その想いが例え借り物であったとしても
moltoke_Rumia1p
第1話
【2023年 晩冬の頃】
ベランダで星を見ている姉さんに当時聞いてみたことがあった。
「なんで、アイドルになんてなりたいと思ったの?」
綺麗な黒髪に小柄な整った顔立ち。人によっては人形のようだというかもしれないけど、私とは違った意志の強い瞳で、姉さん、月村みゆはその質問を楽しそうに答えてくれたのを覚えている。
「アイドルってね。希望だよ。それが作り物であったとしてもね。観ている人達はそれを見て、毎日をまた頑張ろうって思えるような存在だからね」
それを目指そうと頑張って、最終選考まで残った人の割には結構醒めた見方だと当時は思った。
「そんなの見る側に専念してれば楽なのに、あんなどろどろとした世界に飛び込もうだなんて」
「やっぱり、やるなら当事者として楽しみたいじゃん。大丈夫、ゆうかちゃんもそのうち分かるよ。」
そんな風に、にっこりと笑っていた。姉さんは神経も太いし、なんだかんだと成功するのだろうと無邪気に思っていた。あんなことが起きるまでは。
【2025年 冬 都内某所 カフェ エデンにて】
地下鉄の駅前にあるこの喫茶店は叔父が経営しているものだけれど、平日はお客さんの入りも少ない。よくこれで経営できているものだと感心するものだった。叔父が言うには、引退した後に喫茶店をやるのがブームだった時代の名残だそうだ。でも、単に資産を食い潰してないかと疑問に思うことも多い。身内とはいえ、私を雇って果たしていいのだろうか。
そんな喫茶店に見知った相手が来た。友達と言うには、闘争心をぶつけ過ぎたし、ライバルというには、もう少し温かな間柄ではあったと思う相手。制服にダッフルコート、ボブカットにカチューシャをつけたどこにでも居そうな女子高校生。でも、その瞳だけは燃え上がるみたいな強い意思の光を宿している。今売り出し中の中堅どころのアイドルの伊東暁さん。テレビでも見かける機会は増えてきたと思う。
「やっと見つけた。引退したあんたが、喫茶店でアルバイトやっているって聞いたのは耳を疑ったけど」
軋むような小さなモーター音が足から響く。前はもっとスムーズに動いていたのだけど、アイドル時代の酷使で普通に動かすだけでも義足の調子は思わしくはない。
「私がアイドルやっていたのは、姉さんの遺志からだし。最長でも二年で引退するって話は前から言っての通りだよ。伊東さん」
鼻で笑いながら、面白くもない冗談を聞いたように手を広げる。
「私ね。あのアイドルオーディション番組であんたに負けて以来、どうしてもそれが納得できなくて今までやって来た。それなのに勝ち逃げするなんてずるい!」
だいぶ、子供のようなことを言っている。いや、十七歳ならまだぎりぎり子供だって言い張れるとは思うけど。
「取りあえず、お客様。オーダーをどうぞ。ここは喫茶店だから何か頼んで帰りなよ。私のアイドル時代を支えてくれた特注の義足は寿命だし、後継は有珠さんも作ってくれているけど、この子は偶然よく仕上がっただけで、ここまで上手く動けるのは相当先でないと無理なのだから」
伊東さんのオーダーはベイクドチーズケーキと紅茶のセット。あれだけ、ガサツに話しているけど、食べている仕草は綺麗だと思う。流石はいいところのお嬢様だけはある。
それなのに、わざわざアイドルみたいな苦労の絶えない仕事を選ばなくても、彼女だったら、楽に生きられるだろうに。
そんなことを思って、二年前のことを考えていた。姉さんがもし、事故に遭わなかったら。伊東さんとオーディション番組で競い合って、私がそれをテレビで他人事として楽しく見ている世界だってあったのだろうなと、益体もなく思いながら。
【2023年 春 都立病院 リハビリ室にて】
新型コロナの自粛が終わり、日常生活がだんだんと平時に戻って行ったころ。私達姉妹は、交差点で信号待ちをしている最中に、飛び込んできた運送会社の車に轢かれる事故に遭った。姉さんが咄嗟に私を突き飛ばしてくれたお陰で、私は生き延びることが出来たけど、タイヤに轢かれた右足は、膝の下を多少残して、切断を余儀なくされた。そこからは義足生活。姉さんは、トラックと電柱に挟まれて即死。あんなに明るくて、前日にはアイドルオーディションの最終面接に進めたと喜んでいたというのに残酷なものだと思う。
夢に生きて、その憧れにあと一歩で届いたという矢先だったのに、どれだけ無念だっただろう。私を突き飛ばさずにあと一歩避けていたなら助かっただろうに。脳裏に焼き付いて離れないのは、私を突き飛ばした時の姉さんの顔。突き飛ばした私が助かることを確信して、安心して微笑んでいた。そんな彼女に、私は一体どうやって報いたらいいだろう。そんなことを思いながら、義足の治験の説明を有珠さんから聞くのだった。
母の妹の名胡桃有珠さんは、若くしてロボット義肢の製造会社で開発と営業を兼務されている方。今回の事故の治療のため、試作型の義足を用意してくれたのは彼女だった。
「この義足はうちの会社の試作型の奴でね。神経と骨をインプラントで接続して生身よりシャープな動きを再現することが可能になっているのだけど」
度の強そうな厚いメガネを直して頭を掻きながら彼女はこう続けた。
