星を見つめて

吾輩はもぐらである

僕の仕事

 立川にある顧客先から僕の勤務先であるTVS Japan(Technology for Velocity and Stability Japan)虎ノ門本社に戻ると、時刻は二十時だった。オフィスはまだ明るい。上長の塩崎さんは当たり前のように僕を待っていた。


「松本さん、お疲れ様です。ちょっといいですか?」


 塩崎さんのディスプレイには数時間前に僕が共有した資料が投影されている。


「ちょうど読み終えたところです。悪くはないですが、東田システムエンジニアリングへのメッセージが弱いです。あの会社のパフォーマンスの低さがプロジェクトのリスクとしてお客さんの不信感を招いてる点をもっと強く押したくて––」


 協力会社の詰め方を淡々と指導される。塩崎さんとは僕がこの会社に入って以来、上司と部下の関係にある。今までも、ハラスメントと訴えられるリスクを極小化しつつ協力会社や後輩を詰める方法を多く教わってきたつもりなのに、まだまだ僕が知らない表現を塩崎さんは知っているらしい。


「––という風に、資料を修正して明日の朝十時から私が確認できるようにお願いします」

「はい」

「私はもう帰ります。何か話しておきたいことは?」

「ありません。お疲れ様です」

「はい、お疲れ様です。きついプロジェクトですけど健康には気をつけて」


 感情が無いかのような冷たい声音。でも、僕は塩崎さんが本気で僕の健康を気遣っていると信じている。ただし、人としてではなく、成果を出すための機械として。塩崎さんは部下の人格には無関心なのに、健康とパフォーマンスには関心を持ち続けられる人だから。


 指示通りに資料を修正して塩崎さんに共有する。後は未返信のチャットとメールに対応して今日の仕事は終わりだ。


 僕がマネジメントしているプロジェクトのメンバーからの提出物に大量の指摘事項を添えて返信。期日は明日の午前中。多分、今日は深夜まで働いて間に合わせることになるだろう。

 後輩からのタスクに関する質問に丁寧に回答する。ただし、「今までに与えた情報だけで解けるはずの問題ですよ」「質問一つでも他人の時間を奪うことを忘れずに」の苦言は忘れない。

 東田システムエンジニアリングの営業担当者から次期契約についてのメールが来ていたので返信する。文末に一言、「来週中に御社のこれまでの仕事ぶりについて資料ベースでフィードバックするのでご確認よろしくお願いします」。向こうは強いプレッシャーを感じるはずだ。


 成果を出すためには自他に厳しく。特に協力会社は舐めた仕事をさせないよう、常に圧力を。どちらも塩崎さんの教えだ。多分、塩崎さんはこれを徹底してきたからグループ長にまで出世したんだろう。


 戸越公園にある自宅に帰ると二十三時だった。軽く夕飯を済ませて風呂に入る。


「あ-、気持ちいい……」


 新卒でTVS Japanに入社し、ITコンサルタントとしてのキャリアを歩み始めて今年で七年になる。


 多分、僕はこの仕事に向いている。メンタル不調者が続出するほど厳しいプロジェクトを渡り歩いてきたけど、僕自身は常に健康だ。会社の健康診断と、たまに受診させられるオンラインのメンタルヘルスチェックプログラムが証人だ。


 成果を出すためには自他に厳しく。大学生の時に読んだ起業家の本にも書かれていた。僕も昔は、情熱に満ち、洗練されたプロフェッショナルたちの世界に無邪気な憧れを持っていたと思う。


 でも、僕の仕事はあの本に書かれているようなものだろうか。ここ最近、他人に圧力をかけるのが自分の仕事になっている気がする。

 困難な役目を協力会社に押し付ける。パフォーマンスに満足いかなければ、並の仕事すらこなせていないかのように批判し、交渉の地歩を有利にする。

 後輩に難易度が高いタスクを与える。独力での遂行を期待し、質問されれば苦言と一緒に答えるけど、だからといって不明点を抱えっぱなしにしたらもっと厳しく指導する。


 もちろん、他人に圧力をかけるのはこの仕事の一側面に過ぎない。企画、交渉、リサーチ、助言。そういう知的で面白味のある仕事ももちろんある。だけど、僕が気に食わない一側面の存在感は日に日に増していき、面白い側面では覆いきれなくなってきていることに、僕は気づいている。


 多分、僕はいずれTVS Japanで一流のITコンサルタントになるだろう。塩崎さんのように成果を生み出す機械となり、他者にも同じことを求めるようになる。これが洗練されたプロフェッショナル、中の上より高い給料で働く人間が住まう世界だ。


 成果を求めるには必要なことのはずなんだ。


「……はぁ」


 成果って、機械になってでも追い求める価値があるもの? 

 塩崎さんのようになることが洗練?

 今の仕事にそこまで価値を感じているの?


 とっくの昔に答えは出ている問いだけど、僕の仕事はこれにつきる。疑問と自己欺瞞だ。


 でも、仕方がないじゃないか。僕の強みなんて、学力が多少高くて、仕事中は素を封印し別人になることができて、ストレスからの回復が早い事くらいなんだから。それで人より良い給料を貰っているんだから、不満を飲み込むのは当然の義務だと割り切っている。


 生きがい、情熱、洗練。仕事にそんなものはもう求めていない。仕事でそれを得られるのは一部の特権階級の人だけだってもう気づいているから。

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