01.出会いは唐突に。

 毎日を生きるために泥臭く足掻く少年、イルフは今日も盗みをする。金を稼ぐ手段もないイルフには仕方がないことだ。やられた側はたまったものじゃないだろうが。ならば働き口を探せばいいと思われるだろう。いくら少年と言っても単純作業ならば充分な労働力になるはず。ただ、それはイルフが元奴隷でなければ、であるが。

 奴隷には奴隷紋なるものが存在する。一目で奴隷であることを周知させるために首につけられたそれは焼いてつけられる。解放奴隷となったものには上から解放奴隷を示す紋を新たに押されるが、元は奴隷だったと示されるようなもので、社会的な信用度は低くなる。それだけ奴隷紋とは、奴隷に一度でもなってしまったものは生きていく上で不利で致命的なのだ。

 イルフはいわゆる脱走奴隷である。はっきり仲がよかった、とは言えない仲間達と結託し奴隷主の隙を見て逃げ出し生き延びた数少ない生き残り。そのため解放奴隷紋を刻まれるなどしておらず、未だ奴隷紋がつけられたままである。そんなイルフが働きたいと門を叩いても衛兵に叩きつけられるだけなのだ。





 イルフが盗賊行為に慣れ始めた頃、街は俄かに騒がしくなっていた。噂ではこのあたりで有名な傭兵団が街を訪れたらしくそれに住人は浮かれているらしい。なんでも国に所属する訳でもなく各地を転々としては強烈な戦績を叩き出す凄腕傭兵団なのだとか。一部では英雄視されていたりもするほどに人気らしい。まぁそんなこと関係がないイルフからしたらー

(街が騒がしいのは盗みがしやすくなって助かる)

ーぐらいにしか思っていないが。

 そんなこんなで今日はいつもより盗む気概で溢れるイルフであった。最近慣れてきたこともそれに拍車をかける。意気揚々と獲物を探していく。狙い目は足腰が覚束ない老婆や老爺、酒で意識が朦朧としている者。そういった隙が多い人物であればあるほどやりやすい。

 今日は英雄が街にやってきたことでちょっとしたお祭り空気。声が飛び交い楽器が街を彩り酒で笑顔が溢れる。その浮かれ具合の人々の間をすり抜け普段は足を運ばない酒場へとイルフはやってきた。異臭を放つイルフが通れば皆顔を顰め直ぐに薄汚い小僧が目に入る筈だが、イルフは昔から存在感を消すのが大の得意だった。この特技で奴隷主に仕事をサボっていたことがバレなかったことがあるくらいなのだ。

 酒場の扉を開きイルフが目にしたのは、色とりどりの食事を口に運び酒を片手に笑い合う人々。その中でも特に目立つのは何かの毛皮に身を包んだ酷く粗野な男。身長はそこそこにも関わらずイルフはなぜか目を惹かれた。

(今日はあいつにしよう)

 この時、なぜイルフがその男を選んだのかは分からない。分からないが、勘が、本能が囁んだ。一度決めた目標に向かって躊躇なく近づいていく。姿勢は低く身体中からアンテナを張り巡らせ、僅かな機微も見逃さない。周囲にも目を配り、確実な隙を見せるまでじっと待つ。さながら狩りをする肉食動物のように。

 そのまま待つこと10分程だろうか。イルフはただひたすらに待った。そして遂に隙を見せたと思ったイルフは、その男が腰から下げた金が入っていると思われる袋に手を伸ばす。その距離は徐々に近づき、遂に袋を掴んだイルフはじゃらじゃらと鳴るそれを引き剥がすべく引っ張る。これで成功した、今日はいい収穫だった。そう思ったイルフだったがーー

「おいクソガキ、何してんだよ。」

「!?」

ーーその手を掴まれたことで失敗したことを悟る。

(マズイ!)

