越境者たち①




   林田與一はやしだよいち/石川



 ある時惣太は俺に語った。

「俺は逃げた人間だ。その点は間違いないね」

 親の虐待から逃げてきた彼は自嘲じちょうする。


「俺がおまえの境遇だったら、親の元からとっくに逃げ出してるよ」

 俺は惣太に常識ってやつを教えたつもりだ。


 惣太はかぶりを振る。

「俺には才能があった。一つ上の兄よりもずっとね。だから俺が嫌がっても親が離してくれなかった。学校にいない時間はずっと練習練習練習。スポーツなんて嫌いだ。運動なんてやりたくない。同い年の子と同じように遊んでいたかった。勉強の成績が良かったら誉められるまともな家庭で育ちたかった。でもまぁ、そんなの意味がない仮定だ」


「なんだそりゃ?」


「だって俺は。親から機械みたいに育てられた。それが今の俺のバックボーンだ。まともな家庭で育った俺なんてもういないんだ。……俺は親に武器を持たされた。それを活かさない手はないだろう?」と惣太。


「だからさ、その『毒親』の元から離れることに成功したんだろ? それでハッピーじゃねぇか。親に愛想尽かされて晴れて自由の身になった。この上なにを求めるつもりだ?」と俺。


「俺はまだ『日本体育』を嫌いになれずにいる。ゲームは、スポーツは楽しいもんだ。そもそも好きで始めた野球だよ。子供のころ修行サボって、その辺のグラウンドでやってる子に混ざって始めた。……あのとき思った」


「なにが?」


「ああ、誰かに強制されず、自分から望んで始めたことっていうのは、際限なくハマれるもんだなって。『ハマる』だなんて下品な表現だけれど」


「下品な表現だったんだ」


 惣太は愛嬌良さげに笑った。

「それこそ『戦うために生まれてきた』と勘違いできるくらいには野球というスポーツに心を奪われている」



=======



「戦うために生まれてきた」


 そう言って俺のライヴァルはチーム5人目の投手としてマウンドに上がった。

 俺の断りなしに、勝手に、こっちの出番を奪って。

 まったく最悪な奴だ。


 青海のこの回の先頭打者が打席にはいる。

 薄灰色のユニフォームに濃紺のアンダーシャツ。それと同じ色のヘルメットを被った打者が、小さな、しかし貪欲どんよくな眼をして次の得点を狙っている。


 天沢あまさわはこの回の頭からピッチャーを替えた。

 白地のユニフォームに落ち着いた水色のアンダーシャツ。それと同じ色のベースボールキャップを被った投手(惣太)が、醒めた表情をして相手打者を観察している。

 惣太は2年生のキャッチャーとの短いやりとりを終え、投球練習を開始した。

 短く刈り上げた頭髪。太い眉。険しい表情。少しは女の子にモテるよう努力したらいいのに。


 青海ベンチは惣太の身長を見て『安心した』空気になる。

 あいつの外見を見れば誰だってそう思うだろう。決してチビではないが、ピッチャーにしてはサイズが足りない。


「1年生か」「公式戦未出場」「あれじゃ大して速いボールは投げられない」「そもそも5人目のピッチャーだ。簡単に点はとれる……」


 俺はマウンド上の惣太の様子を見て驚いている。

(どうしてそんなに冷静でいられる? 勝算でもあるっつぅのかよ?)


