4、魔法使いとその弟子の魔女の隠れ家

 宵闇深まり、バッグを肩にかけた青年と男装の女の子が下車した駅は、鳥栖だ。九州の佐賀県まで来たのだ。年の離れた兄弟に見える二人が、仲よさそうに手を取り合って駅を出る姿を、駅の防犯カメラがとらえていた。

 真吾はコンビニで中古の売り家情報誌と中古車情報誌を買って、近くの格安ホテルにチェックインした。

 ツインの一室に入り、テレビをつけた。

 真吾が情報誌で売り家を調べていると、テレビで【強盗殺人誘拐事件】というショッキングなニュースが、長々と放送された。

「おれたち、日本じゅうの関心の的になってるらしいぜ」

 と真吾はつぶやいていた。

「でも、強盗の顔は、一人しか分かっていないよ」

 と陽笑もテレビに釘付けで言う。

「闇組織だから、そう簡単におれの情報は洩れないの思うけど、警察も血眼だろうから、早く隠れ家を見つけなきゃ」

 売り家情報誌をめくっていくと、築五十年ほどの田舎の家であれば、五百万円以下の物件がいくつかあった。

「どの家がいい?」

 と陽笑に聞いてみた。

「あたし、山のふもとで育ったから、山の近くが慣れてるよ。いざという時には、山に隠れることもできるし、山で暮らせるなら、サルにだってなるわ」

 と答える。

 真吾はページをめくって、指差した。

「だったら、これかな・・平屋で、おまえの今までの家よりずっと小っちゃいけど、貧乏丸出しで、おれたちみたいな強盗も来ないはず。あばら家だけど、風呂もあるし、土地も広いみたいだから、キャベツとか玉ねぎとか、小さな畑も作れそう。何より安い。山を少し昇ったところだから、陽笑の言う通り、いざとなったら、山に隠れて二人でサルになろう」

「野菜、作れるの?」

「おれの実家、田舎でね・・おじいちゃんが作ってたのを、手伝ったことあるから、できると思うよ」

「わあ、あたしも手伝うよ・・ねえ、猫も飼っていい?」

「猫が好きなのか?」

 少女は目を猫のように輝かせて微笑んだ。

「うん、好き」

「もちろん飼っていいさ」

「うわあ。嬉しい・・」

 と言いながら、陽笑は無邪気に真吾に抱き着いていた。草原のような甘い匂いが青年の胸に染み入った。少女は男の生命の音を聞くように胸に耳を押し付けたまま、声を震わせる。

「去年、子猫をひろってね、おうちに持ち帰ったけど・・三日目にはあの男に絞め殺されちゃった・・すごく怖い死に顔だったんだ・・あたし、恐ろしすぎて、悲しすぎて、泣くことさえできなかった。ただ、押し入れに逃げ込んで、ずっとぶるぶる震えていたの・・でも、あんたなら、殺したりしないよね?」

 真吾は悲しい髪をそっと撫ぜずにはいられなかった。

「殺すはずないだろ。おれも猫、好きなのに」

 陽笑は真吾から顔を離して、じっと目を見つめながら、

「うふっ、うふふふ、ほんと? わあ、ほんとなのね?」

 と笑った。

 真吾はさらに短く切った髪を撫ぜた。

「畑を作るなら、何植える? 陽笑、何が好き?」

 少女は夢見るようにほほ笑んで、

「あたし、トマト大好き。小さいトマトがいいな。それから、ミカンも好き」

「よし、トマトも、ミカンも育てよう」

「わあ、真吾、何だってできるのね・・魔法使いみたい」

「人間は、数々の魔法を使って、色んなこと成し遂げて来たんだ・・船を作って海も渡れるし、飛行機で空だって飛べる。昔の人から見たら、テレビだって魔法だし、携帯電話だって魔法さ・・ああ、やばい、おれ、陽笑と一緒なら、どんな魔法も使える気がしてきた」

「あはっ、あははは、だったらあたしは、魔法使いの弟子ね? りっぱな魔女にならなくっちゃ」


 翌朝、真吾がまず行ったのは、ホテルの電話で、今まで住んでいた安アパートの解約の連絡を大家にすることだった。大家の電話番号は、市外局番のあとに、【ゴミみなくやしい[5337-9841]】と語呂合わせで頭に残っていた。

「しばらくアメリカで働くことになったんです。急なことで申し訳ありませんが、もうそちらには戻れません・・部屋にある物はすべて差し上げますので、どうか許してください・・」

