第2話 死霊の森

 恋の苦しみに耐えきれずに、心臓が破れて死んだ乙女は、死霊ウィリになる。

 死霊ウィリの住処は暗い夜の森だ。

 彼女達を裏切った男が不用意に近付けば、あっと言う間に死霊ウィリに取り囲まれ、狂い死ぬまで踊らされる。

 私の村には、そんな言い伝えがあった。

 ジゼルが死んでから、二週間後。

 村の北にある森の中で、ジゼルが彷徨っているという噂が流れた。

 悔い改めたロイスとハンスが、彼女に謝るために、夜の森に足を運んでいるとも。

 ⋯⋯今更謝ったところで、何になると言うのだろう。

 彼女は死んでしまった。もう何をやっても生き返らないのに。


 その日の夜更け、北の森の入り口に、フードを目深に被った男が現われた。

 男は辺りを見回して、誰もいないことを確かめてから、足早に森の中へ入って行く。

 ────ロイスだ。改心したかどうかはともかく、夜の森に足を運んでいるのは本当だったらしい。

 私は、足音を立てないように気をつけながら、男の後を追った。

 夜の森は静まり返っていた。ロイスが土を踏みしめる音と、虫の声だけが響いている。

「ぐぎゃっ、ぐぇっ、がっ、ぐぎゃあああああッ!」

 耳障りな悲鳴が聞こえた。私は咄嗟に、すぐ近くの大木の影に隠れた。

 ロイスが振り向く。その彼の脇をすり抜けるようにして、ハンスが走り抜けて行った。

 青白く光る娘が、ハンスに群がっている。彼女はクスクスと笑いながらハンスの腕を取り、関節と逆の方向へ捻じ曲げた。

「ウギィィィィッ!」

 ハンスが吠える。最早人間の言葉では無かった。

 獣のような雄叫びを上げながら、青白い娘達を追い払おうと、奇妙な形に折れ曲がった両腕を振り回す。

 美しくはない。リズムも何もあったものではない。

 それでもそれは、まるで踊りのように見えた。

「⋯⋯あれが、死霊ウィリか」

 死霊ウィリに追い回されるハンスを眺めて、ロイスがぼそりと呟いた。

 ハンスを助けるつもりはないらしい。更に森の奥へ行こうと、ハンスと死霊ウィリに背を向けた時に────

「ジゼル」

 ロイスの目の前に、青白く輝くジゼルが現われた。

 その顔に、以前の笑顔は無い。

 村で踊っていた時からは想像もつかないような緩慢な動きで、ジゼルはロイスを手招いた。

 ロイスが彼女に付いて行く。私は、その後を追った。


 森の奥の、少し開けた場所で、ジゼルとロイスは踊り始めた。

 ジゼルは死霊ウィリになっても美しかった。

 生きていた頃のジゼルは、飛び跳ねるように踊っていたけれど、死霊ウィリのジゼルの動きは、随分とゆっくりになっていた。

 長いスカートを足に引っ掛けるようにして、ゆっくりと高く上げて、上げた時より更にゆっくり足を下ろす。

 ジゼルは、他の死霊ウィリ達がハンスにやったように、ロイスの腕を折らなかった。

 見ている者に眠気を覚えさせるほど緩慢な動作で、踊り続けていた。


 ああ、ジゼル。村娘達の憧れの人。

 綺麗で、可憐で、輝いていて、

 ────どうして、あなたはそんなに愚かなの。


 夜が明けた。

 青白く輝いていたジゼルの身体が透き通り、朝の光の中へ消えていった。

 恋する乙女を裏切っておきながら、ロイスは死霊ウィリに殺されることなく生き残った。

 ジゼルは、彼を許したのだ。


 でも。

 だけど。

 あの子がお前を許しても、

 ────私は、お前を許さない。


 ロイスは、しばらくの間、呆然とその場にうずくまっていた。

 やがて、ゆっくりと顔を上げて立ち上がり、よろよろと元来た道を戻り始める。

 その顔には、締まりのない笑みが浮かんでいた。

 ロイスは油断しきっていた。

 だから、女の細腕でも簡単だった。

 私はロイスの背後に回り込み、懐から引き抜いた短剣を、彼の背中に突き立てた。


 私は、ロイスに、ハンスと同じような鳴き声を上げさせた。

 だって、不公平だろう。

 死霊ウィリは、女を裏切った男を殺すものなのだ。

 ハンスはちゃんと報いを受けたのに、お前には何の罰も無いだなんて、ありえない。

 だから私は、死霊ウィリ達がハンスにやったことを、ロイスにやった。

 簡単には死なせてやらない。死ぬまで踊り狂えば良い。


 ⋯⋯貴族を殺した私は、きっと死刑になるだろう。

 それで良い。

 あの子が死んだ日に、私は生きたまま死霊ウィリになった。

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ジゼル 三谷一葉 @iciyo

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