記憶を失う僕と、感情をなくす君が紡ぐ学園再生譚
暁ノ鳥
第1章「静かな違和感」(1)
「シン、早くしないと門が閉まる!」
「わかってるけど……定期入れが、どこにも……」
「お前、ほんと何回目だよ。新学期くらいシャキッとしろっての!」
朝の春風が柔らかく吹き抜ける校門前。
濃い茶髪の御影コウタは、制服のネクタイを緩めたまま、白山シンの背を押して駆け込んでいた。
コウタはスポーツ万能そうな体格と、いつもにぎやかな笑みを浮かべる“お調子者”キャラとして周囲を盛り上げる存在だ。
一方、シンは黒髪短めのやや細身で、きちんと制服を着こなしているが、今朝は「定期入れが見つからない」「教科書どこやったっけ」と頭を抱えっぱなしだ。
前髪が少し長めで表情に柔らかさはあるが、その落ち着きのなさが“天然キャラ”の印象を強めている。
「あ、そうだ、教科書も……やばい、カバンに入れたはずなのに……」
「はあ!? 教科書まで忘れたのかよ。もう知らんっ! ほら、さっさと昇降口へ行くぞ!」
校舎脇には満開の桜並木が続き、朝日を浴びた花びらが舞っている。
通りを行き交う生徒たちは新学期の期待に胸を膨らませ、誰もがにぎやかに笑っている。
そんな中で、シンだけが軽い頭痛を覚えるほど焦っていた。
石段を駆け上がり、昇降口の掲示板に貼られた二年生のクラス分け表を見ると、そこには「白山シン」「御影コウタ」「風間ナツミ」の名前が二年B組に並んでいた。
「おっ、ナツミも一緒じゃんか。これで俺ら三人、揃ったな」
「よかった、見知った顔がいるだけで安心するよ……あれ、ここに“黒江ユキ”って見慣れない名前があるんだけど……」
「黒江……ユキ? 別のクラスにいたか、俺は知らねえな」
二人は納得のいかないまま小走りで教室を目指し、階段を二段飛びで駆け上がる。
シンの頭には「定期はどこへ消えた?」という疑問がへばりつき、遅刻の可能性に焦りながらも、脳裏に“黒江ユキ”という名前が微かにひっかかっていた。
「ここ二年B組……って、あ、ナツミがいたぞ、手振ってる」
「急げ急げ!」
バタバタと教室に入ると、風間ナツミが笑顔で待っていた。
ナツミはショートヘアで、明るいヘアピンをいくつかつけており、アクセサリー好きがうかがえる。
小柄な体格ながら元気いっぱいで、世話焼きキャラとして男女問わず人脈が広い。
彼女はシンとコウタに向かって大きく手を振る。
「やっぱり二人とも同じクラス! 良かったね、シン。何とか間に合ったみたいじゃん!」
「う、うん……ギリギリだけど。ナツミ、また面倒かけるかも……」
「いいのいいの、いつも通りね。はいはい、そろそろ先生が来るから座りなさいな」
「お前、母ちゃんかよ」とコウタが突っ込むと、ナツミはにやりと笑う。
「中学からの腐れ縁でしょうが。ていうかシン、何か他にも忘れてない? 教科書とか……」
「あ、それも……カバンに入れた記憶はあるんだけど、見当たらなくて……」
「またか。さすがにやばいって、それ本気で治そうよ?」
「そうしたい……ホントにそうしたいよ……」
ひそひそと話しているところへ、担任教師が入ってきた。
男性で背が高く、爽やかな笑みを浮かべるその姿に生徒たちは自然と注目する。
名前は青山。色合いを抑えたスーツに腕まくりしたワイシャツというラフなスタイルだ。
軽い自己紹介を済ませると、彼はにこやかに黒板を叩いた。
「二年B組のみんな、はじめまして。担任の青山だ。まずは軽く自己紹介タイムといこうか」
教室がざわめき始め、男子が何人か手を挙げる。
最初に名乗りを上げたのはコウタだった。
「御影コウタっす! 中学からの付き合いで、シンとナツミとはバカ騒ぎ仲間です。運動はわりと何でも好きで、あとはボケ担当なんでツッコミよろしく!」
「コウタがボケ? あたしとシンが振り回されてるだけでしょ!」とナツミがすかさず声をかけ、クラスが笑いに包まれる。
青山も笑顔を見せた。
続いてナツミが肩をすくめながら立ち上がる。
「風間ナツミです。料理とかお菓子作りが好きで、よく友達にあげたりします。クラス行事も大好きなんで、皆で楽しく盛り上げましょー! 困ったら声かけてね、世話焼くのは得意だから!」
「おー、頼もしいな」と誰かが拍手し、ナツミは得意げに笑う。
次にシンの番がきた。
少し緊張しながら机を離れ、前に向き直る。
「白山シンって言います。あ……なんか物忘れがひどくて今朝も定期を……ま、とにかく皆と仲良く頑張りたいです……よろしくお願いします……」
「シンくん、名前だけは忘れないでね!」
笑いが起こるなか、シンは頭をかきつつ席に戻る。
そうやって男子女子が順番に名乗っていくうち、シンは“黒江ユキ”という名前を耳に待ち構えていた。
ようやく教師が名簿を見て「じゃあ黒江ユキさん?」と呼ぶと、教室の後ろからすっと立ち上がる姿が見える。
そこにいたのは黒いセミロングの髪をストレートに伸ばし、前髪を小さく流した美少女。
体格は細身で白い肌がひときわ目立ち、制服の着こなしは至って真面目。
なにより、その瞳には生気が感じられないほどの静けさが宿っている。
「黒江ユキ……です。よろしく……」
それだけを呟くと、ユキは再び椅子に座る。
