男がとるべき責任
春風秋雄
お見合い相手がほとんどしゃべってくれない
「ありきたりな質問で申し訳ないですけど、ご趣味は何ですか?」
ずっと下を向いていた南彩菜(あやな)さんは、ちらっと顔をあげて俺を見たが、また俯き、俺の顔を見ず小さな声で答える。
「特に趣味はありません」
ダメだ。まったく会話が進まない。紹介者がお見合いの決まり文句で「あとはお若い人同士で」と部屋を出て、もう20分は経っているが、俺が一方的に質問するばかりで、彩菜さんはそれに言葉少なに答えるというのが続いている。
「あのー、私との縁談に気が進まないということであれば、そろそろ出ましょうか?」
俺がそう言うと、彩菜さんは急に顔を上げ、すがるように言った。
「すみません。この縁談をお断りになって頂いて結構ですが、もう少し一緒にいてもらえませんか?あまり早く終わってしまうと母に怒られますので」
お母さんに怒られる?この人は、母親から無理やりお見合いさせられているのか?
「じゃあ、気分を変えて外に出ませんか?さっき見たらここのお庭が綺麗だったので、散歩しながら話しませんか?」
俺がそう言うと、彩菜さんは素直に従った。
庭に出て、歩きながら俺は聞いてみた。
「気が進まないのに無理やりお見合いさせられたのですか?」
彩菜さんは一瞬ビクッと立ち止まったが、すぐにゆっくり歩く俺について歩き出した。
「榎田さんには本当に申し訳ないと思いますが、私には結婚できない理由があるのです」
「それは他に好きな人がいるということですか?」
「いいえ、そんな人はいないですが、ちょっと事情があって・・・」
「どういう事情か教えてもらうわけにはいきませんか?」
「ごめんなさい。これは私個人の問題ですので・・・」
「その事情をお母さまに話してお見合いを断ろうとは思わなかったのですか?」
「本当に申し訳ありません。母だけには絶対に言えない事情なのです」
「でも親であれば子供の幸せを第一に考えるわけですから、ちゃんと話せばわかってくれるのではないですか?」
「母は、私の本当の母親ではないのです。父の再婚相手の継母です」
そうなのか。釣書には書いてあったのかもしれないが、俺は実際に会って自分の目で見た印象が第一だと思い、詳しくは見ていなかった。これは複雑な事情があるのかもしれない。
俺の名前は榎田颯太(そうた)。31歳の独身だ。エノキダコーポレーション株式会社の創業家の長男として生まれ、次期社長が約束されている。エノキダコーポレーションは建築、建材、設備工事などの事業で大きくなった会社で、グループ会社は8社になっている。学生時代は恋愛も何度かしたが、社会人になってからは寄ってくる女性はみな俺という人間と結婚したいのではなく、エノキダコーポレーションの次期社長と結婚したいと思っているのが見えて、どうしても深入りできなかった。それまでも何度かお見合いの話はあったので、どうせなら最初からエノキダコーポレーションの次期社長として紹介してもらって、その上で社長夫人としてふさわしい女性を選ぼうとお見合いをすることにした。最初に紹介された女性は俺とは波長が合わずお断りして、今回の南彩菜さんが2回目の見合いだった。南さんのお父さんは、うちの会社ほどは大きくはないが、長年続いた建設会社の社長で、うちの工事の下請けを何度もやってもらっている。うちと姻戚関係になれば強い繋がりになるので、先方は大いに乗り気だった。見合い写真を見た時、彩菜さんは飛び切りの美人というほどではないが、落ち着いた優しそうな顔をしており好感が持てた。年齢も28歳ということで俺とそれほど離れていないことから、かなり期待して見合いに臨んだのだが、本人が乗り気でなかったとは思わなかった。しかし、何か複雑な事情がありそうなので、俺は断りの連絡は入れず、もう少し会ってから結論を出したいと、紹介者に返事をした。その際に彩菜さんの本当の母親のことを聞くと、彩菜さんが小さい頃に離婚しているということだった。
お見合いから5日ほど経ってから、紹介者を通じてもう一度会いたいと申し出ると、先方からは「よろこんで」と返答がきた。おそらく彩菜さん本人は断りたかったのだろうが、両親が無理やりOKさせたのだろう。次の日曜日に会うことになった。
「もうお断りになったと思っていたのですが、今日のお誘いがあって、驚きました」
「あなたとしては私の方から断った方が良かったのでしょうか?」
彩菜さんは黙ったまま返事をしない。
「とりあえず食べましょう」
中華料理店の個室を予約して、すでに料理はいくつか並んでいる。彩菜さんが取り皿によそって渡してくれる。中華料理を選んで正解だった。この前と違い、ぐっと距離が縮まるような気がした。
