消えた少年

 ペドロと桐山が接触した翌日。

 昭夫は朝から車に乗り込み、皆の家を回っていた。計画が早まったことを伝えるためである。車には、ペドロも同乗していた。

 しかし、初っ端からトラブルに見舞われてしまう──




 昭夫は、最初に佐倉家を訪れる。だが、車が停まると同時に扉が開き、広志と京香が出て来た。ふたりとも、遠目で見てもわかるくらい顔色が悪い。明らかに、普通ではない様子だ。

 もっとも、今は外で立ち話をしたくなかった。誰が見ているかわからないのだ。昭夫は車を降りると、ふたりに声をかける。


「すみません。まずは入ってください。中で話しましょう」


 その言葉を聞き、夫婦は家の中に戻っていった。昭夫は、後から家の中に入っていく。

 三人は、玄関にて向き合う。異様な空気の中、まず口火を切ったのは広志だった。

 

「健太がいなくなった」


 その瞬間、昭夫は思わず顔をしかめた。


「えっ!? 何があったんです!?」


 聞き返すと、広志は弱りきった顔で答えた。


「いや、俺もわからないんだ。昨日、兄ちゃんがいないって騒いでいたんだけど、俺たちにはどうしようもない。だから、お兄ちゃんはそのうち帰って来るよ、って言ってごまかしてた。でも、今朝になったらいなくなってて……すまない、俺たちがちゃんと見ておけば……」


 うなだれる広志の横には、妻の京香がいる。彼女もまた、弱りきった顔をしていた。

 本来なら、この夫婦と一緒に出来る限りの人数を動員して探すべきだ。しかし、今はそういうわけにもいかない。


「わかりました。とにかく、おふたりはここにいてください。僕たちが車で探してみます」


 そう言うと、昭夫は車に乗り込む。すると、ペドロが口を開く。


「何かあったのかね?」


「ええ、あります。健太がいなくなりました。兄の姿が見えなくなり、探しに行ったようです」


 投げやりな態度で答える。まさか、こんな大変な時にイマジナリーフレンドがいなくなるとは……不運というのは、重なるものらしい。

 しかも、今は竹内徹の手下たちが村の付近をうろついている。こんな状況で、どうやって探せばいいのだろうか。

 ところが、ペドロはあっさりと答えた。


「そうか。では探さなくてはなるまい」


 事もなげに言ってのける。昭夫が言い返そうとしたが、ペドロは彼を無視して車を降りてしまった。

 外に出ると、ゆっくりと歩きながら地面や周囲の風景を見回している。その表情に、迷いは一切感じられない。自分がこれから何をすればいいのか、ちゃんと理解している様子だ。

 昭夫は、唖然となりながら彼の行動を見ていた。どうやって探すのだろう。健太は、ほとんど外に出ない少年だ。立ち寄りそうな場所がわからない。それに、地面や林を見て何がわかるというのだ。

 そんなことを考えていた時、ペドロがこちらを向いた。


「だいたいわかった。車でついて来てくれ」


 言ったかと思うと、道路に沿って歩き出す。周囲に目を配ってはいるが、行くべき場所はわかっているらしい。

 昭夫は、半信半疑で後に続いた。まさか、たったあれだけの動きで健太の行き先がわかったというのか。時間にして、ほんの一分か二分しかかかっていない。ワイドショーのインチキ超能力捜査官でも、もう少し時間をかける。

 それでも、ペドロなら出来るかもしれない、という期待はある。今は、この男の能力に頼るしかないのも確かだ。周囲に目を凝らつつし、ペドロに合わせたスピードで車を走らせていく。

 走り出してから五分ほど経った時、昭夫の視界に妙なものが入った。


「嘘だろ……」


 思わず呟く。二十メートルほど先の、道路から少し外れた木陰に、健太が座り込んでいた。虚ろな表情だ。あちこち探し回り、疲れたのだろうか。車の音には気づいているはずだが、反応していない。

 ペドロはといえば、健太から数メートル離れた位置で立ち止まり、無言で少年を見つめていた。声をかける気配はない。

 昭夫は車から降りると、まずペドロのそばに走り寄る。


「どうやって見つけたんですか?」


 耳元で囁く。この謎だけは、種明かしを聞かないと気がすまない。


「健太くんのデータから判断したのさ。彼の性格や思考パターンから、行きそうな場所を推測した。そして木々や土や草の微妙な変化を見て、ここだと判断した。人通りが少ない場所ゆえ、比較的楽だったよ」


