命焦ぐ
秋嶋二六
命焦ぐ
自分は一体何になりたかったのだろう。
緩和ケア病棟の一室、そのベッドの上で考えてみた。
今さら意味はないと思うが、まだ猶予が多少は残されている。
しかし、一日ごと、いや、一秒ごとに人としての何か、人体を構成する何かが蝋燭の火を吹き消すように尽きていくのがわかる。いつ急変してもおかしくはない。
だからこそ、急がねばならない。人生の最後に生じた命題を解き明かすために。
わたしは結局何者にもなれなかった。
顧みるにしては、平均寿命を遙かに下回るこの年では短すぎる。
それでも、最後に知りたいのだ。この世に生まれ落ちたことの意味、人生の意義とは何だったのか。
子供の頃にはなりたいものがあったように思う。
成長するにつれ、夢と憧れは泡のように溶けて、なくなっていった。今では何になりたかったのか、思い出すこともできない。
推測はできる。わたしは主体性のない人間だった。当時の流行を追ったのは、わたしの性格からして想像に難くない。誰かが持っているから、自分も同じものを持たねばならないという強迫観念があった覚えがある。
ブームが廃れれば、すぐに関心も失った。憧れや夢はあくまでも他人と合わせるための方便でしかなかった。
思えば、わたしは幼少の頃より、この世界に失望していたのかもしれない。悪人や悪党は数多いが、ヒーローは一体どこにいたというのか。わたしが知る限りではどこにもいなかった。いないからこそ、希望も見いだせなかった。
もしかしたら、いたのかもしれないが、不幸なことにわたしはついぞ出会うことがなかった。それだけだ。
流されるままに勉強し、漂うままに就職し、そして、今ここに最期の時を迎えようとしている。
それなのに、何になりたかったのか、自らに問うている。ひどい矛盾だ。
しかし、このような問いを発するときはだいたい自己否定に端を発しているものだ。
ならば、わたしは積極性に富み、能動的に自らの道を切り開くような人間になりたかったのか。
答えは否だ。
わたしという人間を魂の底まで掘り返しても、消極的であり、受動的であるのは間違いなく、性にも合っていた。
死を前にしても、わたしが平静でいられるのは受動性が人よりも多くあったからだろう。
日夜、緩和ケア病棟では無念の声と遺族の悲しみが満ちている。
わたしを看取るものはいない。わたしは孤児で、元々家族もいないし、家族がどういうものかも知らない。
他人との関係も希薄で、恋人はおろか、友人すらいない。ただ一人死んでいくだけの存在だ。
そこまで考えてから、わたしは小さくため息をついた。ここまで自分の欠点を羅列しただけにすぎない。
少し考えを中断しようとしたそのときだ、急に心臓が暴れ出した。今まで一定のリズムで動いていた心臓は緩急を繰り返し、徐々に小さくなろうとしている。
ついに不帰の旅人になるときが来たようだ。
無念だった。せめてこの答えが出るまで、自己満足できるまで身体が保ってくれなかったことが。
視界が暗くなり、あらゆる音が壁を隔てた向こうから聞こえるかのようだ。
息がうまくできない。苦しい。
走馬灯が見えた。人は死の瞬間、過去の経験から死を回避する選択を探すらしい。
しかし、自分の過去はひどく希薄でもあったから、死を回避する何ものも見いだせなかった。
わたしは諦めた。ほんの少し与えられた時間、ただ従容として自らの結末を待つことにした。
しかし、死の淵にこそ、光明はしばしば見えるものらしい。
わたしは何かになりたかったのではない。ただこの命を使い切りたかったのだ。自分のためでも、他人のためでも、どちらでもいい。
そういうことだったのかと、わたしは得心した。胸を焦がし、熱を持った人生を送りたかったのだ。
答えが出ると、余計に無念だった。後悔もひとしおだ。
ただ、それでいいとも思う。いつか誰かが自分の後悔を拾って、先に進めてくれる。そう思うとこの状況なのに希望が溢れた。
そう、後悔して死んでもいいのだ。夢を叶えるのが自分でなくてもいい。憧れを体現するのも自分でなくていい。
きっと同じ思いをしている誰かが夢の軌跡を先へとつないでくれる。
わたしは解を得た。人生の解を。
やがてすべての感覚が消えていく。
(了)
命焦ぐ 秋嶋二六 @FURO26
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