続いてのトラブル

 残された昭夫は、ただただ呆気に取られていた。

 直後、なんともいえない気持ちに襲われる。この村に来て、彼らと共に生活してきた。それなりに信用されているつもりだった。だが、その思いは一方的なものだった。何かトラブルがあれば、一瞬で吹き飛んでしまう、そんな脆いものだったとは……。

 理由は簡単だ。自分は、あの少年の信頼を勝ち得ていなかった。挙げ句、感情に振り回され暴力に頼ろうとしてしまった。

 ペドロは違う。あの男は、善も悪も関係ない。そんな凡人の作り出した概念など、いとも簡単に飛び越えられる。それだけの力を持っているのだ。だからこそ、健太のような少年をも従わせられる。圧倒的な腕力を持ってはいるが、それに頼る必要もない。ただ一言二言、言葉をかけるだけで充分なのだ。

 一緒に暮らした時間など、人を救う上ではたいして役に立たない。もっとも重要なのは、人を助け信頼を勝ち取れる能力なのだ。


(本当の意味で弱者を救えるのは……自分のような無力な善人ではなく、ペドロのような善も悪も超越した圧倒的な力を持つ怪物なのかもしれない)


 以前、そんなふうに思ったことがあった。

 今ならわかる。かもしれない、ではない。彼のような怪物こそが、この村には必要なのだ。


「西野さん、何してんの?」


 声をかけられ、昭夫は振り向いた。

 車の後部座席に、健太が座っており窓から顔を出している。先ほどの表情が嘘のようだ。昭夫は苦笑し、運転席に乗り込んだ。まずは、彼を連れ帰らなくてはならない。


 ・・・


 昼過ぎ、広田は田舎道を歩いていた。周囲の探索のためだ。

 傍らには、藤崎フジサキという中年男がいる。自己紹介の時、元警官だと言っていた。何をやらかして、こちらの世界に入ってきたかは不明だ。少し遅れて、後を付いてきている。

 もっとも、藤崎の過去など今はどうでもいい。どうにも納得いかないことがある。本来なら、こんな探索などする必要はなかったのだ。元自衛官で山歩きにも詳しい矢部がいれば、何の問題もないはずだった。彼がリーダーとなり、山岳地図を見ながら皆にどう動くかを指示することになっていたのだ。

 ところが、頼みの矢部はいない。おかげで、時間をかけ慎重に回る羽目になった。

 全ては竹内徹のせいだ。もちろん、桐山譲治にも責任の一端はある。だが、そもそもあの少年は、揉めるのを察知し帰ろうとしていた。なのに、徹が無理やり引き止めた挙げ句、矢部と殴り合いをさせた。

 結果、矢部は病院送りにされ、自分たちは山奥の村を探索させられているのだ。

 

「何でこうなるんだよ」


 ブツブツ言いながら、山道を歩いていた時だった。


「やあ」


 声と共に、茂みから突如として現れた者がいる。Tシャツにデニムパンツという軽装だ。顔つきからして、外国人だろうか。

 広田は、思わず拳銃を抜いていた。その時になって気づく。

 藤崎が地面に倒れていた。いつの間にやられたのだ?


「だ、誰だてめえは!」


 銃口を向け、怒鳴り付ける。しかし、外国人は涼しい顔だ。


「他の人たちは、どこにいるのかな。出来れば、連れて来てもらえると助かる。もっとも、見つけるのは簡単だがね」


 言った直後、外国人は左手を上げた。広田はビクッと反応し、思わず相手の左手を注視する。だが、何もない。片手のみホールドアップ、という奇妙な体勢だ。

 次の瞬間、今度は外国人の右手が動いた。あまりに速かったため、何をしたのかは見えなかった。指で何かを弾いたように見え、ビシッという音もした。ただ、それだけだ。

 対する広田は、ビクッと反応した。だが、痛みはない。何をしたかはわからないが、問題はなさそうだ。

 この男は何者だ? 藤崎は、なぜ倒れている?

 それ以前に、この落ち着きようは何だ?