 ペドロは、当然のごとく答えた。地元で有名なラーメン屋を教えるような態度だ。

 こんな状況にもかかわらず、昭夫は思わず笑ってしまった。この男は、いったい何なのだろうか。ぱっと周辺の林や地面を見ただけで、何のためらいもなく進んでいき、行方不明の子供を見つけてしまった。

 ひょっとすると、これが超能力というものの正体なのかもしれない。異様に鋭い観察眼と高い知能とを駆使し、常人には見えない僅かな違いを見ることが出来る。そうだとすれば納得だ。


「何をやっているのかな。笑っている場合ではないよ。彼を連れ戻す、そのために来たのだろう?」


 ペドロの声に、昭夫は我に返った。今は考えている時ではない。まずは、この少年を連れ帰らなくてはならない。

 当の健太は、昭夫とペドロのことを完全に無視し地面に座り込んだままだ。ふたりの存在には気づいているはずなのだが、こちらを見ようともしない。

 そんな健太に、昭夫はそっと声をかけた。


「健太、家に帰ろう。父さんと母さんが心配してるぞ」


 すると、健太は顔を上げた。

 

「嫌だ! 兄ちゃんがいないんだ! 俺が連れ帰る!」


 怒鳴り声で応じる。どうやら、戻る気はないらしい。昭夫は引き攣った表情で、彼の肩に触れる。


「とにかく、今は戻ろう。お兄さんも、そのうち帰って来る」


「嫌だ! 兄ちゃんを見つけるまで帰らない!」


 言った直後、肩に触れた手を乱暴に振りほどく。その時、昭夫の中で何かが弾けた。


「いい加減にしろ! 君の兄さんは、この世にはいないんだ!」


 気がつくと、罵声を吐いていた。恐らく、御手洗村に来てこんな声を出したのは初めてだろう。さすがの健太も怯んでいた。


「な、何を言ってるんだよ……兄ちゃんは、いるから──」


「いないと言ったらいないんだ! 君の兄さんは、もう死んだんだよ!」


 健太の言葉を遮り、凄まじい形相で怒鳴りつけた。

 ここ数日間、昭夫の周囲で起きたことは、完全に彼のキャパシティを超えている。アクション映画の世界に迷い込んでしまったような気分だ。今までは、どうにか対応できていたものの、精神的に大きな負担となっていた。

 その歪みが、ここで現れてしまったのだ。もはや、気を遣った物言いが出来なくなっている。

 しかし、健太の方も引く気配はない。


「そ、そんなこと……嘘だ! 兄ちゃんは死んでない!」


 その瞬間、昭夫は逆上した。思わず拳を振り上げる。


「死んだといっているのが──」


 言葉は、そこで止まった。振り上げた手は、がっちりと掴まれている。異常な腕力だ。誰であるかは見るまでもない。


「昭夫くん、あとは俺がやる。君はどきたまえ」


 ペドロの落ち着いた声で、昭夫は冷静さを取り戻した。同時に、自分が何をしようとしていたか気づく。愕然となり、下を向いた。子供に対し、暴力で無理やり言うことを聞かせる……そういうやり方を、一番嫌っていたはずなのに。

 一方、ペドロは昭夫の手を離すと、怯えている健太の前に立つ。


「健太くん、君のお兄さんは必ず戻ってくる。信じるんだ」


「でも、いないんだよ! 昨日から、ずっといないんだ!」


 収まる気配がない。その時、ペドロの手がそっと伸び健太の頭に触れた。

 その時、驚くべきことが起こる。頭に触れた……ただそれだけの動きで、健太の表情が和らいでしまったのだ。そんな彼に、ペドロは優しく語りかける。


「大丈夫だよ。俺を信じるんだ。君の兄さんは、必ず帰って来る。だから、今は戻るんだ」


 極めてシンプルな言葉である。しかし、今の健太にはこれで充分だったらしい。 


「わ、わかった」


 素直に頷いた。その様子を見たペドロは、顔を上げ昭夫に視線を移す。


「彼のことを頼むよ。俺は、やり残した仕事を片付けるよ」


 そう言うと、すっと立ち上がった。自然な動きで、林の中に消えていった。





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