 一瞬で逃げる算段をつけたイルフは脚で男の脛を蹴り付け、それと同時に手を思いっきり引っ張り男の手を引き剥がす。脛を蹴ったのは偶然だ。たまたまイルフはそこを狙った。これが他の部位だったら上手くは行かなかっただろう。しかし脛は人体の弱点。偶然であろうがたまたまであろうが、イルフは見事そこを蹴り抜いた。

「いたっ!?」

 痛みに顔を顰めたその男はその拍子に手を離し、イルフは狙い通りに逃げ出すことに成功する。すぐさま踵を返し、人々の間を抜いぐんぐんと加速して駆ける。

「待てよクソガキっ!」

 背後から男が追ってくる気配がするが気にせずに駆ける。駆ける。駆ける。





 そうして普段の路地に入りようやく一息をつく。今回は仕方がなかった。捕まらずに済んだだけ幸運であっただろう。そう気持ちを切り替え帰路に着く。そうして歩き出すイルフであったが。

「おい、待てよクソガキ。」

「なっ!?」

 唐突に背後から声をかけられたことでイルフの心臓が締め付けられる。間違いなく撒いたと思った男が路地の入り口に立っていたからだ。そこは路地の入り口であると、同時に出入り口でもある。イルフも探したが、ここ以外に出られそうな場所がないことも分かっていた。つまり、袋のネズミ状態、ということだ。

「散々逃げ回りやがって、たくよぉ。お陰で酔いが覚めちまったじゃねえか。」

 男が歩み寄ってくる。よくよく見れば腰には金が入った袋の他に剣が下げられている。心臓が先ほどからうるさい程高鳴り血の巡りが悪くなる気さえしてくる。冷や汗が止まらない。死が身近にあったイルフでも、ここまで濃密に濃い死の気配は初めてであった。足が震える。

「…たくない。」

 弱音が溢れる。

「ん?あんだって?まぁいいか、舐めた真似した罰だ。」

 男が腰の剣を抜く。眩いその銀の光は恐ろしいと感じるも、同時にとても美しいとも思った。イルフはギラギラと輝くそれに一瞬目を取られたが、意識を目の前の男に向け直す。

「死にたくない!僕はまだ、生きていたい!お前らには分かんないだろ!僕がどれだけ惨めなのか!泥水を啜ったことがあるか!?虫を、愛する家族までをも喰らったことがあるか!?誰からも愛されてこなかった、誰にも必要とされたことがない僕の気持ちが分かるか!?」

 それはイルフの嘘偽らざる本音であった。死の恐怖にさらされたことによって自分の中に留めて貯めてきた想いが溢れ出る。

「僕は生きたい!まだ、やりたいことがたくさんある!美味しいものをお腹いっぱい食べて、誰かに必要とされたい!愛されたい!綺麗な景色も見てみたいし……まともに、普通に、みんなのように生きてみたい。そんなちっぽけな僕の夢まで奪うのか!」

 思いの丈を全て吐き切ったイルフ。目には光が灯り、力が漲る。

「あぁ?何が言いてぇんだよクソガキ。」

 挑発的な笑みでこちらを見つめる男。その自分を舐め腐った顔が気に入らない。自分を下に見下す顔が気に入らない。いつか見た、あいつらと同じ顔が気に入らない。だからー

「僕はお前を倒して、まだ生きるんだ!」

 ー生きるために、目の前の男を倒す。

 生きるという生物の純粋な本能を爆発させたイルフは男めがけて駆ける。相手は剣を持っているが自分は素手。そんな子供でも分かる絶望的な状況でも、イルフは諦めない。男は素手で子供である自分を舐めている。それは当然だ。大人でも剣と拳は剣の方が強いのだ。それが体格まで有利なのだから余裕ぶるなと言う方がおかしいだろう。だが、逆に言えば侮られている今が唯一の勝機。

 対するは仁王立ちで剣を構えることなくその場で待つ男。それに向かって全速力で駆けたイルフだったが、突如壁に方向を変えた。突然の動きに男は僅かに眉を顰めるが、まだ動く気配は見せない。それをイルフは横目で確認して

(狙い通り、そこから動かなかったな。ありがたい。)

壁に括り付けられた一つの紐を外す。

 そうして一つの準備を終え、そばに置いてあった紐に硬い石を括り付けたスリングを手に思い切り振り回す。遠心力を武器にその力を何倍にも増すスリングは、ひ弱な身体であるイルフにも扱える武器であった。十分な回転をつけそれを男めがけて投擲する。

「うおっ!?危ねぇなガキ。やるじゃねぇか!」

 狙い違わず男めがけて飛んでいったそれは、呆気なく男の剣によって弾き落とされたが、それでいい。最初からこれだけでやり切れるとはイルフは思ってもいなかった。何度も投擲しては弾き返され、それを繰り返す。

