バケツの底の西日

@kiki-kaikai

バケツの底の西日

 齢近い弟と妹のいずれもが先天性の畸形を持って生まれた。成長とともにゆっくりと馴染むように見た目を整える治療は大きな病院でないと手に負えなかったが、両親は片道二時間かけて通院する労を厭わなかった。年に数回の入院手術もありその度に病室に泊まり込む。幼い子供とその親には忍耐力と体力が要求された。その負担をやはり幼い私にまで強いないために、両親は私を祖母の家に預けることが多かった。

 幼い時分の時間経過は大人のそれとは明らかに違う。興味の対象如何で一時間は好き放題に伸び縮みする。終日かまたは数日の待つという行為は幼い私の中で伸びに伸びて、うたた寝で広大な砂漠をただ歩くという夢を何度も見せるほどであった。体力の方はともかく両親の願いとは裏腹に結果として私もまた忍耐力を要求された。

 そんな果てない退屈を私は祖母と過ごしている。祖母は子供の面倒見が取りたてて上手い質ではなかったし、縦しんば子供好きでもそう頻繁に共に居ることになれば孫の遊び相手ばかりしていられない。共に過ごした記憶はあっても、遊んだという記憶は少ない。

 思い返して最初に出てくる場面が、風呂場だ。

 昭和四十年頃に建てられた計算になるだろうか。画像検索をかけてみればなるほど当時としてはごく一般的なものだったのだろう。

 薄い藍のタイルが貼られた壁に、大小の丸石を模した床。大人なら膝を折られねば入れない小さなバスタブ。スクリューに棒が付いたような形の湯かき棒。ありふれたプラスチックの手桶と洗面器。そして、青いポリバケツ。

 これはそんな祖母の十三回忌を記念して記す。


 ある日、私はやはり朝からその家にいた。そしていつもの通り興味のないテレビ番組に疲れて、炬燵のまどろみに沈んでいった。目を覚ますと既に日が傾きかけていた。

 祖母の姿はなかった。がらんとした気配の中で気怠く身体を起こしてみるといつも通りのうっすらとした頭痛の中で幽かに音がすることに気づいた。

 かりかり。ぱしゃぱしゃ。

 鳴ったり止まったり。不規則に。

 座ったまま音源を探ってみるとどうやら浴室のようだ。居間と廊下を隔てる襖と、廊下と脱衣所を分かつ引き戸、脱衣所と浴室の境の折り戸。それらすべてを開け放つと居間のあるポイントから浴室の洗い場まで視界を遮るものがなくなる構造だった。祖母はあまり扉を閉めない人で、そのときもそうだった。だから目をこらすといつもの青いポリバケツが洗い場の中央にあるのが見えた。だが、少し妙だ。蓋のようなものがしてある。

 炬燵から両足を引き抜き風呂場に近づく。バケツの上には大皿が下向きに被せてあった。皿はバケツの淵を少し開けて、空いた箇所からは銀色の金属質の物体が飛び出して西日に反射して鈍く輝いている。ゴミ拾いに使っている、トング状の火箸である。ちょうどバケツの鍋に火箸のお玉を入れて大皿の蓋をしたような格好だ。

 瞬間、静寂。

 おもむろに大皿の蓋を開けてみた。

 突然、バシャバシャと水音が激しく鳴って水が零れんばかりに揺れた。私は驚いてへたりこんでしまった。手にしていた大皿がばりんと割れた。中には。

 中には、大人の拳ほどの大きさの鼠がいた。唐突に天板が開き光が差し込んだものだから鼠もまた驚いたのだ。それは長い尾の先を幾重にも巻いた輪ゴムで閉じた火箸で固定されていた。バケツには中ほどまで水が張っていた。尾を固定した火箸の先端は水底である。鼠は尾を水底に固定された状態で水面に浮かんでいたのだ。助かろうともがくと爪がバケツの壁面を擦り、水が跳ねる。

 かりかり。ぱしゃぱしゃ。

 何が起こっているか分からず好奇心から火箸に触れる。同時に「触っちゃいけん」獲物に襲いかかる蛇のように背後から素早く腕が伸びて手首を掴まれた。硬直した。

「触っちゃあいけん。」

 しわがれた声が続ける。

「米櫃の中にな、おった。此奴はの、人様の米を食いやがってから、儂が捕まえたけ、とり殺しちゃる。楽にはやらんのんよ。人様のもんに手ぇ出して、自分は働きもせんと、のうのうと飯を喰ろうて。ばれたからにゃあ、楽には死ねんということを知らんにゃあいけん。知って苦しんで死なんにゃあいけん。昏い中で死なんにゃあいけん。」

 掴まれたままの手首を動かすことができない。

 掴んだままの火箸から鼠の抵抗の振動が伝わってくる。

 四肢を投げ出し虚脱してぷかぷかと浮いたかと思うと、また暴れ出す。必死でもがいているが既に消耗は明白だった。

 鼠が身体をくねらせた拍子に目が合ってしまった。

 黒々とした濡れた目だった。小窓から差しこむ西日以外に光源のない風呂場のバケツの底で、水波と共にちらちらと反射する瞳だった。

 火箸から手を放すと、掴まれていた手首も解放された。ゆっくりと祖母の顔を振り返ると割れた皿を見ていた。

「けがはないかいね。」

 皿の割れた音を聞きつけてやってきたのか。いつもの優しい声だった。

「触っちゃあいけんよ。」

 そう言うと祖母はゆっくりと立ち上がり、それが割れた皿を指した言葉だと気が付いた。薄ら寒さを自覚して炬燵に戻るなり横になり、肩まで布団をかけて目を閉じた。箒なり塵取りなりで片付けをする祖母の様子が音から聞き取れた。丁寧に最後は水で流すところまで。足音が台所に向かって消えたところで、またあの音が。

 かりかり。ぱしゃぱしゃ。

 ぼくはその音をひとつも聞き漏らしてはいけないように思って、ずっと聞いていた。どんどん音の聞こえない時間が長くなって、音も遠い感じがしてきて、かわりに頭が、目の奥が痛いのを思い出してきた。じんじんどくどくいう自分の音の方がうるさくなってきて、目をあけると、そこはもう自分の家だった。熱が出てたってお母さんから聞いた。お母さんにもお父さんにも鼠の話はしなかった。


 私が小学校高学年に上がる頃には弟妹達の治療も大半が終了していたし私は家で独り待つこともできたから、祖母の家に預けられることもなくなっていった。祖母は逝去するまで同じ家に独り住まい続け、衰えが露わになっても身の回りの事柄など大きく誰かの世話になることもなかった。頼ることもなかった。最期は熱発し、入院したら一晩でそのまま亡くなった。朗らかで優しく気丈。その姿は死して尚、一族郎党の精神的支柱であり続けている。

 だから私はこの話を誰にもしたことがない。

 もしかしたら、祖母はバケツの底で水責めに遭う憂き目を怖がっていたかもしれない、だから誰にも甘えることも頼ることもしなかったのかもしれない。できなくなってしまったのかもしれない。だから古いあの家に独り固執していたのかもしれない。

 そんなこと誰に言えるものか。誰にも言えやしない。

 だがどこかで外に置いておかねばいずれ私もとりこまれてしまう、そんな予感がしてならない。私もあの呪詛を聞いてしまったのだから。

 祖母の記憶と呪いをここに置いておく。

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