「は、はあ!? 何を言って……」


 言いかけたが、閃くものがあり慌てて口を閉じる。桐山が言っていたペドロ博士というのは、今目の前にいる男ではないのか──


「て、てめえがペドロか!」


 怒鳴ると同時に、トリガーを引いた。構えた拳銃から弾丸が放たれ、外国人の体を貫くはずだった。

 しかし、予想外のことが起きる──


「う、嘘だろ……」


 唖然となり、後ずさっていくのは広田の方だった。拳銃は、異様な音を発しただけだ。弾丸は出ていない。

 直後、信じられないことが起きる。頑丈な銃身が、ミシッという音を立て裂けたのだ──

 

「この業界で今後も生きていくのなら、ひとつ覚えておきたまえ。銃口に異物が入ると、拳銃は撃てない。今、俺は銃口に異物を投げ入れたんだよ」


 言ったかと思うと、ペドロは動いた。正確に言うなら、広田の目には揺れたようにしか見えなかった。

 直後、広田の視界は一回転する。一瞬の投げ技で、背中から地面に叩きつけられたのだ。衝撃のあまり呻き声を上げる。

 すると、ペドロが顔を近づけてきた。


「君らに聞きたいことがある。桐山譲治くんは、今どこにいるのかな?」


「えっ?」


「桐山譲治くんだよ。身長は百五十五センチ、体重は五十キロ前後。額に大きな傷痕がある。ほっそりして見えるが筋肉質で、ゴリラの腕力と猫の敏捷さを兼ね備えている。端正な顔立ちだが、それを台なしにするほどの奇行が目立つ少年だ。わかるね?」


「わ、わかる! わかるけど、わからない!」


 何の考えもなく、頭に浮かんだ言葉を叫んでいた。途端に、ペドロの手に力が入る。広田は、思わず悲鳴をあげた。


「君は何を言っているのかな。俺は、桐山譲治くんの行方について尋ねたのだよ。今の意味不明な言葉が、君の遺言になってもいいのかね?」


 ペドロの口調は淡々としている。だが、広田にはわかっていた。目の前の男は、右手に持った聖書を読みながら、左手で人の首をへし折れるような男だ。慌てて言い直した。


「す、すみません! 桐山のことはわかります! でも、今どこにいるかはわかりません! そういう意味です!」


「なるほど。では、そのトランシーバーで今すぐ呼び出してくれたまえ」


「い、いえ、駄目なんです! あいつは、ひとりで好き勝手にうろうろしてるんですよ! それに、あいつはトランシーバーの使い方わかってないので持たせてないんです!」


「そうか。となると、もう君らに用はない」


 言った直後、ペドロの手がこちらに伸びてくる。広田は、恐ろしさのあまり声すら出なくなっていた。今なら、はっきりわかる。目の前にいるのは本物の怪物だ。自分の命を奪うことなど、何とも思っていない。

 生まれて初めて、己の死を意識した。そんな時にもかかわらず、妙な考えが頭に浮かぶ。

 桐山は、こんな奴とやり合う気なのか──


「いつもなら、どちらも殺しているところた。ところが、今の俺は他に優先すべきことがある。なので、しばらくここで風景を楽しんでいてくれたまえ」


 直後、足首に激痛が走る。広田は、思わず悲鳴を上げた──


 ・・・


 その頃、昭夫はまたしてもトラブルに見舞われていた。

 竹内の家に行った途端、杏奈が真っ青な顔で飛び出て来る。呆気に取られる昭夫の前で、彼女は叫んだ。


「大変です! 可憐が……可憐がいなくなってしまいました!」


 その瞬間、昭夫は思わず天を仰ぐ。なぜ、このタイミングでトラブルが頻発するのか。可憐は、健太とは真逆で行動範囲が広い。どこに行くか、まるきり見当がつかないのだ。

 だが、すぐに気を取り直した。不安はない、といえば嘘になる。しかし、あの男なら何とかしてくれる。

 そう、ペドロなら見つけてくれるだろう。彼ならば、あちこちに残った痕跡を見つけられるはずだ。

 昭夫は今、ペドロに絶対の信頼を置いている。もはや、それは信仰心に近いものだった。信者が、教祖に寄せるものと同質である。

 だが、本人はそれに気づいていなかった。

 







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