周囲からは「なんか近寄りがたい……」などの声が小さくささやかれるが、ユキ本人は表情を変えることなく席に座る。
シンは彼女の無表情さを見て、なぜか胸が痛んだ。
心臓がドキッと跳ねるような感覚ではなく、むしろ“何かを失っている”ような孤独を感じ取ってしまうのだ。
全員の自己紹介が終わるころ、担任はさらりとホームルームをまとめた。
「みんな、これからよろしく! クラス行事とか、いろいろあるだろうけど仲良くな。じゃあ時間もあれなんで、一旦休み時間にしよう!」
チャイムが鳴り、教室が一気に賑わう。
ナツミがすぐに「コウタ、シン、行くよ!」と声をかけ、三人で荷物をまとめようとするが、シンはまたカバンの中を探して「えっと、教科書がやっぱりなくて……」と困惑顔になる。
コウタがあきれ顔で肩をすくめる。
「お前、ほんと一日一回はこういうのあるな。何でそんなに忘れんだ?」
「自分でもわからないんだよ……。最近、特にひどい。ちょっとヤバいなって……」
「大丈夫? 何か悩みとかあるなら言いなよ?」とナツミが優しく尋ねると、シンは苦笑しながらも曖昧に笑う。
「いや、そんな大したこと……ないと思う。あはは……でも後で一緒に職員室行っていい?」
「いいわよ。どうせ購買行きたいし」
そんな三人のやり取りが続く一方、シンの視線はどうしても教室の隅に向かう。
そこにはユキが机で教科書を開き、ぼんやりとページをめくる姿があった。
女子数人が遠巻きに「あの子、めっちゃクールそう」「声かけたけど笑わないし……」とひそひそ話をしている。
コウタが小声で言った。
「なあ、あの黒江ユキって子……すごく無表情だな。お前、気になるの?」
「少しだけ。ほら、なんか……孤立してない?」
「確かに話しかけづらいよな。ナツミもさっき挨拶してみたんだろ?」
「うん、したけど『よろしく』で会話終了。言葉が続かなくて、ちょっと怖かった」
ナツミが微妙な顔をしつつも、「でも無理強いはよくないしね」と呟く。
シンはちらりとユキを見ながら胸のざわつきを抑えられない。
自分も“物忘れ”という問題を抱えており、どこか周囲とズレているという不安がある。
それゆえか、ユキの寂しそうな雰囲気を他人事と思えないのだ。
「ちょっとだけ……話しかけてみようかな」
「え、大丈夫か?」とコウタが驚きの目を向ける。
「わかんないけど、何もしないままってのも落ち着かなくてさ」
シンはスッと立ち上がり、意を決してユキの席へ向かう。
ユキは伏せたまぶたをほんの少しだけ動かして、シンの存在に気づいた素振りを見せる。
シンはドキドキしながら声をかけた。
「あの……黒江ユキ、さんだよね。俺は白山シンっていいます」
「白山……シン……?」
ユキは彼の名前を繰り返し、細いまつげを一度だけ瞬かせた。
口元に笑みらしきものは浮かばないが、どこか探るような視線を送ってくる。
シンはその眼差しに息が詰まりそうになりながらも、なんとか言葉をつないだ。
「うん、みんなからは“シン”って呼ばれてて……まあ、あの、ほんとに……何かあれば……」
「別に……何も……」
わずかな沈黙。
ユキは小さく息を吐き、目を伏せる。
その横顔はとても綺麗で、肌の白さが際立っているが、まるで感情の起伏がない。
シンは気まずい空気を感じつつも、どうにか踏み込もうとした。
「あ、そっか……ごめん、急に変なこと言って……。あ、でも、これから同じクラスだし、もし何か……いや、無理やりじゃないから、嫌なら全然……」
「そう……わかった……」
それだけ答えると、ユキはまた教科書へ視線を落とし、会話が完全に閉じられた。
シンは胸にチクリと刺さる痛みを抱えながら席に戻っていく。
コウタとナツミが苦笑混じりに迎えた。
「どう? 打ち解けられた?」
「全然。やっぱりどうにもならないっぽい……」
「ま、焦ってもしょうがないわよね。彼女だって気分があるだろうし」
教室に漂う明るい笑い声と、ユキが纏う静寂。
そのコントラストがあまりにも鮮明で、シンは戸惑いを禁じ得ない。
自分も物忘れという問題があり、そのせいで日々焦燥感を抱いている。
周りは笑ってフォローしてくれるが、いつか本当に大切なことを全部忘れてしまうのではないか――。
そんな不安が消えないのと同じように、ユキにも人に言えない悩みがあるのではないかと思えてならなかった。
「シン、あんたも大変なんだから無理しないでよ?」
「うん……でも、やっぱりあの子が気になって……なんていうか、放っておけない気がする」
その言葉にナツミは少しだけほほ笑んで、ポンとシンの肩を叩く。
コウタは「気をつけろよ、下手したら余計なお世話になるからさ」と苦言を呈するが、シンは短くうなずくに留まった。
桜の花びらが窓の外を舞い、にぎやかな春の新クラスとは対照的に、黒江ユキは硬い表情のまま教科書をめくっている。
シンの不安は相変わらず大きく、彼女に何を言えばいいのか見当がつかない。
けれど、このままでは気持ちがおさまらない――。
シンは、そう確信めいた思いが芽生えていたのだった。
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