「ひとつ質問ですけど、私と結婚するのが嫌なのですか?それとも結婚そのものが嫌なのですか?」
「榎田さんは良い人で、男性としても素敵な人だと思います。ただ、私は結婚についてはまったく考えていないのです。南の家は妹の菜々美が婿養子をとって継ぐと思います。それで両親は私を嫁に出したいのだと思いますが、私は結婚しなくても家を出るつもりなのです」
「家を出てどうなさるつもりなのですか?」
彩菜さんは少し迷ってから口を開いた。
「このことはうちの両親には内緒にしてもらえますか?」
「わかりました。決して口外しません」
「私を産んでくれた母と暮らすつもりなのです」
「実のお母さんと会っていらっしゃるのですか?」
「私が中学生のときに、学校帰りに声をかけられました。母が家を出たのは私が5歳の時でしたので、10年近く会っていませんでしたけど、すぐにわかりました。父には黙って1枚だけ母と一緒に写った写真を持っていたのです。それからは父と継母には内緒で年に何回か母と会うようになりました。母は再婚もせずに一人で暮らしているようで、裕福な暮らしとは言えないようでした。大学を卒業して、うちの会社には入らずに、外で働きたいと言うと両親は賛成してくれました。妹のことを考えて私が同じ会社にいない方が良いと思ったのでしょう。それなりに給料をもらえるようになって、母に一緒に暮らそうと提案しましたが、母は、あなたは南の家にいた方が幸せになれるからと言って一緒に暮らすことを拒みました。私の給料の中から生活費の足しにと、いくらか渡そうとしたのですが、母はそれも拒みました。だから私は母の家に行くたびに食材を買って行ったり、季節ごとに母に似合いそうな服を買って行くようにしました。そんな母もだんだん年老いてきました。近い将来には一緒に住んで面倒をみようと思っているのです。だから私は、結婚はしないと決めたのです」
「そういうことだったのですか。ところで、どうしてお父様はあなたのお母様と離婚したのですか?」
「母の話だと、今の継母はもともとうちの会社で働いていた従業員だったそうです。父は従業員である継母と不倫関係になり、継母が妊娠したことで母を追い出したようです。母と父はお見合い結婚だったそうで、父は母に対して愛情はなかったのでしょう」
「じゃあ彩菜さんは、お見合い結婚という形式自体を拒否しているのではないですか?」
「私は見合い結婚を否定しているわけではありません。人と人の出会いは様々な形があります。お見合いもそのひとつです。下手に友達から紹介されるよりも、身元もしっかりしていて、普通なら出会えない人と出会えるのですから、結婚を前提に出会うならお見合いという形式はとても良い方法だと思います。ただ私の場合は、そもそも結婚を前提にしていないだけです」
「なるほど、結婚を前提にしないですか。じゃあ、結婚を前提にせず、私とお付き合いしてみませんか?」
「どういうことですか?榎田さんは結婚相手を探すためにお見合いをされたのでしょ?結婚を前提にしなければお付き合いする意味がないではないですか?」
「私が結婚する意味は榎田の跡取りの問題です。私に跡取りが出来なくても、弟もいますし、従弟もいます。私が結婚しなくても特に問題はないと思います」
「榎田さんのご事情はそうかもしれませんが、うちの家の場合、お見合いした相手と結婚を前提にせずにお付き合いすることは不可能です」
「そうでしょうね。そんなこと南さんのご両親は許さないでしょうね。だから私は、一旦この縁談はお断りします。そのうえで私とお付き合いしませんか?」
「榎田さんが、私と付き合いたいと思う目的は何ですか?」
「単純にあなたという女性に興味をもったということです。長い人生の中で、そういう付き合いもあってもいいのではないですか?それとも迷惑ですか?」
「迷惑とは思いませんが、本当に結婚のことは考えなくてもいいのですか?」
「私と付き合うことに興味はありますか?」
「榎田さんを相手に興味のない女性はいないと思います。でも、付き合って本当に好きになってしまったらどうするのですか?その時は別れるのが辛くなるじゃないですか」
「先のことはわかりませんが、お互いが好きになったら、別れる必要はないでしょ?結婚しなくてもずっと付き合っていけばいいのです」
「たぶん榎田さんは、そのうち私に飽きてしまうと思います。その時は早めに言ってください」
「彩菜さんこそ、私が思っていたような男でないときは、早めに言ってください」
