命が起こした問題だと思われています。礼命会といえば、代表の青沢先生の顔しか思い浮かびません。それは商店街の人たちも同じだということです」
「確かに、その通りです」
先生は言った。それから、瀬木に尋ねた。
「ところで、記者を一斉に引き上げた理由は?」
「FT新聞としては、私の書いた記事で水越賀矢氏の動きを止めた。だから、これ以上、ペンダント売りの被害は広がらないと判断したからです。でも、他社が記者を引き上げた理由は違います。他社が、この問題に興味を示した理由は、慈善活動で有名な宗教団体礼命会が、若者信者を使って詐欺行為をしている。もしかしたら、霊感商法かもしれない。だとすれば、この問題をセンセーショナルに取り上げてスキャンダル性の高い事件にできる。そういう狙いでした。しかし、実際には、ペンダント売りは、事件化できるほどのものではなかった。そこで記者を引き上げさせました」
「宗教は怪しい。誰もが潜在的に抱いている思いです。願望というべきかもしれません。今回の問題は、その願望に火をつける事件になる可能性がある。つまり“ドル箱事件”になると期待した、ということですね」
「はっきり言えばそういうことです。でも、商店街の人たちは違います。水越氏が服屋から転業する時、礼命会の支部になることを知って、皆、とても安心しました。慈善活動で有名な礼命会の支部になるのなら、と。商店街の人たちは、それほど礼命会を信頼していました。怪しいなんて微塵も思っていなかった。だからこそ、今、裏切られた気持ちで怒っているのです。いや、悲しんでいます。そして、この気持ちは、礼命会を信頼してきた市民の感情でもあるのです。青沢先生。この状況になった今、改めて、そのことを考えてみてください」
そして、瀬木は電話を切った。
その後しばらく、先生は黙っていた。
瀬木のアドバイスに従って夜になってから教会を出た。先生の運転するワゴン車は繁華街を走っていた。僕は、ふとある変化を感じた。何だろうと思って窓の外の風景をじっと見ていると、通りに面してあった映画館がなくなっていることに気づいた。単館の映画館で歴史もあった。けれど、経営難で、以前から何度も閉館の話が出た。その都度、市民からカンパを募るなどして危機を乗り越えてきた。でも、僕が教会の書斎で生活している間に閉館していたのだ。今、映画館のあった場所に見えるのは、真新しいコンビニエンスストアだった。抗えない時代の流れが、目の前にある風景の変化となって現れていた。
車は繁華街を抜けた。商店街が近づいてきた。牧多が後ろの席で、スマートフォンを見て、SNSをチェックしていた。僕も、さっきチェックした。ペンダント売りの問題は拡散どころか、霧散していた。
牧多が後ろの席で呟いた。
「SNSは、もうこの問題を忘れた」
それから、彼は、ひと呼吸置いて先生に尋ねた。
「先生。一つ聞いてもいいでしょうか? 賀矢先生が、ペンダントの売り上げは、先生に頼んで児童養護施設に寄付してもらうと若者信者に話しました。それは、本当でしょうか? もし、その話が嘘だとしたら、支部での全てが嘘になってしまう気がします。俺は、これまで何にも手応えを感じたことがありませんでした。それが、支部の手伝いをしているうちに、初めて手応えを感じたんです。でも、あの話が嘘だったら、また、元の俺に戻る気がして怖くなります」
先生は答えた。
「牧多君。児童養護施設への寄付の話は本当だから、安心して欲しい。それから、君が支部で感じた手応えは、支部だから感じたんじゃない。たとえ、支部でのことが全て嘘であったとしても、君の感じた手応えは消えない。何故なら、君の感じた手応えは、君が成長した証だからだ。君は、もう以前の君に戻ることはない」
「俺も、少しはまともな人間になったということですか?」
「牧多君は、元々、まともな人間だ。他人との差異を過大に捉える必要はない。世の中に同じ人間は一人としていないのだから」
先生の話を聞いて、牧多は頷いた。
その後、僕は、水越賀矢について考えた。彼女は瀬木の記事に負けた。少なくとも、ペンダント売りは阻止された。彼女の敗北だ。だが、肝心なことが分からない。それは水越賀矢の目的だ。彼女は何がしたかったのか? ペンダント売りは目的ではなく手段だ。それも、若者信者を鍛えるということではない。もっと大きな目的を達成するための手段であったはずだ。その場合の目的とは、例えば、僕が以前に考えた教団の乗っ取りだろうか? だとしたら、完全に失敗している。問題の張本人は水越賀矢だとマスコミに把握されている。世間に広まるのも時間の問題だ。何よりも、高齢信者に知れ渡っている。今更、教団の乗っ取りなんてできない。
僕が、そんなことを考えていると、商店街が見えた。先生はハンドルを右に切って、近くのコインパーキングに向かった。それほど日は過ぎていない。でも、支部を訪れるのは、随分、久しぶりに思えた。暗闇に、コインパーキングの看板が見えた。照明に照らされた看板は黄色に青色の文字で駐車料金などが書かれていた。視認性を考慮した配色だった。先生はブレーキを踏んで車を減速させた。牧多は後ろの座席で、もう降りる準備をしていた。僕は、照明に照らされた看板を見ながら、これから支部に行って、もう一度、無事に、ここに戻って来られるだろうかと思った。もちろん、高齢者リストを取りに行くだけなのは分かっていた。でも、僕はそう思った。そう思わせる何かが、この闇夜の中にある気がしたからだった。
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