 と嘘をつき、大家の悪態から逃れるために、早々に電話を切った。


 それから陽笑をホテルに残し、まずは車探しだ。

 鳥栖の街を西へ西へ駆けていくと、軽の中古車が数台並んだ小さな販売店を見つけた。

 四十九万円で売っているワインレッドのワゴンRに惹かれた。

 狭い店舗内に人は見当たらず、他をあたろうと去りかけたところに、近くの空き地に車が停まり、白髪混じりの男性が降りた。真吾が見ていると、男性は店舗のカギを開け、中に入ったので、真吾も続いた。

「あのう・・車を買いたいんですけど・・あのワゴンR買えますか?」

 と車を指差して真吾が持ち掛けると、初老の男は営業スマイルで応えた。

「お客さんは運がいいですねえ・・あの車は他の方も興味を持たれていて、ほら、車検も一年ついていますし・・車の状態も保証します・・今なら、早い者勝ちでお売りいたしますよ」

 真吾はその言葉を鵜吞みにするフリをした。

「ありがとうございます。今、現金をお支払いしますので、すぐに乗れますか?」

 男の目が驚きに見開いた。

「今すぐ? それはちょっと難しいですねえ。軽自動車でも、手続きとかありますし」

「いくらなら、すぐに乗れます?」

「え? それは、どういう意味で?」

 真吾は鞄から百万円の束を出して、デスクの上に置いた。

「百万円あります。これで売ってくれませんか? ダメなら、他をあたります」

 営業の男は札束を確かめると、にっこり笑った。

「お買い上げ、ありがとうございます。できましたら、免許書とかコピーさせてもらっていいですか? あとはわたしがすべて手続きいたしますので」

 真吾はポケットの財布から、黙って免許書を出した。


 ガソリンを満タンにし、次は売り家情報誌に載っている不動産屋へ直行だ。

「しばらく、田舎で一人暮らしがしたくて・・この家、買えますか?」

 と情報誌を見せて申し出た。


 現地に案内され、電気も水道もガスも「何とか今日中に」と契約して、現金五百万円超を支払うと、鞄の札束はたった一日で半分以下になった。


 入居の手続きも終え、ショッピングモールで、蒲団や歯磨きのセット、タオル、石鹸、シャンプー、ごみ袋、そして弁当とお茶など、とりあえず今夜必要なものを買い、夕刻、ホテルに帰った。


 部屋に入ると、陽笑は泣きべそをかいていた。

「何だ? 何で泣いてる? 何かあったのか?」

 と真吾が問うと、少女は恨むように彼を見つめながら、ヒックヒックと泣声を溢れさせた。

「あんた、あんまり帰るの遅いから・・もう、帰らないんじゃないかと思ったんだよう・・あたしを捨てて、どっか行ったと思ったんだよう・・怖くて、悲しくて、もう、死んじゃおうと思ったんだからね・・」