「こんだけか!?お前の覚悟とやらも大したことはねぇな!」

 それを焦ったく感じた男は遂に動き出す気配を見せる。それを目にしても焦ることなく投擲を続けるイルフ。それを確認して男も少し訝しむが気にせずに動き出そうと足を踏み出したその瞬間。

「きたっ!!」

「!?」

 先程の準備はこの時のためだった。いつか自分が失敗して後をつけられた時のためにと罠を用意していたイルフは、使い古された釘や鋭利なガラス片など人体を傷つけられるものを片っ端から集めて一つにまとめておいた。丁度入り口の真上付近に集めてあったそれが男の真上でぶちまけられる。突然のことに一瞬動きを止めた男目掛けて追加でスリングをお見舞いする。狙いは足、上と下からの同時攻撃。上からは大量の物量攻撃、下からは避けずらい角度でのスリング、決まった、そうイルフは思った。しかしー

「しゃらくせぇ!」

「なっ!」

 ー一瞬身体から赤い煙のようなものが出た男はイルフの目には捉えられないような速度で全てを跳ね除けた。これにはイルフも面を食らった。訳が分からない速度で決まったと思った自分の策が食いちぎられたからだ。

「まさか俺が闘気を使わされるなんてな、やるじゃねぇかガキ!」

 剣を肩に乗せ余裕の笑みを浮かべる男。最初から勝ち目なんてなかった。その事実に気持ちが挫かれる思いであったが、それでも諦めない。前を向き、イルフは目の前の男を睨みつける。

「ああぁァァァァァ!」

 残った力と気力で拳を握り駆ける。せめて一矢報いるために、腕を振り上げる。その気に入らないニヤケ面をグシャリと潰すために。

「気に入った、おもしれぇなガキ。だが、テメェじゃ届かねぇ。弱いオメェじゃ何も、何も変えられねぇ。だから、眠っとけ。」

「僕はまだ!まだ!うあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 涙で目の前が霞むのも厭わず、愚直に突っ込む。それを余裕を持って躱される。悔しい。やはり、自分はまた、何もできなかった。目の前から拳が迫る。男の拳だ。

(痛いかな、痛いよね、きっと。あぁまだ生きたかった、な。…ミケ、ごめんね。)

 拳が当たると同時に鈍器を頭に叩きつけられたような衝撃を受け、イルフの意識は暗転する。残ったのは、その場で静かに佇む男が一人。

 自身の頬に手を触れさせ、そこに感じるヌメッとした暖かく赤い液体に目を向ける。

「まさかこの俺がこんなガキにテメェの血を見せられるなんてな。」

 呟き、少し目を瞑りその場に立ち尽くす。少しすると通りの方から人がやってくる気配を感じる。

「団長!ここにいらしたんですか!探したんですよもぉ。って!?その血どうしたんですか!?もしかしてなんかありました!?」

「なんでもねぇよ……いや、ちげぇな。」

 それを聞いて不思議そうな顔を浮かべる団員らしき女。腕は立つがアホっぽいのが偶に傷だ。

「そこのガキ、うちで連れて帰るぞ。担いでやってくれや。」

「えぇ!?この子供ですか?うわっ、なんか臭いんですけど、それにボロいし。嫌だなぁ。」

「つべこべ言わずさっさとしろや、ちゃんと担いでやってくれ。」

「まぁ団長のお願いなら分かりましたけどぉ。全く、人使いの荒い団長だなぁ。」

 口では文句を言うがテキパキと動く女団員。それを横目に見て空を向く。最近悪いことばかりあったが、悪いことの後には良いことがあるのはどうやら本当らしい。

「こいつは化けやがるぜ。」

「?」

 また何か言ってるとジト目で女団員に見られるが、今はそんなもの気にならないぐらいに気分がいい。

「鬼が出るか蛇が出るか、神にでも化けるか。なんにせよナニに化けるか、楽しみじゃねえかクソガキ。」


 踵を返して男一人女一人少年一人で歩き出す。その場には何も残ってはいない。けれど、なぜか1匹の猫が微笑んだような気がして、イルフは寝ながら微笑んだ。どんな夢を見ているのか、どことなく嬉しそうである。


運命の悪戯か、ここに鬼と少年は出逢う。

歯車が、一つ噛み合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る