ジゼル

三谷一葉

第1話 みんなのあこがれ

「さあ、踊るわよ! ソフィア、よろしくね!」

 ジゼルはそう言って、勢い良く片足を振り上げた。

 私は慌てて懐から横笛を取り出して、彼女の動きに合わせて笛に息を吹き込んだ。

 ジゼルが踊る時、その踊りに相応しい音を奏でる。それが私の役目だった。

 あっと言う間に、人だかりができる。井戸端会議をしていた婦人達は会議を一時中断して、昼間から陽気に酒を飲んでいた若者はジョッキを片手にやって来て、つい先程まで走り回っていた子供達はジゼルの真似をして飛び跳ねる。

 村の大広間は、彼女のための舞台になった。

 ジゼルはくるくると回りながら、観客達に笑顔を振りまいた。彼女が片目を閉じて指を差せば、その先にいた少女から悲鳴のような歓声が上がった。

 足にまとわりつく長いスカートも、彼女なら踊りを華やかに彩るリボンになる。どんな風に足を上げれば、どんな風に回れば、スカートが美しく広がるのか、ジゼルはわかっている。

 綺麗で、可憐で、誰よりも輝いている。

 彼女は村一番の人気者で、少女達のあこがれの的だ。

「さっすがジゼル! 今日もイカしてるぜ!」

 森番のハンスが、手拍子を始める。身体をひねり、顔の左側で両手を叩く、気取った手拍子だ。

 笛を吹いているこちらからすると、これが一番困る。

 ジゼルの踊りか、私の笛か、そのどちらかに合っているなら良い。だけどハンスのそれはめちゃくちゃで、まるっきりこちらのリズムを無視しているのだ。

 もちろん、ジゼルはこの程度で調子を崩したりはしない。キラキラと輝く笑顔で、完璧な踊りを披露し続けた。


 ジゼルの踊りが終わった後、人々はそのまま酒場に雪崩込んだ。

 主役はもちろんジゼルである。

「最高だったよ、ジゼル!」

「今日も綺麗だった!」

「さすがこの村一番の、いや世界一の美女!」

 人々の賞賛を、ジゼルは華やかな笑顔で受け止めている。

 私はそれを、少し離れた場所で眺めていた。

「いやあ、ほんとほんと、俺のリズムとジゼルの踊り、最高だったよな!」

 人々をかき分けるようにしてジゼル隣へやって来たハンスが、大声でそう言った。

「え? ええ」

 ジゼルは少しだけ困ったような顔になる。

 あのめちゃくちゃな手拍子を最高だと思っているのは、ハンスだけだ。

「だよな? そうだよな? ジゼルの踊りに笛だけじゃ物足りないと思ってたんだ。君の踊りには、俺の手拍子が────」

「ちょっと」

 鼻の下を伸ばし、大声でまくし立てるハンスが気に入らなくて、私は彼らの間に割って入った。

「そういうことは、ちゃんとしたリズムを叩けるようになってから言ってくれない?」

「はあ?」

「あんたの手拍子、これっぽっちも合ってないのよ。正しいリズムはこう!」

 ハンスの目の前で手を叩く。わざわざ正解を見せてやったのに、ハンスの薄ら笑いは変わらなかった。

「なんだよそれ。嫉妬か? 俺に役目を取られるかもって焦ってんだろ」

「はあ? なんでそうなんのよ。いい? あんたのめちゃくちゃな手拍子でもジゼルが調子を崩さないのは、あたしが────」

「────ロイス!」

 私の脇をすり抜けるようにして、ジゼルが走る。

 穏やかな笑みを浮かべた青年が、半ば体当たりをするように駆けてきたジゼルを抱き留めた。

 ロイス。ジゼルの婚約者。

 彼の前では、ジゼルはとろけるような笑顔を浮かべる。今まで観客達に向けていたのは愛想笑いだったのだと、思い知らされるような締まりのない顔になる。

 私とハンスは、思わず顔を見合わせた。

「⋯⋯なーんであんなのが良いのかね」

「物凄く不本意だけど、それについてはあんたと同感よ」

 ロイスは物静かな男だ。本人はみんなと同じ農民だと言っているけれど、彼が働いているところを見たことがない。

 確かに見た目は、男にしては美しい方だろう。だが、彼の美点はそれだけだ。

 何をするにしても、誰かにやってもらうのを待っているだけ。それが当然だという傲慢さが、ロイスにはあった。

 何故、ジゼルが彼に夢中になるのか、わからない。

 ジゼルなら、もっともっと良い男と婚約できただろうに。


「そいつは農民なんかじゃない! お貴族様だ!」

 ある日の夕方。いつものように村の大広間で踊りを披露して、酒場でみんなと語らっている時だった。 

 酒場の扉を蹴破るようにしてやって来たハンスが、片手に剣を携えてやって来た。

 その剣に刻まれた紋章を見て、みなが息を呑む。

 学の無い農民でもわかる。それは、侯爵家の紋章だった。

 目を血走らせたハンスが、ロイスに詰め寄る。

「おい、ロイスさんよ。あんたがいつも着替えに使ってる森小屋があるだろ。そこでこれを見つけたんだ。きんきらきんの豪華な衣装もばっちり拝んだぜ」

 ロイスは押し黙っている。ジゼルは真っ青になっていた。

 もし本当にロイスが侯爵家の人間なら、大変なことになる。

 貴族と村娘が、結婚できるわけがない。

 それに何より────侯爵家では、

「う、うそ⋯⋯嘘でしょ、ロイス」

 ジゼルは、縋るようにロイスを見た。ロイスは口を閉ざしたままだ。

「あなたが貴族だなんて、そんな、そんなこと、ありえないわよね。だってあなたは、私と結婚するんだから」

「⋯⋯」

「ね、ねえ、ねえロイス。何とか言ってよ。嘘なんでしょ? あなたは村人よ。そうよね、ね?」

 ロイスはジゼルをちらりと見て、深々とため息をついた。

「⋯⋯ああ、そうだよ。僕は貴族だ。農民じゃない」

 ジゼルが、大きく目を見開く。

 ────だから、言ったのに。あんな男は、止めた方が良いって。

「い、い、いやあああああああっ!!」

 ジゼルが悲鳴を上げた。まるで汚いものを避けるかのように、ロイスが身を引く。

 呆然としたまま成り行きを見守っていたハンスの手から、ジゼルが剣をもぎ取った。そのまま胸に剣を────

「駄目、駄目よ、ジゼル!」

 私は床を蹴って、ジゼルの右腕に飛びついた。もつれあうようにして、彼女と一緒に床に倒れ込む。

 彼女の手から、剣が離れた。それを拾おうと、ジゼルがもがく。

 私は、必死になって彼女を押さえ込んだ。

 ジゼルは悲鳴を上げ続けている。

 目を大きく見開いたハンスが、慌てて剣を拾い上げた。

 鼻から太い息を吐き出したロイスは、自分には関係ないとでもばかりに酒場の出口から出て行った。


 その日の夜に、ジゼルは自ら命を絶った。

 恋の苦しみに心臓が耐えられずに破けてしまったのだと訳知り顔で言う人がいるけど、そうじゃない。

 ジゼルは殺されたのだ。

 あの男に、ロイスに殺されたのだ。

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