 惣太は俺と同じく、数分前まで普段どおりの練習メニューをこなしていた。ストレッチに走り込みにシャドーピッチング。


 試合に出るための準備などなにもしていない。

 全力を出せなければ抑えられる相手ではない。


 なのになんだその——相手を呑んでいくかのようなは。

 惣太は普通の高校生じゃない。そんなことはわかっている。

 あいつの顔はあいつの人生における経験を物語っている。


 どうしてそんな真剣な顔をしている? 緊張? 否、相手を殺すつもりの顔だ。


 今からおまえがやるのは野球だ。喧嘩ではない。


 惣太は幼少のころから父親に厳しく鍛えられてきたという。毎日休むことなく修練を重ね、痛みに耐えそしてある技術を身につけた。

 惣太は中学時代まで取り組んでいたある競技の技術を転用し、野球で成功しようとしている。その競技とは——



=======



 ここで少しときを戻そう。



 学校の練習グラウンド。練習試合。

 石川。11月中旬。


 今にも雨が降りそうな季節だった。昼間だっつうのに暖かくならない。

 俺は寒いのが苦手なのだ(そうじゃない生物がいるのか?)

「もう半月もすれば初雪が降るよ、そこからは積もりっぱなしだ」、そう地元出身のチームメイトが教えてくれた()。

 東京から招待した最強チームを相手に、俺が所属する私立天沢高校野球部は大苦戦を強いられていた。

 現在のスコアはこうだ。



   青海|202|014|3  |12

   天沢|000|100|0  |1



 もう天沢の勝利を信じる者などこのグラウンドには存在しない。

 あと少しで青海の8回表の攻撃が始まる。


 控え主体のメンバーで臨む夏の王者・青海相手に大差をつけられていた。

 先発した泡坂あわさかは調整内容のピッチングで6回1失点。もうマウンドを降りベンチで眠たそうな顔をしている(自分の投球以外にあまり興味がないのだろう、ピッチャーらしい傲慢な性格なのか)。

 6回表から青海のベンチで試合を見守ってきた主力選手が続々とゲームに出場し始めた。守るレギュラーの先輩方は慌てふためいていた。


(畜生!!)(出ないと思っていた天才スタメン組たちが出やがった)(まともなスコアで試合を終えられるはずだったのに……)(青海相手とはいえこの点差は——)


 チーム内の序列が崩れるきっかけになりかねない。

 この失態でレギュラーの座をベンチにいる誰かに奪われかねないのだ。

 現実は非情である。


 今の青海打線には風祭かざまつりが、佐山が、黄前おおまえ堂埜どうのが今村がいる。全員プロ入りというかドラフト1位で入札されるであろう超逸材たちだ。


(一体どいつからアウトをとればいいんだよ……!)

 そう嘆いているであろうキャッチャーの能崎のざき先輩。

 わかるよ。

……)。


 相手が悪い。

 3ヶ月前全国制覇を成し遂げた青海に比べたら、甲子園常連止まりの天沢は立っているステージが一つか二つ違う。

 青海がこの招待試合に応じてくれたのは、センバツに出場しない(こちらの強さを知られても困らない)強豪校と戦いたいためだ。


(天沢は先月行われた北信越の秋季大会においてベスト4で敗退している。センバツ本大会への出場はおそらくない)


 格上相手に天沢の投手陣が打ち込まれるのも仕方ない。レギュラーの投手4人が登板し。なかにはワンアウトもとれず、青い顔をしてベンチに引っこんだ先輩もいた。


 同じく全国制覇を狙う本気の野球をしているというのにこの実力差はなんなのだ。

 甲子園初出場で優勝したこの集団の強さの由来。

 人口が集まる関東——青海に俊英が集まり、

 相対的に僻地である北信越——天沢にはその余り物(俺を除く)しか回ってこないとでもいうのか。


 俺が『ただ野球が強くて天沢の一軍相手にリードを広げている』だけの青海相手にキレていると、

「あいつらエリートなんだろ與一よいちぃ? シニアでも全国大会出場しててさ、強豪校のスカウトに声かけられて、そのなかから青海を選んだ。正直天沢うちにくるのは二線級三線級の選手だ。間違ってもシニア代表のスタメンクラスや、中学で140キロ出すような選手はこない。そうだろ?」

