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それから兄貴は携帯のアプリを使ってギターのチューニングをしていった。最近ではこんな便利なアプリもあるんだなぁ、とぼやきながらインストールするその姿はどこかおやじ臭い雰囲気を覚えさせてくる。
それからギターの六弦から音を鳴らしては、その音に辻褄が合うようにペグを回していく。大半の弦が大きく音をずらしていて、ペグを回すたびに軋んでいく音のひずみが少しばかり怖い。怖いと感じるのは、古いからこそ弦が切れてしまうのではないか、という不安からだったが、そんな不安を他所に兄貴は黙々とギターのチューニングをそれぞれで行っていった。
そうして最終的にレギュラーのチューニングに合わせ終わったあと、兄貴はCのコードを押さえてから全体の音を鳴らしていく。ギターをやっていた、という言葉からもわかるとおりに容易くCコード、それからF、Bなど押さえづらいものも押さえていって、そしてそれらは綺麗な音を鳴らしていく。まあ、練習をしていたというのならばそれくらいは弾いてもらわないと困るな、と思いながらも、それでも兄貴の言葉に嘘はなかったんだな、と私は少し感心していた。
「……よし」
兄貴はそう息を吐いた後、それからピックアップの近い部分に左手を運んでいく。それからその技量を見せつけるように三弦から一弦までの細い部分を押さえて、そうして弾いた。
アンプこそは繋いでいないものの、それでもエレキギターは確かな音を奏でていく。指が確かにその弦だけに触れていて、それ以外の余計な雑音をかまさないように、確かな音階を鳴らしていく。単純にドレミからラシド、という安定の流れではあるものの、それでも本当に練習していたことを示すように、速弾きでそんなものを兄貴は弾いた。
そうしたかと思えば、「これとか行けるか?」とどこか自分の技量に疑いを持ちながらも、今度はギターの七フラット目を左手で押さえ込みながら、それから何かしらの楽曲らしいギターフレーズを、リフを演奏していく。
どこかで聞いたことがあるような楽曲だと思った。別に私が嗜んでいたわけでも、街中で流れていたわけでもない、そんな楽曲。それでも聞き覚えが私の中にあるのは、確か昔父親が車の中でカセットテープを使ったものを流していたからかもしれない。そんな音の流れを聞いて、少し古臭く煙草の香りが染みついた車内のことを、私は唐突に思い出すことになった。
……普通に、めちゃくちゃ上手いじゃん。
私が遊びで始めたバンドのそれとは異なって、兄貴の技量はきちんと一人前を示すようにギターを弾いている。聞き覚えのある楽曲の流れの中に知らない音階も含まれていたからアレンジを入れているのだろうけれど、そのアレンジについても不快感はなく流れに沿ったもの、それをもともと練習していたのか、それとも今いきなり入れ込んだのかはわからないけれど、どちらにしてもその技量についてはよくわかる。私がギターをやってないからその技量を大げさに感じ取っているだけかもしれないけれど、それでもバンド仲間のそれを思い出せば、比較にならないほどにきちんと兄貴はギターを弾いていた。それもリズムギターではなく、周囲をリードするための、そんな弾き方を。
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「と、まあこんなもんだな」
あまりにも長いと感じた数分間、兄貴はギターから手を離した後、その指先を冷ますようにぶんぶんと大きく振りながら、そんなことを言った。
「……マジでやってたんだね」
正直、兄貴が楽器をやっている、という事実には驚いたけれど、それ以外にも単純に技量がすごいことに私は更に驚愕してしまった。褒める言葉を直接言うのは憚られるけれど、それでもどれだけの時間をギターに費やしたのかはわかるからこそ、やっていた、という事実を肯定するような言葉しか私は呟けなかった。
おう、と兄貴は返事をした後、そのあと得意げな表情を浮かべる。憎たらしいと感じるほどににやついた表情、それを私に向けてくる兄貴のそれがちょっとうっとうしく感じて仕方がない。それでも確かに兄貴は嘘をつくことなく、本当の演奏を見せてくれたからこそ、私には文句を言う資格はないのだけれど。
「それで、どうだよ?」と兄貴は言った。
へ? と兄貴の言葉にとぼけた。とぼけた、というか、兄貴の演奏が耳に残っているからこそ、余韻から抜け出せないでそんな返事を返してしまった。
「だから、結婚式。俺の技量じゃ不満か?」
「うっ」
不満なんてそんなものはない。どちらかと言えば、兄貴の技量に対してこちらの技量を比較してしまえば、それこそ兄貴がいい意味で浮いてしまうくらいには卓越していると思う。
そして、もう兄貴以外に頼れる人間はいない。昔のバンド仲間として頼れるのがきょんちー、そして何かしらのサプライズとして無理くり用意するのであれば翔ちゃん、そして私を納得させてきた兄貴のこのギター。どうやったって平均が素人以下でしかないけれど、それでも段取りがつきそうなくらいには要素が集合しているような気がする。
「……結婚式、お願いします」
兄貴に頭を下げることに躊躇いはあったけれど、それは妹としてのそれでしかなく、それ以外には何も不安はない。なんなら百人力に感じるほどに、兄貴の存在は私にとって大きすぎる。
だから、それとなく頭を下げる。兄貴はそんな私の様子を、がはは、と大げさに笑ったあと「おうよ!」と首を縦に振ってくれた。
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