「たまたまね。姿勢制御系のプログラムが義足の可動域を想定以上に滑らかに稼働できるようになったの。でも、このバランスでそこまでうまく行った理由が再現できてないのよね」
要約すると、偶然完成度が異常に高い試作品が作れてしまい、量産する前のデータ取りで協力して欲しいという話。一品ものだから、これが壊れてしまうと、量産タイプはそんなにうまくは動いてくれない。そんな感じだった。
「例えば、この義足使って踊ったり、激しい運動をしたりすることはできるの?」
「出来るけど、義足の寿命を著しく消耗するだろうね。普通に過ごしていればメンテナンスしながら二十年くらいは使えるけど、頻繁にそんな真似するなら二年もせずに修理不能になるかもね」
治験は、義足に接続するための神経や骨のインプラント手術も込みのもの。治験の協力として、この義足の所有権移転と、毎年実施するメンテナンス費用は会社が負担してくれるとのことだった。渡りに船でもある。何の疑いもなく、同意書にサインをすることにした。
【2023年初夏 高校の校門近くにて】
やっと松葉杖生活から解放され、病院からも退院していつもの日常が戻って来た。事故を起こして姉さんを殺した運送会社とは裁判になり、多額の賠償金が支払われたそうだが、私の心には風穴が空いたまま。運転手や運送会社を恨んだところで、姉さんは帰って来ない。どうしたらいいのか分からない。寂寥感と惰性で日々を過ごしているような感じだった。そんなある日の放課後。
「ねえ、月村さん。ちょっといい?」
「手短で良ければ」
声をかけてきたのは隣の高校の伊東暁さん。姉さんの友人で、昔はよく遊びに来てくれた明るい人。お見舞いにも来てくれたそうだけど、その時は義足の神経インプラント手術の後で眠っていて、後でそれを知ることになった。
セミが煩いくらいに鳴いている今の時期に、外で立ち話しているとそれこそ干上がってしまうので、近くのファミレスで彼女の話を聞くことにした。
「オーディション番組?」
「そ、あなたのお姉さんと一緒に出ようかと思っていたんだけどね。もし、最終面接にあの子が落ちていたら。だけど」
話の前にテーブルに運んでおいたアイスコーヒーを一口飲んで思う。姉さんは確かに死んでしまった。でも、これに参加することで、彼女の想いをみんなに見せることが出来るかもしれない。そう思うと、ゆっくり周囲が明るくなった気がした。
「分かった。一緒に出よう。ただ、一つだけ約束して」
私の対応が途端に積極的なものになったので、伊東さんは驚いている。それはそうだ。姉さんの後ろに隠れておどおどしている印象が強いのだから。今だって居てくれたなら隠れたいくらい。
「ええ、私が出来ることなら」
「そのオーディション番組が終わるか、万一アイドルになって引退するまで。姉さんの真似をして過ごすから、違和感あったら教えてね」
アイドルになろうという思いも借り物で、足まで義足の造り物。それでも、やっと。何をすれば弔いになるのか、分かった気がした。これはこの世界に、姉さんがいた記録を刻み付けることなのだ。
そうして彼女と、簡単に打合せと提出書類の記入をスマホで済ませると、店の外に出るのだった。蒸し暑く、沈んでいく真っ赤な夕焼けは、これからやることをまるで空が咎めているような、そんな感じがあった。
【翌日の夜 都立病院 リハビリ室】
その日は、有珠さんが義足の整備のため来る日だったので、彼女にオーディション番組の件を話すことにした。眉間に皺を寄せて、ひとつ溜息をつくと。決心したように彼女はこう切り出してきてくれた。
「本当にやりたいのであれば、君の意思は尊重する。ただ、前に説明した通り、君の義足を繋いでいるインプラントは派手な動きで急激に劣化していく。義足にしてもそう。このバランスで作れているのは偶然だから、次はもっと不便になると思うよ」
これに対する返事は決まっていた。
「それでも、走れるところまで走ってみたいんです」
「なら、ちょっと作戦考えようか」
有珠さんが言うには、最近のこの手の番組は、視聴者参加型が多く。参加者の物語性が重視されているという話だった。だから、事前に姉さんがアイドルを目指していたこと。それが事故で帰らぬ人になり、自分も義足で参加することになったけれど、姉さんの分まで頑張ってみたいと切々と同情心を煽ってみたらどうか、そんな話だった。
「後、君の使っている義足がテレビに出てくれると、うちの会社でも宣伝になるしね。もし書類審査が通ったら、上に掛け合って協力してあげるよ」
うん、明らかに悪魔の契約とかそんな感じだよね。でも、同情心でも相手が悪魔でも、もし姉さんなら。使えるものは何でも使ったと思う。
「ぜひ、お願いします」
そう、彼女に深くお辞儀をする。合法的な手段であるなら、何でもやって喰いつこう。後でそれが汚いと、罵られることになったとしても。限られた手は最大限使わないと、私だけでは競争相手に勝てないのだから。
【2023年秋の終わり 都内 オーディション番組のスタジオ】
番組そのものは、小規模な深夜バラエティ番組の一企画というものだった。ともあれ、ここからキャリアをスタートさせる人もいるので、競争倍率は高く、私が残れたのはたまたまだったと思う。あるいは、有珠さんの会社の意向が本当に働いたか?