彩菜さんはお見合の時には趣味は特にないと言っていたが、映画に詳しく、洋画・邦画に関わらず、主だった過去の映画はほとんど見ていて、ちょっとした映画オタクだった。ただ本人に言わせると、これは趣味ではなく、暇な時間はやることがなく、ひたすら映画のDVDを見ていたからということだった。映画は俺も好きだったので、彩菜さんと映画の話をするのは楽しかった。
週に1回か2回デートを重ね、3か月ほど経った。その日はホテルのレストランで食事をした。デザートを食べ終わった彩菜さんに俺は言った。
「今日はこのホテルに部屋をとっているのですが、一緒に部屋に来ませんか?」
彩菜さんの表情が固まった。結婚を前提にしない付き合いなので、やはりそういう行為は嫌なのかなと思った。
「無理にとは言いません。私とそういう行為をすることが嫌なら断って頂いていいですから」
「嫌じゃないです。でも、怖いのです」
「怖い?」
「そんな関係になったら、本当に榎田さんと離れられなくなってしまいそうで・・・」
「最初に言いましたよね。お互いに好きになったら別れる必要はないと。結婚しなくても、ずっと付き合っていけばいいって」
「榎田さんはそのつもりでも、榎田さんのご両親は榎田家の長男として結婚することを迫ってくると思います。そして榎田さんが他の女性と結婚すれば必然的に私との付き合いも終わります。私はお妾さんのような立場は嫌です。好きな人が他の女性と寝床を一緒にしていると考えただけで気が狂いそうになります」
「そうですか。わかりました。今日は私一人でここに泊まることにします」
俺たちはレストランを出て、彩菜さんを送って行くためにエレベーターに乗った。エレベーターが1階に着きドアが開く。彩菜さんに先に出てもらおうとして、俺はドアホールドボタンを押した。
「1階に着きましたよ」
俺がそう声をかけても彩菜さんは動こうとしない。
「彩菜さん?」
「やっぱり、榎田さんの部屋に連れて行ってください。このまま帰ったら、私、一生後悔すると思います」
俺はドアを閉め、取ってある部屋の階数ボタンを押してから、優しく彩菜さんの肩を抱いた。
行為が終わった後、彩菜さんは俺の腕の中で甘えるように言った。
「私、お妾さんでもいい。榎田さんが他の女性と結婚しても、時々私とこうやって会ってほしい」
彩菜さんと付き合いだして半年ほど経った頃、南社長が面会を求めて訪ねてきた。
「颯太さん、うちの彩菜とお付き合いされているらしいじゃないですか」
昨日の夜、彩菜さんから連絡があって、両親にバレたと言っていた。
「ええ、良いお付き合いをさせて頂いております」
「彩菜に聞くと、結婚はなさらないということですけど、一体どういうことなのですか?」
「結婚しないというのは彩菜さんの希望なので」
「彩菜は結婚しないと言っているのに、付き合ったということですか?それは彩菜を弄ぶつもりだったということですか?」
「そんなつもりはないですよ。純粋に男女の恋愛です」
「それで、どういうふうに責任をとってもらえるのでしょうか?」
「責任といいますと?」
「結婚するつもりはないのに、娘と付き合ったのですから、それなりの責任はとってもらわないと」
「そんなこと言ったら、世の中の男女で結婚しなかった男は皆責任をとらなければならないじゃないですか」
「そういうことを言っているのではないですよ。仮にも颯太さんは彩菜とはお見合いで知り合ったわけでしょ?それをお見合いの縁談は断って、結婚しない条件で付き合うのはおかしいではないですか?」
「なるほど、そうですね。男女の関係になった以上、男として何らかの責任をとるというのはもっともな話かもしれませんね」
「そうでしょ?」
「その点、南社長はちゃんと責任をとりましたものね。結婚しているにも関わらず、今の奥さんと男女の関係になって、その責任をとるために前妻と離縁して正妻として迎え入れましたものね」
南社長は真っ赤な顔をして怒っているが、何も言わない。
「でも、そういう意味では南社長は前の奥さんに対してちゃんと責任をとりましたか?」
南社長は唇をワナワナと振るわせるだけで何も答えない。
「聞くところによると、前の奥さんは苦しい生活を余儀なくされているそうですよ。それについてはどう考えていらっしゃるのですか?」
南社長は、ジッと俺の顔を見据えたまま、何も言葉を発しなかった。
「まあいいですよ。彩菜さんに関しては、ちゃんと私なりの責任をとりますので、ご安心ください」
南社長は何も言わず帰って行った。
南社長がうちに来た翌々日、彩菜さんは家を出て、お母さんと暮らし始めた。1週間くらいしてから俺は彩菜さんのお母さんが住むアパートへ行った。
