第3話 七年後、大山君と同棲を始めてからの『奇妙な出来事』

 大山君との初めての水族館デートから七年後。

 私たちは今、結婚を前提に同棲をしています。大学卒業後、私は同大学の大学院に進学し、理学の修士課程を修了しました。修士課程を修了した後は東京に本社を置く家電メーカーに就職し、技術職(SE)として働いています。


 一方の大山君はというと、東京の大学の博士課程に進学し、将来研究者になるために毎日勉強を頑張っています。『どうしても解明したい謎』というのが何なのかは未だに分かりませんが、『どうしても解明したい』という大山君の思いは、相当本気のようです。


 今となっては私が大山君に勉強を教えることもできませんが、大山君は毎日のように英語で書かれた論文を読んでは、相変わらず目を輝かせています。難しい論文を読んで目を輝かせられる大山君の好奇心旺盛さには、私は素直に尊敬の念を覚えるのでした。



 さて、大山君と同棲を始めてからというもの、私はいくつか奇妙な体験をするようになりました。一つは、休みの日に家を掃除していると、いつの間にか『動物の毛』のようなものが掃除機に吸い込まれていたということです。それも、『たまたま衣服に付着していた』という説明では到底納得できないほど、『大量に』です。

 しかも、動物の毛は掃除機に吸い込まれていた分だけではありません。お風呂場の排水溝にも、『茶色っぽくて短い動物の毛』がゴミ受けに溜まっていたのです。


 「大山君。ここ最近、この家に犬か猫を入れましたか?」

 「え、犬か猫ですか?」

 大山君はかぼちゃを切っていて手を止めて、私の方を振り返りました。どうやら今日のお昼ご飯は天ぷらそばのようです。

 「はい。実は掃除をしていたら、動物の毛のようなものが大量に見つかりまして」

 掃除機のゴミ受けを見せると、大山君は何故かホッとしたようでした。

 「なあんだ。これは、ですよ」

 「……え、たぬきの毛?」

 「はい。ですから、何の心配もいりませんよ」

 大山君は『のほほん』と笑っています。

 「あの、むしろたぬきの方が心配なのですが……」

 「えッ……雪野さんは、もしかして、たぬきが嫌いなんですか?」

 大山君は、何故か怯えているようでした。


 それを見て、私は丁寧に説明をすることにしました。

 「犬か猫なら、例えば大山君が友人から一時的に預かったとか、そういう可能性が考えられたわけです。ですが相手がたぬきとなると、流石にたぬきを飼っている人はいないでしょうから、野生のたぬきが留守中に侵入した可能性が高いわけでして、それで心配したんです」

 「……じゃあ、雪野さんは別に、たぬきが嫌いではないんですね?」


 どうして大山君は、たぬきにこだわるのでしょう。私にはその理由がさっぱり分かりませんでした。ですが、いつも『のほほん』としている大山君がここまで怯えているのは、明らかに異常です。何か深刻な理由があるに違いありません。

 私は大山君の『奇妙な不安』を軽く受け流したりせず、真正面から受け止めることにしました。

 「別に、私はたぬきが嫌いということはありません。たぬきは多くの物語で日本人に親しまれていますし、私としても、むしろ好きなくらいです」

 「そ、そうですか……。なら、良かったです」


 私の説明を聞いて、大山君はホッとしたようでした。結局、どうしてたぬきの毛が家の中に落ちていたのかは判明しませんでしたが、恐らく、私たちの留守中に野生のたぬきが開いていた窓から入って来たのでしょう。それ以上に合理的な説明も思いつかなかったため、私はこれ以上『たぬきの毛問題』を考えることはしませんでした。



 さて、同棲を始めてからの奇妙な体験は『たぬきの毛』だけではありません。夜中、ベッドに入って眠ろうとすると、『ポン』という太鼓を叩いたような音がリビングからしてくることがあるのです。気のせいだと思って再び眠ろうとすると、『ポン』『ポン』『ポン』とだんだん景気が良くなってくる始末です。これではおちおち眠ることもできません。

