でびゅー

香久山 ゆみ

でびゅー

 ひな飾りの片付けを手伝ったあと、夕飯をごちそうになることになった。

 俺は遠慮しようとしたのだが、つれてきた猫のツクモが帰ろうとしなかったのだから仕方ない。

 幼女一家とともに食卓を囲む。奥さんの手料理は、手の込んだものではないけれど美味い。日頃コンビニ弁当や外食で済ませてばかりの身に沁みる。いや心に沁みているのかも。ツクモもちゃっかり鶏ささみのチャーハンのようなものを作ってもらってご満悦そうだ。

 居間のテレビでは音楽番組が流れている。

「イチヨーさんだあっ!」

 瑠那ルナがスプーンを握りしめたままかわいい声を上げる。

 若い歌手や海外アーティスト達の出演で盛り上がった番組の最後、ステージ上にスポットライトが集まる。大トリの降臨だ。

 究極のアイドルと称される彼女の登場に、場内が沸き、また瑠那もテーブルの上に立ち上がらんばかりに興奮している。

 長い階段をゆっくりと下りて、ステージの真ん中に白いドレスの女性が立つ。

 ジャカジャカジャン。

 軽快なイントロが流れると、テレビの前にかじりついた瑠那の体も揺れる。

 キャッチーなメロディに、子どもでも口遊くちずさめる単純な歌詞ながら、大人も唸る奥深さがある。

 画面の向こうでイチヨーさんが手を上げると、瑠那も上げる。ステップを踏むと、瑠那の足もよたよたと右に左に動く。今、全国でどれだけの人が同じようにテレビの前で歌って踊っているだろう。SNSでは多くの「踊ってみた動画」がアップされているらしい。

「きゃああ! かわいいぃ!!」

 黄色い声が上がる。

 瑠那の母親だ。「世界一かわいいぃぃぃ」「天才だわ」「絶対アイドルデビューできちゃう」など、涎を垂らさんばかりに瑠那をうっとり見つめる。父親も同様に目尻を下げて瑠那を見つめ、夫婦とも体を揺らして今にも踊り出さんばかりである。

「ねえ、うちの子めちゃくちゃかわいいですよねっ。探偵さん?!」

「そ、そうですね……、かわいいです。あ、俺、ちょっとトイレ借りますね」

 一緒に踊るよう強要されないうちに、サビ前にトイレへ逃げることにする。

 ちらと見ると、猫のツクモもテレビの前に座って、俺にしか見えない二股のしっぽをピンと伸ばして画面を食い入るように見つめている。化け猫だから、こいつも今にも踊り出すかもしれない。


 トイレに逃げ込んで、ようやく一息つく。ドアを隔てるだけで、リビングの喧騒は遠い。

 そういえば、和久さんもイチヨーさんのファンだったな。と思い出す。

 和久さんは、俺の刑事時代の上司だ。

「和久さん、イチヨーさんのファンなんすか?」

 和久さんのデスクの上にイチヨーさんのブロマイドを見つけた。和久さんは決まり悪そうに、その写真をさっさと胸ポケットにしまった。

「イチヨーさん」の愛称で巷間の人々から親しまれている夏目なつめ一葉かずはは、アイドルだ。

 年齢非公表であるが、俺の親世代が若い頃に熱狂していたことから察するに還暦近いのではないかと思われるが、芸能人とはすごいもので三十代といっても通用しそうな美しさで、ふとした角度や表情はそれより若く感じたりする。しばらく芸能界を離れていたが(出産・育児と噂されているが真偽不明)、最近主題歌に抜擢されたアニメが大当たりして、再ブレイクしている。再びメディアに現れた彼女の美貌に、世間は驚嘆と賞賛の嵐だ。

 和久さんは堅物で事件捜査にしか興味がないと思っていたから、イチヨーさんのブロマイドは意外だった。和久さんが手にするものといえば、未解決事件の資料や写真、証拠物件に限られると思っていた。そう言うと、和久さんは「ふん」とぶっきらぼうに鼻を鳴らした。

 和久さんと俺は、かつて二人きりの部署で未解決事件を追っていた。――未解決事件番号一桁台を。

 未解決のまま捜査終了となった事件の中でも、特に凶悪なものや異様・不可思議な事件に、一桁台の番号が振られている。「一桁台に関わるとろくなことが起こらない」とまことしやかに囁かれる。実際、一桁台を追っていた和久さんは死んで、俺は刑事を辞した。

 和久さんとの最後の事件を契機に、俺は見えないものが力を手に入れた。それで霊能探偵なぞしているわけだが。

 そうして、いまだに一桁台から完全に離れきれずにいる。

 もしも、当時の俺に視える力があれば、和久さんを助けることができただろうか。


 なんて思っていると、カリカリカリ! とドアを掻く音がする。

「ナアアアー!」

 ドアの向こうでツクモが鳴く。

「どうした」

 ドアを開けると、「ウニャア!」とツクモが一声鳴き、リビングに向かって走る。俺もあとを追う。

 そういえばやけに静かだ。テレビから流れる音楽は聞こえるが、親子の騒ぐ声がまったく聞こえない。踊り疲れて、眠った? そんな馬鹿な。

 リビングに入る。

 一瞬、誰もいないかと思った。

 ちがう。

 親子はソファの下にいた。

 その光景に、俺は目を疑う。

「何しているんだ!」

 床の上で、母親が、幼い瑠那の上にのしかかっている。

 母親の肩を掴むが、びくともしない。それで、ほとんど体当たりのような形で、母親を幼女から引き剥がす。

 さいわい絞められて間がなかったのか、幼女はこほんと小さな咳をして呼吸を取り戻す。寝惚けたような声を出して、すうすう眠りにつく。

 母親を振り返ると、ソファの脇に倒れている。頭をぶつけたりはしていないはずだ。

 仲の良い母娘が、なぜこんなことに……。

 母親のもとに行き、抱き起こそうとすると、彼女の体からするりと何かが抜け出して、俺の方へ向かってきた。「シャーッ」とツクモが威嚇すると、その影は逃げるように窓の外へ出て行った。

 俺はその様子を呆然と眺める。

 母親は、悪いものに憑依されたことにより、愛娘の首に手を掛けてしまったのだろう。しかし……。

 彼女の体から抜け出た霊の姿を、俺ははっきりと見た。

 それは、彼女の夫――瑠那の父親だった。

 うそだろ。

 彼は、瑠那がまだ物心つく前に亡くなってしまったものの、幽霊となってずっと家族を傍で見守ってきたのだ。そんな彼が、母親に憑依して娘を手に掛けようとするなど、考えられない。

 しかし、俺に向かってきた彼の目は、確かに悪霊のそれだった。何か叫んでいたようにも見えたが、俺は視えるだけで聞こえない。

 一体なぜそんなことに……。

 混乱する頭、母娘が眠ってしんとしたリビングには、音楽番組の陽気なメロディーが場違いに流れる。

「シャーッ」

 ツクモがテレビに向かって毛を逆立てる。

 堅物の和久さんが手にするものといえば、捜査資料ばかりだった。そんな和久さんが持っていたブロマイド。ファンだからではなく、事件に関する資料だったのではないか――。

 スポットライトが照らすステージでは、数曲メドレーで歌い終えた究極のアイドルが涼しい顔で微笑を湛える。


 その日以来、瑠那の父親霊の姿を見ない。

 世の中では、最近また物騒な事件が増えてきたとニュースや新聞に取り上げられている。

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でびゅー 香久山 ゆみ @kaguyamayumi

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