 惣太そうたが言った。


 俺たち二軍の面々はベンチの後ろで試合を見守っていた。

 奴は——普段無表情な惣太はなにがおかしいのか口端が上がっている。

 チームが負けそうなことを喜んでいるかのような、そんな雰囲気。


 俺と奴は天沢の二軍でプレーしていた。入学してからずっと。

 二人ともポジションは投手だ。

 俺は豪速球を投げる将来のチームのエースで、惣太はピッチャーのくせに投げるボールは速くないし、変化球も大したことない。どうしてそんなスペックでピッチャーとして試合に出ようとしているのか意味不明な凡選手にすぎなかった。


 練習試合が始まってからも二軍の面々はサブグラウンドで別メニューをこなしていた(もちろんみんな、青海の試合を生で見たがっていたのだが)。

 コーチに呼ばれグラウンドにきてみればこの大差だ。自分たちよりも格上であることを日々の練習で思い知らされている一軍レギュラーたちがこの大量失点である。

 日本一のチームとはこれほどのものなのか、そうスコアボードを確認した瞬間わからされてしまった。そんな顔をしているチームメイトを見ると、俺はやる気になった。

 監督が俺たちを呼んだ理由はそう、

 もうチームに投げる投手がいないから、二軍の投手をマウンドに上げるつもりなのだ。

 これはチャンスでしかない。

 俺という眠れる才能を七十半ばのこの老将に知らしめる絶好の機会。

 

雄飛ゆうひのときは今っっ!!」と俺。

「お、難しい言葉知ってんな與一」と惣太。


 いちいちバカにしてくるなこいつ。いつかシメてやろう。

 ベンチに座った監督ジジイはコーチに声をかけると、立ち上がって振り返り二軍の選手たちの顔を見渡す。


 おいおい、武者震いが止まらないんだが。

 俺は口のなかでつぶやく。

「マジか、いきなり最強とやれるのかよ……!」

 東京から石川まで出てきて東京の現在最強チームと戦うことになるとは皮肉なものだ。

 俺は青海の神話を知っている。夏の選手権で初出場初優勝。

 そのチームの主力選手の半数が1、2年生だった。3年が引退してもほとんどメンバーが変わらない。

 高校野球において秋——全国のほとんどのチームが大幅な戦力ダウンを強いられるこの時期に、多数のタレントを確保したまま公式戦を勝ち上がり来年3月のセンバツに挑む。

 あいつらが優勝する確率は……そうだな、8割強といったところだろう。京都や大阪のチームもやるらしいが『正直、期待うす』。


 ——俺は都内の強豪校に行きたかったのだ。本当は。ガキのころから知っているチームで甲子園に生きたかった。だから今石川の雄・天沢で野球をやっているモチヴェーションの一つに、


 東京で一番強ぇチームに、俺をスカウトしなかったことを後悔させてやる。


 ということがあるのは仕方ないだろ?

 俺が最速。俺が最強。

 直球勝負で片をつける。

 惣太みたいな小手先のピッチングは青海には通じんぞ。


 やっぱ野球は力の競技。ストレートブッパ対マン振り。三振かホームランの勝負(まぁ俺がホームランなんて打たれるはずないけれど)。見る者だってそれを望んでいる。

 俺のフォーシームなら主力相手にも三振が奪える。絶対に。だからまっさきに手を挙げ——

「俺でいいよなおまえら?」

 そう口にしたのは惣太で、

 横に居並ぶ二軍の連中はみんなそろって力強くうなずき——


「惣太ならきっと青海相手にも」「いやいやなに言ってるの? 惣太からヒットを打てるバッターなんてこの世に存在しないよ」「これでやっと惣太も一軍に昇格か」「遅かったくらいだよね……」「無失点、いやノーヒットに抑える」「あいつらが眼を白黒するところが早く見てみたい!」「点差がついてるのがもったいないぜ。流石に惣太でも一人で10点差はひっくり返せねえよなぁ」


 みたいな感じだった。え〜俺は?


 コーチは惣太の名を呼ぶ。だから俺は?