選考手法も今の時代特有とは思う。SNSの意見が重視されていて。最終選考に残ったのは私と伊東さん。
「誘ったのは私だけどさ。借り物の想いのあんたなんかに絶対負けないからね!」
「確かに私の想いは借り物だけど、ここまで運んでくれた義足と、姉さんの想いが籠っているもの。私だって負ける気はないよ」
お題のダンスで途中バランスを崩しかけたのもあったけど、義足の姿勢制御でなんとかバランスが保てた。軋むような音が聞こえるのを無視して最後まで踊り切ると、あっちらでは涼しい顔をしてダンスが終わっている伊東さん。この辺は、ダンスの経験者は強いと思う。
結果は、審査員票が同じ。SNS票が辛うじてこちらが一票多くて僅差で勝利。
普段の強気さに亀裂が入ったように涙を流している伊東さん。
「勝てたと、思ったのに。こんな結果になるなんて、悔しいっ」
「これが競技ダンスなら負けていたと思うよ。オーディション番組だからだよね。この結果になるのって」
お客さんの歓声が鳴り響く中。番組は無事におしまい。こうして、短い間ではあるけど、私のアイドルとしての生活はスタートした。だけど、ライブでのダンスやバラエティ番組の場面で無理に健常者と同じように参加してしまったのがよくなかった。確実に、義足と、それを接続している骨や神経のインプラントは劣化が進んでいった。その結果、約一年でドクターストップ。健康上の理由から引退して、今に至るという話だ。
【2025年 喫茶店エデン】
「ケーキも紅茶も美味しいのに、あんまりお客さん来ないんだね。ここって」
店内はそう広いものではない。一番奥の席に座っている伊東さんの席の他にカウンター席も埋まってきてはいるものの、空席は目立つ。だからこそこうして、話も出来るというものではあるけれど。
「おじさんの道楽でやっているようなお店だしね。経営が続いているだけでも御の字だと思うよ」
一息ついてから伊東さんはこちらに向き直って、真剣な面持ちでこう切り出して来た。
「オーディション番組の時にね。借り物の想いって言ったの、謝ろうと思ってきたの。月村さんが現役の最中はどうしても言えなくてね」
「別に気にしてはいなかったのに。実際に、姉さんの想いに報いたかったのは事実でもあったし」
伊東さんから笑いながら握手を求めるように手を出される。
「それならよかった。復帰して欲しいとは言わないからさ。ここで店員続けるなら、時々遊びに来てもいいかな?」
「それは別にいいけど、どういう風の吹き回し?」
「勝ち逃げされたものね。月村さんはどうあれ、私が認めた相手だもの。だから、その。友達に、なろうと思って」
当人も恥ずかしかったからか、終わりはぼそぼそと囁くような声で、でもはっきり聞こえていた。あっちの世界は友人関係が決して結べないわけでもないけれど、お互いに競争し、場合によっては蹴落とすことにもなるライバルでもある。逆に、もう引退してしまった私は競い合う相手ではない。これから輝く彼女にとっては、むしろそんな相手だから必要なのかと思った。
「分かったよ。でも、ここでの私は、アイドルやっていた時みたいに明るくはないよ」
「別に構わないよ。第一、今の方が自然に笑っているから私は好きだけどね」
頑張って演技していたのに、姉さんの真似は結局身に付きはしなかった。元の私に戻れたのは数少ない今の利点。
「それじゃ、よろしくね。伊東さん」
「暁でいいよ。私も、あなたのことはゆうかって呼ぶから」
何もかもなくなったと思った。大好きだった姉さんも、右の足も。事故で失われた後は全てが暗闇に包まれたと、そう思ったのに。姉さんの夢を引き継いで、治験用の試作とは言っても造り物の義足で。悪戦苦闘して走り抜けた後に。本当に欲しかったものがそうして得られたのかもしれない。
「じゃあ、暁。これからもよろしく」
からんと、溶けて崩れたコップの氷の音は、まるで凍っていたそれまでの時間がやっと流れ始めたかのようだった。これからは、姉さんの真似ではなく、また自分として生きていこう。面倒な世界で、それでも輝いて見える伊東暁が、前を向いて歩いているように。
その想いが例え借り物であったとしても moltoke_Rumia1p @moltoke
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます