【KAC20252】ひなたの君
佐斗ナサト
ひなたの君
影としてあれ。物心ついたときから、そう教え込まれて生きてきた。
任務に出るときのお前には、名も顔も声もないものと思え。一人の主のみを
だから、太陽の下では余所者だ。
――曰く、
むろん優秀な護衛をつけてはいるが、それだけでは心もとない。日向に立つ護衛に加えて、お前が陰より守れ。それが我が殿の指示であった。
姫君の愛らしいことはすでに周辺の城まで広まっており、幼い彼女をめぐる思惑があちらこちらで渦巻いていた。城主としても、美貌の娘はぜひ切り札として使いたいことだろう。かくなる意図があっての二重警護だろうと理解できた。この世は乱世、油断した者から喉を裂かれる。当たり前のことだった。
私はただ深々と頭を下げ、拝命した。
翌日から、姫君を隠れて見守るようになった。
確かに器量がよいとはいえ、姫君はまだ幼子だった。いたずらをして周りを困らせ、意に沿わぬことがあれば泣く。着物の裾を汚して暖かな陽だまりを駆け回り、夜は闇を恐れて明るい部屋で眠る。そのような子どもだった。
姫と忍びの育ちようなど、天と地の差だとは分かっていた。それでも胸中にわだかまるものは、羨望――だったろうか。太陽を友とし、夜の灯りを信じて疑わぬ者への。
ある日、護衛が何かに気を取られたときのことだった。屋敷の門からの人の出入りに混ざって、姫君がするり、と外へ抜け出した。
単なる武士は持たぬ目を持つのが忍びである。庭師を装って様子を見ていたところ異変に気づき、まっさきに姫君の後を追った。扮装のままさりげなく追いついて、いけませんぜ姫さま、とでも言って城へ連れ戻すのが、影の者としては賢い仕事のやり方だ。だが瞬時の判断でふところに手を入れ、取り出した布で顔の下半分を覆った。
角を曲がろうとしたところで、姫君が突然、大樹の陰に引き込まれたからだ。
地を蹴って駆け出す。もがく姫君の手がちらと樹の陰から見えて、消えた。その反対側から飛び込み、姫を抱え込もうとしていた男の後頭部に肘を叩き込んだ。振り返りかけた男の首に腕を回して、背後からぎりぎりと締め上げる。男はやがて姫を放し、無様に気を失った。
人攫いの体を横に放り、姫君を見やる。彼女は幼い瞳に怯えの色を浮かべ、じっとこちらを見つめていた。
わだかまっていたはずの胸が、痛んだのはなぜだろう。
彼女のように私は生きない。生きられない。それでも――それであればこそ、彼女の瞳には陽の光が満ちているべきではないか。
血濡れた私の代わりに、めいいっぱいの煌めきを浴びて育つべきではないのか。
しばし黙してから、私はその場に膝をついた。そして姫を見上げ、こう言った。
「ご安心めされよ。我は
「わたしの、かげ……?」
「然り。さあ、屋敷へお戻りを。護衛殿が半狂乱でおられますぞ」
「えっ」
姫君はきょとんとした顔で屋敷の門を見やる。果たしてそこから帯刀した男が大慌てで駆けてくるところだった。
彼女はもう一度、こちらを振り返る。だが私はもう木の枝の中に身を潜めていた。
「――かげ?」
姫がぽつり、と呟いた声が、春風にのって耳に入る。
「……左様。お守り申し上げる」
そう囁いた私の声は、護衛に手を引かれて戻ってゆく、幼い耳に届いたか。
【KAC20252】ひなたの君 佐斗ナサト @sato_nasato
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