成長しない少年④
青海大付属 4 ➖ 4 明石実業
試合の流れは四度追いついた明石実業にある。
格上相手に先手をとられるも即座に追いつく。そんな流れを四度繰り返した。
青海の選手たちはこの大会初の接戦に重苦しい雰囲気を感じているであろう。
観客が、いやこの試合を見ている90パーセント以上の人間が、明石の勝利を願っている。
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地上波で実況するアナウンサーが叫んでいる。
「青海対明石実業の決勝戦、試合は同点のまま最終回をむかえます!」
「明石実業のエース近衛君は、怪我をかばいながらのピッチングで夏の優勝校青海をここまで8回4失点に抑えています」
「まったくもって見事な投球。このスタンドの大歓声がきこえますでしょうか? ……マウンドに立つ近衛君の背中を力強くを後押しする会場の空気。近衛君の勇気ある経歴を知らない人間はこの甲子園球場には一人もいないでしょう。この空気が試合の勝敗に影響をあたえるかどうか」
「対する青海高校は7番からの攻撃。ここで得点が奪えないとサヨナラ負けが見えてしまいます! 決勝戦までの快進撃がここで止まってしまうのか!? 全国的に名の知られた精鋭が並ぶチームですが、変化球主体のピッチングの近衛君を打ち崩せないでいます」
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9回表。
「
防具をつけグラウンドへ向かう
「贔屓って漢字ソラで書けるか? どっちの字も難しくね?」
そんな軽口を叩く宇良君。
彼は気にしないのだろう。僕は気にする。もし青海とやりあうことになるのなら、彼らとはフェアな戦いがしたかったのに……。
僕は有名人になってしまった。
スポーツ雑誌のインタビューを受けたこともある。
地元の新聞社の記者がきたのは退院して間もないころ。
2年の夏、府大会の準決勝にはたくさんの観客が押しかけた。怪我から復帰した最初の大会だからだと思った。でも秋の関西大会ではもっと大勢のお客さんが押し寄せた。僕の存在が珍しいからだ。
僕に対し人が群がるのは、選手として優れているからだけではない。高校1年のあの出来事についてもっと知りたいからだ。そんなの野球となんら関係ないことなのに。
でも世間の人たちは僕のことを放っておいてくれない。
「青海なんて野球が上手いだけの集団っすからね」
黄前選手に話しかけられた。
「そんなことない、十分すごいことだと思うよ」
僕は答える。
黄前選手は笑って続けた。
「近衛ちゃんはすごい選手で、なおかつ人助けした英雄だから」
あれほど望んだ英雄という立場が僕の足を引っ張っている。
『人を助けたら残りの人生なんてどうでもいい』
そう思って15年間生きていた。
それが今やどうだ。
僕は無条件で特別扱いされるようなプレイヤーになってしまったわけだ。
この試合、主審は微妙な判定を繰り返してきた。
すべて明石の有利に働く形で。
そして観衆も明石が同点に追いつくたびに喜んでいる。青海ファンなどこの五万超の人海のなかに皆無であるかのように思える(もちろんそんなことはない。青海ほどファンがいる高校野球チームは過去なかったはずだ)。
怪我を押して出場する僕が勝つところが見たくて仕方がないのだろう。
……この接戦はなかば人為的に発生したものだ。ただの遅いボールで青海が4得点にとどまるはずがない。
ツーアウトをとってから9番の本庄投手にレフト前に打たれてしまった。
フィジカルエリートで走攻守に優れたピッチャーだ。普通なら代打が送られるタイミングで当然のように打席に立ちヒットを打つ。
「オラ!! どうした近衛!! 本気で投げろよ!!!」
そう一塁上で煽る本庄投手。両腕を上げ僕に吠える。
「もっと優しくしてください」
そう僕が応えると一瞬で黙ってしまう。ベンチから失笑が漏れる。僕は本音を口にしただけなのに。
「……ッッ、勝ちたくねぇのかよ?」
「この投げ方なら消耗は少ないです。延長戦まで付き合いますよ」
これは嘘だ。投げ方がキャッチボールであろうと疲れはある。投げ慣れない変化球を意図した位置に投げるだけでも神経が摩耗する。全力投球とさほど変わらない疲労感。
そう、常に全力投球をモットーとする本庄投手の眼からすれば、僕のやり方は邪道に映るのだろう。
同じ野球をプレーしていても、『全力のぶつかりあい』を望む本庄投手と、『勝てばそれが正解』な僕とは思想が異なるわけだ。
