第10章「交わる過去と決意の兆し」(2)
翌日、夕暮れの校門を出たシンは、ユキと並んで歩いていた。
お互いに気まずそうに口数が少ないが、どこか前日よりは落ち着いた空気が流れている。
とはいえユキはまだ頭痛が残っているらしく、時折小さく息をつく。
「無理するなよ、ユキ。昨日も眠れたか?」
「……あまり。でも、昨日ほどひどくはない」
「そっか。よかった。……それでも、辛いんだろ?」
ユキは少し黙り、横目でシンの顔をうかがう。
「……あなたこそ。記憶、どうなの?」
「正直、怖い。さっきも授業中にノートをとっていたはずなのに、後で見返したら何を書いたか思い出せなくて。……でも、大丈夫。なんとかやりくりしてる」
そう言いながら、シンは自分の胸を拳で軽く叩く。
本当はまったく大丈夫じゃないのに、ユキをこれ以上心配させたくなかった。
彼女もまた苦しんでいるのだから――。
しかし、それを察しているのか、ユキはさらりと言葉を返す。
「無理しないで。私も……あなたが壊れるのは見たくない」
思わぬ言葉に、シンは胸が熱くなる。
昨日は“助け合おう”なんて言葉で締めくくったものの、実際に彼女がこうして気遣ってくれるのがうれしかった。
ちょっとだけ頬が熱くなるのを感じ、シンはごまかすように笑う。
「ありがとう。じゃあ、お互い何かあったら連絡するってことで。……例えば、ユキがまた頭痛で倒れそうになったらすぐ教えてよ。俺も同じくらいつらいけど、それでも放っておけないんだから」
ユキは微かに視線をそらし、面倒くさそうに言う。
「あなたこそ……記憶が飛んで、わけわかんなくなったら連絡して。……そっちのほうが大変そうだし」
「助かるよ……」
それだけで二人の間に妙な空気が漂う。
突き放すような口調でも、ユキが不器用な優しさを見せているのをシンは感じる。
しばしの沈黙の後、ユキが言葉少なに告げる。
「じゃあ、私、こっちだから。もう帰る」
「あ、ああ。じゃあな、また明日」
ユキが踵を返し歩き去る。
その背中は相変わらず細く心もとなく見えるが、ほんの少しだけ以前より柔らかさがあるように感じられた。
シンはその場に立ち尽くし、胸に込上げる思いを振り払いながら息をつく。
“ユキを守りたい、しかし自分も限界を感じる”――そんな葛藤がシンの胸を締めつける。
だが、その一方で「一人ではない」という思いも確かに芽生え始めていた。
◇◇◇
夜、シンは自宅でノートを開く。
そこには「ユキ、念動力、読心力、病院、榎本先生、施設……」といったキーワードが乱雑に書き殴ってある。
シンは頭をかきながら、そのページに“今日はユキが人前で俺をフォローしてくれた。照れくさいけどうれしかった”などと書き足す。
しかし、ペンを走らせる手がふと止まる。
恐怖が胸を襲い、「これさえいつか読み返せなくなるかもしれない」という思いがよぎるからだ。
「……怖い。でも……」
それでも彼は、震える手を奮い立たせて、ノートの最後の行に一行を書き込む。
『ユキとなら、少しだけ未来を信じられる気がする』
書き終えた瞬間、自分の頬が熱くなっているのに気づく。
自嘲するように笑って、ペンを置いた。
だが、その胸には小さな決意の光が灯っていた。
誰かと支え合えるなら、どんな辛さも乗り越えられるかもしれない――たとえそれが、一時的な錯覚だとしても、今はこの気持ちにすがりたい。
シンは窓の外を見やる。
月の光が淡く差し込み、部屋の片隅に影を落としている。
この世界に何が潜んでいようと、何が彼らを待ち受けていようと、彼とユキは必死に足掻き、道を切り開かなければならない。
そんな静かな闘志を胸に秘めながら、彼はノートをそっと閉じる。
その夜、月明かりが彼のデスクをわずかに照らす中、“記憶”をつなぎとめるようにシンは何度もノートを見返す。
ページに刻まれる文字は、まだ鮮明だ。
まだ大丈夫だ――そう自分を鼓舞しながら、彼はそっとペンを持ち直して、一行を追加する。
『どれだけ怖くても、二人ならきっと変われる。あきらめるわけにはいかない――』
ペン先が震える。
しかし、その文字ははっきりとノートに刻まれていた。
心の奥で何かが決まる。
いつか全てを知るときが来る。
それが残酷な真実だったとしても、シンは逃げずに向き合うと誓った。
ユキの小さな声が脳裏に蘇る。
「……放ってはおけない」と言ってくれた、あの言葉を胸に――。
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