 グラブを手に俺は惣太を追い越し、グラウンド内に侵入する。そうだ、先に投げちまえばいいんだ。


「アンタは呼んでない。ここで応援していてくれ」

 俺はピッチングコーチに肩をつかまれ、天沢側のベンチに腰をすえられてしまった。

「え、どういうこと?」


「林田は……ほら、うちの最終兵器だ。惣太が打たれたら他に誰がマウンドに立つって言うんだ? わかるだろ?」

「あっ、そっかー(納得)。惣太は俺のかませ犬ってやつっすね」


 コーチは冷たい眼で俺を見る。

「その言い方だとここまで投げてきたうちの投手もバカにしてるみたいに見えるんだけど」


 惣太が投球練習を始めた。俺はコーチと監督の間に座っている。なんでこの特等席に?

「林田君、どうしたの?」

 あ、ベンチの端っこに真白ましろ先輩(ハート)がいるじゃないか。

 真白先輩(かわいい)というのは野球部の女子マネージャー、現在2年生で最高にキュートな美少女。なにを着ていても眼のやり場に困ってしまうほどグラマラスな身体をしていて、なおかつ何人なんぴとにも優しい聖女である。今日も薄赤いジャージが超似あってるぜ。

 真白先輩(女神)は試合のスコアをつけるためベンチで観戦していた。今日はこんなスコアなためかどこか重たい、緊張感のある顔をしている。いや監督も部員もなんだけど。やっぱベンチの空気が悪いな。


「真白先輩!!(後ろで束ねた黒髪が素敵です)」


 俺は監督とコーチの前を横切って彼女の横に移動した(空気は読まない)。

 

「惣太君がもうすぐ投げるよ。応援しないと!」

 あいつのことなんて呼び捨てにすればいいのに。

「はははあいつなんてすぐ打たれますよ。そしたら俺が代わって投げて見事抑えますから。……あ、惣太応援するそういう空気。おらがんばれ惣太ぁぁ!!! 真白先輩の前で恥ずかしいピッチング見せるんじゃねぇぞ!!」



 初球はストレート。

 俺の眼にはいつもと変わらない棒球にしか見えなかった。

 惣太の効率(だけは)良い流麗なフォームから繰り出されるストレートがゾーンに入り、相手打者のスイング、『ガツン』という鈍い音がグラウンドに響き、打球は一塁線を切れてファウルとなった。

 


 打席に立つ風祭は『青海の4番』。

 青海にいる高校野球界最強打者候補の一人。

 その彼が惣太にむけて正面からガンくれている。『』と言いたげに(けっこうガラが悪いな風祭。普段の温厚そうな態度は演技か?)。


「今振り遅れましたよね。正直……遅いボールに」

 真白先輩が一人口を開く。

 ベンチの大人たちはただ驚き、言葉を発することも叶わない。


 第二球、ストレート。

 風祭はコンパクトな構えから剛振!

 もう対応しやがった!

 だがボールの芯を捉えきれない、打球はミサイルのように飛び出していくがレフト方向に大きく切れファウル!


(インコースのボールが逆方向に飛んだ。まだわずかに振り遅れている)


 風祭は打席を外し二度素振りする。バットが空気を切り裂く音がベンチのここまではっきりと聞こえてくる。

 マウンドの惣太は物怖じせず(内心ビビってるくせに)。新しいボールをもらい右手でもてあそぶ。


「球速……今のは122キロです! 初球は120キロ。遅い」

 スピードガンをもったコーチがそう言った。

 ベンチの面々がざわつく。


 監督が独り言のように口にする。

「ボールに特殊な回転がかかっているわけでもない。バッターから特別見えにくい投げ方をしているわけでもない」

 そうなのだ。惣太のピッチングは良くも悪くも普通。

「だがあのボールは打てない」対戦したみんなが口をそろえてそう言う。


 真白先輩が俺に問いかける。

「林田君、風祭選手が二球打ち損じました。惣太君のボールになにか特別なものがあるんですか?」

 ここは正直に答えよう。

「結論から言うとわかりません。練習中対戦してるとね、あいつのボール、すごく重いんですよ。鉄球でも打ってるみたいに」


 強打者中の強打者、風祭はラガーマンと見紛うような分厚い体躯の持ち主だ。その外見を裏切らず奴は飛ばす。その超速の打球は対戦相手の内野手を負傷退場させたなんて逸話をつくるほどだ(真偽のほどは不明だが)。