全力投球はありえない。センバツが最後の大会になるとは思っていない。
僕は明石実業の戦力を知っている。僕たちには『夏』が残っている。
——次の相手は、トップに戻って黄前選手。
黄前選手から27個目のアウトをとる。
普段の僕の球種は三つ。ストレートにスライダーにカーヴ。
左打者からは極端に見えにくいストレート、そのストレートと同じ球道から大きく変化するスライダー、タイミングを外すカーヴ。
今の僕にそれはない。だから使える変化球をすべて使う。
『コントロールがおぼつかない、投げ慣れていない』ため選択肢に入らないシュートやドロップ、フォークボールも使用している。文字通りの総力戦だ。
「やっぱり手負いの獣は怖いっすね。あの投げ方で9回まで持たせた……」
そう言いながら黄前選手は、左打席に入った。
黄前選手の右は
対する左は
1番打者の彼が試合を決めにきた。
本来左のスリークォーターで投じるボールは左打者にとって視認しがたく、カモとすることができた。
だがこのキャッチボール投法では角度がつかない。
左打席に入った黄前選手が僕のボールを苦にはしないはず。
ツーアウト一塁、ここから点を狙うなら
いや
僕は慎重に攻めすぎた。
ここはテンポ良く打ちとって最終回でサヨナラ勝ちを狙うべき場面。
だがカウントを悪くし
ランナーの本庄投手は盗塁を二つ決め(投手なのにおかしいだろ?)三塁まで進んでいた。ここはバッターとの勝負に集中したい。
唯一のストライクは黄前選手が放った特大のファウルがライトポール側を襲ったときのもの。
ホームランか三振の、ギリギリの勝負になる。
マウンド上の僕は、美波ちゃんとの会話を思い出していた。頼むからあなたには『男同士の勝負の間に女のことを考えるな』なんて言わないでもらいたい。
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美波ちゃん。
「勝負事においては①相手との駆け引きに応じるか、②自分のスタイルにこだわるか。二つの選択肢があると思うけれど……」
僕。
「美波ちゃんは後者側の人間だね。……ピアノは芸術だから当たり前か」
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僕は前者側の人間だ。対戦競技は相手の出方を見て戦術を変更するもの。
ここではより強い相手との勝負を望む。そのほうが勝率が高いから。
1回表にホームランを打たれた泡坂選手(風祭選手に並ぶ青海の強打者、青海でもっとも有名な選手)を打ちとれば、試合の流れはより明石に傾く。
9回裏のサヨナラ勝ちが現実的なものとなるわけだ。
『万能』黄前ではなく『
だから僕は明確に外して投げる。実質の敬遠球。黄前選手がどれだけ踏み込んで打っても届かない位置へ。
僕の意志を汲んでくれた宇良君は、僕の投球と同時に横へステップし外したボールを受けとる。
次の勝負が今大会最大の山場。
近衛対泡坂。
「近衛、やれる!!」「游一! 初球から振ってくるぞ!!」「ツーアウト!!」「(ここを)抑えれば俺たちの勝ちだ!」
次の対決で試合が決まる。そう思っているのは明石実業の選手たちだけで、
青海の面々は泡坂選手の打席に回る前にこの攻撃の成否が決まることを知っていた。
決着まで数秒——。青海がしかける『奇襲』の初手は、黄前選手の走塁。
四球で出した黄前選手が早足で進み、一塁ベースで足を止め——ない。
ベース手前から急加速、バッターランナーが一気に二塁を目指す!
僕は内野席のざわめきから、なにが起こっているかを認知した。
同時に宇良君も。野球を識っている。この先起こるのは——
(一、二塁間で黄前選手をタッチアウトにする前に、三塁走者の本庄投手がホームに生還すれば青海の得点。勝ち越される。9回のそれは明石の敗勢——死路に等しい。絶対阻止しなければ)
(そう考えるのがセオリーなんだろう。キャッチャーの俺がボールを投げないのが正解、だが気づいたタイミング、黄前の走る勢い、一塁に引き返す前に——殺せる!!)
それが誘いだったとしても、宇良君には自信があったのだ。
捕手としての送球の速さに。黄前選手を二塁で刺殺する。
強肩発動。僕は速射砲のような宇良君の球を見送って、
(本庄投手はもちろん、ホームに突っ込んでくる!!)
引き返さない黄前選手が、二塁にスライディング。
送球をキャッチした巻野君が、その足に触れて、
いやノータッチ? 黄前選手が急停止——?