 私は部屋の明かりをつけ、ゆっくり時間をかけて明順応させると、仕方なく眼鏡をかけてリビングに向かいました。


 しかし不思議なことに、リビングは無人でした。テレビどころか、明かりさえついていません。私は、大山君がテレビを消し忘れたものとばかり思っていたので、すっかり途方に暮れてしまいました。少し考えた結果、隣の部屋から聞こえてきたのだろうと思い直し、それで納得することにしました。

 『ポン』『ポン』『ポン』

 しかし驚くべきことに、リビングの窓外からその音は聞こえてきていたのです。しかも、良く見ると『何かの影』が動いているのがカーテン越しに分かります。私は急に背筋が寒くなって、大山君の寝室に急いで駆け込みました。


 「雪野さん、どうしたんですか~」

 大山君は眠たそうに瞼を擦りながらベッドから起きてきます。

 「あ、あの、リビングの外に、誰かいるみたいなんです!」

 「……えっ、こんな時間にですか?」

 「時間は関係ないでしょう!」

 私はつい、軽く怒ってしまいました。大山君の言い方が、まるで昼間なら何の問題もないと言っているように感じられたからです。ここはマンションの五階です。夜間だろうと昼間だろうと、窓の外に誰かがいるというのは、決して普通ではありえないのです。


 私は大山君の危機感の無さに呆れながらも、頭の中で状況を整理して、冷静に推測します。

 「泥棒かもしれないんですよ!」

 「泥棒、ですか?」

 「ええ、それにさっきから変な音も聞こえますし、早く警察を呼んだ方が」

 『ポンポン』

 私が状況を説明する間に、再び例の音が聞こえてきました。

 「あ、ほら、この音です! さっきから、この音が聞こえてくるんです」

 すると、大山君は何故か頭を抱えてしまいました。怖がっているというより、困っているように見受けられます。


 「……あの、大山君?」

 「すみません、雪野さんはここで待っていてください。すぐに戻りますから」

 「え、あの、警察は……」

 「大丈夫です。すぐに止めさせてきますから」

 「え、あの、それはどういう……」

 大山君は私を於いて、一人でリビングに行ってしまいました。とても気になりましたが、今は好奇心よりも恐怖心の方が圧倒的に勝ります。私は自室に戻って充電中のスマートフォンを手に取ると、いつでも110番ができるような状況を整えて、クローゼットの中に身を隠しました。



 少しして、大山君が私の部屋に入って来ました。ホッとしてクローゼットから出ると、大山君は、何故か申し訳なさそうに苦笑いを浮かべていました。

 「すみません、雪野さん。どうやら、野生のたぬきが悪戯をしていたみたいです」

 「……え、野生のたぬき?」

 「はい。腹太鼓を鳴らして、遊んでいたみたいです」

 「……え、あの、たぬきが腹太鼓を鳴らすのって、フィクションじゃないんですか?」

 「いえ、鳴らしますよ。特に、今日みたいな満月の晩は『ポンポン』と」

 「はあ……大山君、たぬきに詳しいんですね」

 すると、大山君は『ギクッ』としたように肩を小さく震わせました。


 「大山君、どうかしましたか?」

 「そ、その……たまたま、テレビ番組でたぬきの特集をやってたので、覚えていたんです」

 「そうでしたか。そういえば、この前の『たぬきの毛』ですが、今のたぬきが犯人だったんですかね?」

 「……あ、そ、そうですね! きっと、そうだと思います!」

 ですが、自分で言っておきながら、私はふと違和感に気が付きました。

 「……でも、リビングの毛はともかく、どうしてお風呂場にも毛があったんでしょうか?」

 「た、たぬきは器用ですからね。たまたまお風呂場の扉を開けて、入ったんだと思います」

 「……なるほど。確かに、窓を開けて部屋に入って来れるなら、その可能性はありますね」


 少し釈然としないところもありましたが、これ以上考えても仕方がありません。それに、明日も普通に仕事があります。私はこれで納得してしまうことにして、もうひと眠りすることにしたのでした。

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