 たとえツーナッシング(B-S)と追い込もうと、惣太が一発を浴びる可能性はある。

 惣太はこれまでどおりセットポジションから投球を開始する。グラブで顔を隠すような構えから。

 間を読む。


「超能力っすよ超能力。教えられたけれど誰も真似できないんすもん」

 そう俺はぼやく。

 あれはあいつにしかできない特殊技能だ。『超能力』と呼んだってさしつかえないだろう。

「タイミング? まさか相手の呼吸を読んで……」

 真白先輩はこのわずかな時間で正解に辿り着いたようだ。


 間。

 間合い。

 間合いを制するものが野球を制する。そう断じたのは惣太だった。



=======



「俺の投球の正体? 簡単なことだ。マウンド上から相手打者の呼吸を読み取る。息を吸う・吐く。息を吸っている瞬間、人間は強度の高い運動を行うことができない。たとえば『野球のスイング』なんて最たるものだ」


「キャッチャーからボールを受けとって投球を始めるまでに10秒前後の猶予があたえられる。その間に打者の呼吸を観察し、ボールがホームベースを横切るまでの時間も考慮した上で、相手の動きがもっともタイミングで投球」


「まったく完全に動けないわけじゃない。。だが普段の7割の力じゃスイングのスピードも精度も落ちる。なら俺の未完成なボールだろうと」



=======



 通じるっつうのかよ!

 風祭はショート正面に弱いゴロを打った。凡退。

 一塁ベースまで激走した風祭はアウトを宣告されると同時に惣太の顔を凝視した。信じられないという表情だ。

「俺は今まであんなピッチャーと対戦したことはない。?」


 惣太はグラブを叩いてみずから祝福する。

「やっぱしおっかないな風祭。でもこちらが想定していた以上じゃなかった」


 惣太にとって今のは必然のアウトだったらしい。

 ……しかし納得がいかん。

 どうしてマウンドの上から相手打者の呼吸が読めるんだ。やっぱオカルトだろ。


 天沢の二軍投手・惣太の餌食になったのは風祭だけではなかった。

 次の打者、青海のキャプテン堂埜は三振に斬ってとられた。

 バットを短くもって、構えも小さくする。スイングの始動を早くし当てにいく。堂埜はもともと強いゴロで内野の間を抜くバッターだ。滅多に三振などしない選手でもある。


 惣太の未体験の投球術に適応しようとしている。

 だがここで惣太が変化球を解禁。二球見送らせ2ストライクを奪う。

 堂埜のスイングスピードが遅い。惣太の野郎の『呼吸読み』が通じている証拠だ。

 天沢高校の5番手は超強気。能崎先輩キャッチャーの出したサインに首を横に振りやがる。

 おそらくボール球を要求されたのだろう。それを拒否ったってことは。


「さ、三球勝負かよ。カッコつけすぎか?」と俺。

堂埜バッターがとまどっている……?」と真白先輩(困り顔の先輩も素敵です)。


 そう、堂埜はとまどっていた。

 だが迷いを捨て自分の役割に徹する。

 バントの構えだ。おそらくバスター(バントからヒッティングに変える打法)で打ってくるのだろうが、これで投球のタイミングもつかみやすくなる。


 相手の呼吸を乱す惣太の投球術も、堂埜クラスの選手に当てることに専念されたら通じない。そうグラウンド上のナインも、両チームの監督たちも思っていただろう。だが——


「別のプランくらい用意してるだろ惣太」


 俺のこの指摘がきこえたかのように、マウンド上の惣太はうなずく。


 第三球。

 当然ヒッティングに切り替える打者。

 投手はストレートを、アウトコース高めに。

 堂埜は、

 いや王者青海の主軸打者は、

 またしても振り遅れた。堂埜が腕を懸命に伸ばし喰らいつこうとしたバットは、ボールのはるか下を空しく通過する。

 空振り三振!