グラブを避けた走者がその場に立ち上がり、
(本庄がホームへ激走——いや、狂奔する)
「まだ間に合う! 黄前にタッチして!」
彼は明石の執念を足蹴にするように、
差し出されたグラブを回避しつつ、
二塁ベースを、強く踏み抜いた。
青海勝ち越し。
青海大付属|100|010|111|5
明石実業|100|010|110|4
試合終了。
スコアが対称性をなすゲームは9回に崩れた。明石の最後の攻撃は登板した泡坂投手に三者凡退で斬り伏せられた。
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マウンドに青海選手たちが集まり熱狂の渦が発生する。
接戦なんてこの決勝戦しかなかったくせに、ずっと余裕の勝ち上がりだっただろう。
もっと自分の意思をもってプレーすべきだった。『滅私』や『他者への貢献』では勝てないのだ。そのことを深く胸に刻まれた敗戦だった……。
もしあのとき、宇良君の送球を声で止めることができれば、ツーアウト二、三塁で泡坂選手の打席を迎えることができた。
彼を抑えすれば……
9回裏、大きなチャンスを逸した彼は思考を切り換えられないままマウンドに上がっていただろう。本庄投手は二回の盗塁で疲弊、(後で知ったことだが)置鮎投手は練習中に爪を割り登板はありえなかった。4番手以下のピッチャーは並。
9回裏、明石実業は1点を奪いサヨナラ勝ちしていた可能性が5割以上はあったと思う。『王手はかけていたが詰めきれなかった』。
もしあのとき、宇良君の送球を僕が止めて、本庄選手を塁間で挟んでいれば失点は避けられたのだ。それこそその一球だけ全力で投げさえすれば間に合ったはずなのに。
——試合終了後の整列を終え、甲子園に青海の校歌が斉唱される。もう聞き飽きたあの曲だ。彼らは全国で勝ちすぎた。
僕たちは応援してくれた三塁側の生徒や関係者にむかって頭を下げてる。
僕は横に並んだチームメイトたちに話しかけた。
「俺のせいで負けた。最後の失点は防げた……。いや、今日の失点は全部俺のせい……」
僕の言葉が聞こえたのだろう、周りにいる選手たちが口を開き焦りの表情。
「『俺』? 急に一人称変えるなよ。どうしたの? 穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって目覚めた?」
宇良君は僕の感情を収めようとしている。
だがこの想いは抑えることができない。
「ぼ、僕はムカついている。なによりも自分の情けなさに……」
そう言って僕はスパイクで地面を蹴った。
「おいやめろ! カメラに抜かれる!! おまえがどんだけ注目を浴びてるのかわかってんのか?」
「わかりました。声は小さくしますから……」
「いやそのブチギレた顔をやめろってんだよ。その怒り顔。落ち着け……落ち着けよ。せっかく
「僕がそんな子供みたいな顔してるって言うんですか? ……わかりました。もう怒らないです」
深くため息をつくことで怒りを体外へ放出する。
「野球やり続けて今日初めて負けたんだろ? 自分が投げた試合で」
宇良君なりにこちらを慰めようとしているのだろう。
でも僕に負けがついたことなんてどうでもいい。
「勝てた試合でした」
「最強相手にだぞ? 怪我したそのカラダでよく接戦に持ちこめたよ」
みんながうなずいている。
「思ったより弱かった」
そう言うと隣に立った静君が僕の口を隠そうとする。
「読唇術なんて存在しねぇよ。勝手にしゃべらせてやれ」
そう宇良君は言い捨てる。
僕は続けて言った。
「マウンド上で対戦すれば構えや身のこなしから実力が測られる。いつものスタイルではなかったとはいえ青海の選手たちの力量は正確にわかりました。いつもの投げ方(スリークォーター)なら高い確率で完封だってできる。いや、今日の投げ方(キャッチボール)でももっと失点は減らせた」
「5失点完投で満足できないと?」
あの強者たちを9回5点に抑えた。他のチームなら満足してしかるべきなのだろう。
だが僕は僕に高い基準を設けているから……。
青海に次ぐといわれる明石実業の強力打線。
勝てない理由は投げる僕が不足しているからだ。
「これが『敗け』なんですね。負けないと本当の意味で反省することができない。だからもっと早いうちに負けておくべきだった」
そう、結局僕の足を引っ張っているのは事故にあって生じた一年半のブランク。
大怪我をして喜んでいた僕は馬鹿だった。
なにが英雄だ。
一番勝ちたい試合、一番勝ちたい相手に敗れた理由は、僕がこれまで無敗を守り続けてきたからだった。
美波ちゃんにこのことは話せないだろう。自分が敗因をつくっただなんて悟らせてしまったらショックをあたえるから。
昨日電話で彼女に必勝を誓ったっけ。そんな甘言を口にした自分をぶん殴ってやりたい。
(美波ちゃんにあわせる顔がないよ。今の僕はあの子のヒーローじゃない。……負けるならせめてベストを尽くしたかった)
彼女は勝ち続けている。彼女以上に名の知れた未成年のピアニストは日本にはいない。
美波ちゃんのような存在が身近にいるから、僕自身もハードルを高く設定することができた。
いや、僕の年下の女友達だけではない。この野球部のみんなが優れているから、僕はいつも手を抜けなかった。練習に復帰してからずっとそうだ。部員のみんなも、コーチのみんなも勝つためにベストを尽くしている。立派な練習施設は学校側からの高い投資によるもの。僕たちは期待されている。それに応えられなかった。
毎日ずっと野球で勝つために、生活のほとんどの時間を費やしている。
でも僕はどうだ?
小学校から高校の今に至るまで無敗。それがなんだっていうんだ。
敗北を知らずに挫折を知らずに高校3年になってしまった今の僕は、遅い。
遅れている。
僕はまだ野球を知らなかった。いや、
僕は『勝負』していなかったんだ。
ただただプレーしているだけで、全身全霊で勝ちにいってなかった……。
そう思いながらトボトボとロッカーに続く連絡路をとおっていくと、
勝ち誇る青海野球部の姿があった。インタビューに答えるむこうの監督とキャプテン、その後ろで待っているのは本庄、泡坂、そして黄前の三選手。
黄前選手は白い歯をのぞかせる笑顔で僕に語りかける。
「近衛ちゃん、その怪我じゃ代表合宿参加できないっすよね? 少し話——」
顔も見たくない相手だ。僕はスルーした。
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