「こんなむさ苦しいところで申し訳ないです」
彩菜さんが恐縮して言った。
「やっぱり少し狭いですね。二人で暮らすのはきついのではないですか?」
「そんな贅沢は言っていられませんから」
「どうですか、広い家に私と3人で住みませんか?」
俺が言っている意味が理解できず、彩菜さんがポカンとしている。
「うちの実家の近くに、新しく家を建てたんです。そこに彩菜さんとお母さん、そして私の3人で住みませんか?」
「でも、私は結婚はしないって言ったじゃないですか」
「彩菜さんが結婚しない理由はお母さんと一緒に暮らすからということだったじゃないですか。その問題が解決すれば結婚することに問題はないでしょ?」
「本当にいいのですか?母も一緒に住んで」
「いいも悪いも、もう家は建ててしまいました。それとも一緒に住むのは嫌ですか?」
彩菜さんがお母さんの顔を見た。お母さんは遠慮して彩菜だけ一緒に住まわせてもらいなさいと言っている。
「お母さん、彩菜さんはお母さんと一緒でなければ私と一緒に暮らさないと言っています。私はどうしても彩菜さんと一緒に暮らしたいのです。お願いですから一緒に来てください。この通りです」
俺は正座をして深々と頭を下げた。途端にお母さんは「私なんか、私なんか・・・」と言いながら泣き出し、それ以上言葉にならなかった。
後日、お見合いのときの紹介者を通じて、正式に南家へ結婚の申し入れを行った。すると、すぐさま南社長がやってきた。
「南社長、この前申し上げた通り、ちゃんと責任はとらせて頂きますよ」
「颯太さん、何も彩菜の母親まで引き取ってもらわなくても・・・」
「私は南社長が出来なかった責任を、代わりにして差し上げただけです。これも結納のひとつとお考え下さい」
南社長はバツが悪そうな顔をしたあと、いきなり頭を下げた。
「この前は大変失礼なことを申し上げて、本当に申し訳ありませんでした」
「いいえ、気にしていませんから大丈夫ですよ」
「颯太さん、これからはエノキダコーポレーションとうちは親戚関係になるわけですから、南建設のこともよろしくお願いします」
「南社長、榎田家は昔から親戚関係は大切にする家系です。良好な関係を保っている親戚に関しては、できるだけのことをしてあげるというのがうちのやり方です。ですから、榎田家と南家が良好な親戚関係を作っていけるようお願いします。そして、南家に関しては榎田家の窓口になるのは彩菜さんであるということをお忘れないようにお願いします。そのことは奥様にもよろしくお伝えください」
南社長は強張った顔をしたまま帰っていった。
新居に移った日の夜、ベッドの中で彩菜が聞いてきた。
「颯太さんは、最初からこうするつもりだったのでしょ?」
「そうだね。彩菜から結婚できない理由を聞いた時からこうしようと考えていた」
「だったらどうして最初からそう言ってくれなかったの?」
「その時はまだ彩菜は俺に対して愛情はなかったろ?俺だってそうだった。彩菜は結婚するには良い女性だとは思ったけど、まだ会ったばかりで愛しているという感情はなかった。そのまま結婚していたら彩菜は南家のため、俺は榎田家の跡取りのための結婚で、一緒に暮らしていてもドライな夫婦になってしまうと思ったんだ。だから結婚を前提にせずに付き合って、本当にこの人と結婚したいと思ったときにこの案を切り出そうと思ったんだ」
「じゃあ、付き合った結果、こうならなかった可能性もあったということなのね」
「もちろんそうだけど、俺の中では漠然とこうなるという予感みたいなものがあったな」
「じゃあ、いつそう思ったの?」
「それはいつから彩菜に対して本当の愛情を感じたかということ?はっきりそう思ったのは、あのホテルで彩菜と結ばれた時かな。彩菜を抱きながら、もう一生この人を離したくないと思った」
「じゃあ、私の方が少し早かったね」
「彩菜はいつなの?」
「あのホテルのエレベーター。エレベーターが動き出して、どんどん下っていくにつれて、あなたがどんどん遠くになっていくような気がしたの。あの時、私は颯太さんのことが本当に好きになっていたんだと気づいた」
「なんだ、少し早いったって、時間にして30分も違わないじゃないか。それで、俺に抱かれたときはどう思ったの?」
彩菜はフフフと笑って答えない。
「なあ、教えてよ」
彩菜は俺の腕の中で、恥ずかしそうに答えた。
「この人に、毎日でも抱かれたいって思った」
俺はもう一度彩菜を強く抱きしめた。
男がとるべき責任 春風秋雄 @hk76617661
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