 真吾は心痛くて思わず陽笑を抱きしめていた。

「ばかだな、おまえを捨てるわけないだろ・・おれには、おまえが必要なんだから」

「どうして? どうしてあたしが必要なの?」

 大切なものを確かめるように陽笑は真吾の目の奥を覗き込む。

「どうしてって、そんなの分からないけど、どうしても、だよ・・どうしても、おれには、陽笑が必要なんだ・・」

「どうしても?」

 陽笑の頬に明かりがさした。

「うん」

 真吾がうなずくと、陽笑は、

「あはっ、あははは・・」

 と壊れた太陽のように笑った。

「そう、その笑顔だよ。その笑顔が、おれを幸せにするんだ」

「うふっ、じゃあ、あたし、真吾に死ぬまで笑顔を見せるから、もう、どこへも行かないでね」

「うん、さあ、行こう」

 そう言って、幼い手を取った。

「どこに行くの?」

「二人の隠れ家にだよ。おれたちの家を買ったんだ」

「わあ、二人の隠れ家? それって、秘密の隠れ家? 魔法使いとその弟子の魔女の隠れ家?」

「おう、そうさ、魔法使いとかわいい魔女の隠れ家だよ・・おれたちの新しいふるさとだ」

 たくさんのシャボンのような笑い声が弾け出て、遥かな空へと飛んだ。

「うふっ、うふふふ・・」


 ホテルを出て、ワインレッドのワゴンRの前席に二人、乗った。

「この車も、買ったの?」

「これは、車じゃなくって、おれたち二人だけの空飛ぶ木馬さ。地の果てだって行けるんだから」

「あはっ、あんたって、やっぱりすごい魔法使いなのね」

 運転中、真吾の左手は陽笑の右手の小さな指を握った。

 その温もりが二人にとっての奇跡のように思えてならなかった。生まれた時から真っ二つに引き裂かれていた魂が、やっと一つに戻ったような、そんな奇跡だ。

 夕陽が紅く染める山々へ向かうと、街はしだいに田舎へ変わっていく。山を彩る紅も、静かに闇へ溶けていく。


 山を昇って、坂の途中にその家はあった。

 山道の舗装道路から砂利道に出て、十メートルちょっと昇った家の横に駐車した。

 家の周りには草が茂り、リーンリーン、スズムシの鳴声が聞こえる。ピリピリピリリリー、コオロギも鳴いている。暗くて見えにくいが、小さな木造平屋の半分にはツル性植物が絡んで、瓦屋根半分まで覆っている。

 下方の舗装道路には電灯が一つ灯り、夜のとばりにポツンと浮いて見える。坂の五十メートルほど下にも、数件の家の灯がチラチラしている。

 玄関の鍵を開けて明かりをつけた。中の部屋の畳は古いが、きれいに掃除されている。つい最近まで住んでいた老人が施設に入ったということで、エアコンも洗濯機も冷蔵庫も風呂の給湯器もIHコンロもテレビもあり、どれも新品ではないが、そのまま使っていいとのことだ。部屋は、玄関側が、キッチン付の四畳半と、トイレと風呂。奥の部屋が、押し入れ付きの六畳で、窓ぎわには、一人用の折り畳み式簡易ベッドがあった。エアコンはそのベッドの上だ。

 車から蒲団などを部屋に入れ、簡易ベッドに座って弁当を食べた。

「陽笑が住んでた家に比べりゃ、すごい狭いし、ほんとにあばら家だね」

 食事しながら真吾は言う。

 陽笑は笑顔で首を振る。

「真吾と二人なら、ここは楽園だよ。狭くても、外には山が広がってるし、山の上には月も星も満開だよ。明日から、山を探検しなくっちゃ・・キノコや山菜も発見できるかも」

「ここを楽園にするには、おれたち、毎日努力しなくちゃな」

「努力って?」

「まずは草ぼうぼうの庭を開拓して、小さな畑にする。そしておれは、仕事も見つけるよ。陽笑は畑の世話もしながら、学校へ行くかわりに、ここで勉強もしてもらうからな。明日、勉強道具を買って来るよ」

「オーケー、あたし、畑仕事も勉強も、誰にも負けないからね・・真吾、勉強、教えれるの?」

 真吾は、問題ないよ、といった顔で言う。

「おれ、これでも国立大、出てるんだからね・・任しときな、かわいい弟子よ」

「ふふっ、国立大出て、強盗だなんて、あんた、人生間違っちゃったんだね?」

 少女に鼻で笑われても、青年はにっこり笑った。

「そうだよ・・人生間違えて、小学生の女の子をさらって、こんな地の果てへ逃げて来て・・それでもなぜだか、陽笑とこうやって一緒にご飯食べれて、とっても幸せな今なんだ」

「うふふふ、とっても幸せな今、なんだね?」

「そうさ、こんな安い弁当だって、陽笑と食べれば、世界中のどんなご馳走よりおいしいんだ」

 真吾のおいしい笑顔を見て、陽笑も幸せそうに笑った。

「あはっ、あはは、真吾、やっぱりすごい魔法使いだ・・あたしも、この弁当が、世界一おいしく思えてきたよ」


 浴槽を洗って、湯を入れた。

 一緒に歯を磨いてから、先に陽笑を風呂に入れさせた。

 浴室から少女の歌声が漏れてきた。

 何の曲かと、真吾が耳を澄ませると、【シャボン玉】のようだ。悲しい歌を陽笑は楽し気に歌っている。

 真吾も二番から一緒に口ずさんでいた。


  ・・・・・・

  シャボン玉消えた 飛ばずに消えた

  生まれてすぐに 壊れて消えた

  風風吹くな シャボン玉飛ばそ

 

 風呂の窓の外は森林が揺れている。虫の恋歌も続いている。山裾の夜は暗い。聳える山は魔王のような闇の色だ。闇が深ければ深いほど、星星はずんずん近づいてくる。天空のペガススも、永遠の空間も時も超え、陽笑と真吾の人生へ飛んで来る。

  


 


 










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