 打ちとられた堂埜はバットを手にベンチに引き下がっていく。

「完全にしてやられた。何者なんだあのピッチャーは……!!」

 打ちとった惣太は人差し指と中指を立てVサイン、いやツーアウトのサインを守るナインにアピールする。

「次は打たせていくんで頼みますよ!」


 今のあれは——惣太の奴、リリースポイントをかなり手前に設定しやがったな。

 まぐれにしても力が通じていることは認めてやろう。

「やるじゃねぇか」


「ボールを離す位置がだった?」

 真白先輩はすぐにわかったようだ。この人は眼がいい。それにシニアリーグでプレーしていた女傑でもある。

「そう、2ストライクをとった2球と、今空振りをとった3球目とでは位置が数十センチ離れている。タイミングが狂わされれば堂埜も対応しきれないよ」

 今にして思えば1球目と2球目は『撒き餌』だった。3球目にホームプレートに最速で到達する投げ方を使ってきたか。


 監督ジジイがつぶやく。

「だが二種類の投げ方を混ぜているにしてはコントロールが良すぎる。120キロ台とはいえ全力投球。そんな簡単に変えられるものではない。……だが能崎(キャッチャー)はミットをほとんど動かさなかった」

 全身の運動を正しく集約させなければまともなボールをストライクゾーンには投げられない。全国レヴェルのピッチャーの投球動作とは精密動作の賜物。1人の投手が違う投げ方を習得できないのはそのためだ。

「あいつコントロールだけは鬼っすからね。なんていうの? 自分の身体を意のままに操作できているっていうのかな(コーディネーションってやつだ)。あいつのやってきた……その経験が役に立っている」


 だから違う投げ方を駆使してもコントロールが乱れることがない。

 監督はベンチから身を乗り出し、マウンド上の惣太の振る舞いを凝視している。

「そうか、どおりで身のこなしや身体の重心の位置が人と違う。体幹がいい。身体の中心に一本線があるというか。あれは野球の動きじゃない。信じられない……別の競技から転向してきた子が天沢に紛れ込んでいるとは。林田君、それで鴉城あしろ惣太君がやっていた武術とはなんなのかね?」


 俺は同学年かつルームメイトで同じポジションのライヴァルを持ち上げることに苦々しく思っていた。

 真白先輩は野球部内で最高の決定権を持つ老人に有能な選手を紹介できることを嬉々としていた。

 俺たちは声をそろえて報告する。


「「合気です」」


 合気道。

 あの不思議な力で自分よりもデカい敵を投げ飛ばすあれだ。女子供の護身術に適しているというあれ。袴を着て畳のうえで練習する日本の伝統ある武術。

 合気道は格闘技としては柔道や空手、ボクシングほどメジャーではないがマイナーでもない。全国はおろか海外にも大勢経験者がいる。

 合気道は元を辿ればは戦場でのコロシアイで使われていたとかいう実戦格闘技だったそうな。

 そんな物騒な代物を平和なスポーツに転用しないでもらいたい。


 鴉城惣太は都内にあるという道場を経営している父親のもと、幼少期から過酷な訓練を続けてきた。合気道の強さを証明するために。

 惣太は今その技術体系を野球に移植し、発展させ、そして確立するに至った。相手の呼吸を読みバッターを確実にアウトにする法外チートな手段を使い、高校野球界で成り上がっていこうとしている。

 これはそんな惣太と俺と、真白先輩の物語だ。

 俺が天沢高校野球部で認められる物語でもある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る