辺境の王②

   此村伴このむらともなう/山形



「どうして西塔さいとうさんは8番に入ってるんですか?」

「監督が決めたことだ。選手の俺はしたがうだけ……。まぁ疑問に思うことはわかるが。普通チームで1番打てる打者は1番〜4番のどこかに入るよな」


「それがどうして8番……ピッチャーの僕よりも後ろじゃないですか!」

 僕は打てないピッチャーだ。中学時代から9番が定位置だった。

 曜一朗よういちろうは2つ学年が下の後輩に優しく教えてくれた。

「理由は2つ。①8番という打順なら相手が油断する。決勝までの打撃成績がぱっとしなかったこともあるしな。それすら監督の采配だったわけだが」


「もう1つは?」

「②。逆説的だが俺の『個』——『ボールを遠くに飛ばす力』を活かすためにはそれが最適解だ。ランナーがいたら当然盗塁や進塁打が選択肢にはいる。そうなると俺が連携を意識してしまい力を発揮しにくくなる」


 投手との一対一の勝負を望む曜一朗にとって、ランナーは邪魔でしかないと。

 さきほどホームランを打った状況もそうだった。ベンチがサインを送らないことをわかったうえでホームランを打つことのみに集中し、見事実現してみせたわけだから。


 西塔曜一朗はこのベースボールという競技において、究極のソロプレイヤーなのだ。


「だから下位打線に入ったと……!」

 曜一朗スラッガーのまえにランナーが溜まっていたほうが大量得点を期待できるというのに。

 いや、それはあくまで正攻法にすぎないか。

「これはあくまで一時的な奇策にすぎん。全国に行ったら打順の変更はあるはずだ。……それより此村、俺なんかのことよりも若宮を抑えることに集中したほうがいい。俺にできることはなんでも言ってくれ」


 曜一朗は落ち着いている。

 数分前に逆転ホームランを放った高揚感に浸っていない。この3年にとってそれはもう過去の栄光にすぎないから。

 滅私。我欲のためにプレーせず、ただチームの勝利に貢献したい。彼の頭のなかはそれだけだ。

(どうしてこんないい人が野球部から退部していたんだ?)



 5回裏、2死ランナーなし。

 曜一朗の第2打席。

 

 打ったのはまたしてもインコースだった。ただし胸元にぶつかるように飛びこんできた悪球。変化球の投げ損ない。

 投げた金平自身が驚愕している。今度は意図せぬ危険球!

 曜一朗は避けられない。バットが動いた。

 見ている人間すべてが思った。


(バットに当て逃れるつもりか!?)


 打者曜一朗の解答は違う。

 避けられないのではなく、避けていないのだ。

 オープンスタンスで体の正面に打球を呼びこみ、右腕を折りたたんで、


 


 正中線目がけ投げこまれたハーフスピードの直球、それを無理やり逆方向へ——右翼線へ流す。「2打席連続!!?」打球は、わずかに伸びない。だが守る外野手の頭上を越えライトポール付近のフェンスに激突! グラウンドにはね返った。

 若宮の右翼手ライトが打球処理にモタつく間に曜一朗は三塁にまで到達した。

 余裕の三塁打スタンディングトリプル。天才打者がまたしても見事な長打を魅せた。

 ……マウンドの金平は粘つくような汗を額に浮かせていた。

『絶妙なコントロールを誇る自分が退場しかねない危険球を投げ、なおかつそのボールをフェンスぎりぎりの位置まで運ばれた』。その精神的なショックもあったのだろう。若宮のエースは続く9番打者に打たれてしまう。キャッチャーでキャプテンのかがみ先輩(地元出身)がセンター前にタイムリーヒットを放った。

 曜一朗がホームに還り、如月東のリードは2点に広がった。


「若宮の敗因は、曜一朗を人間だと思ったことだよ」

 得意げに腕を組み監督はつぶやいた。



   若宮 |100|00 |   |1

   如月東|002|01 |   |3



 試合の流れは一気に如月東に傾いた。そう出場しているすべての選手が思っただろう。

 だがピッチャーの僕がチームの足を引っ張ってしまう。7回表、若宮の4番打者をキャッチャーフライにしとめた。だがこの先頭打者をしとめるのに8球も費やしたことで僕の出力が衰えた。暑さにやられたのか、それともピッチャーとしての限界を迎えてしまったのか?


 ワンアウトを奪ったあとのスコアはこうだ。レフト前ヒット(盗塁死)、四球、センター前ヒット、四球、左翼手レフトエラー(3失点)、ショートライナー。



   若宮 |100|000|3  |4

   如月東|002|010|   |3



 左翼手レフトの守備範囲ギリギリの位置に打球が飛んだ。グラブに一度入ったボール、だがキャッチしきれずこぼれた! 悲鳴と歓喜が交差するグラウンド、レフトの彼がボールを拾い直し投げる返すも——相手ランナーが全員一気にホームに還った。一瞬で3失点。

 エラーからの失点ゆえ投手の僕には自責点がつかない。だが満塁のピンチは僕自身がつくったものだ。ボールが外野に飛んだ時点で僕の負けだった。


 ベンチに戻り、思い詰めた顔をしていたらしい僕に曜一朗が優しく声をかける。

「落ち着けよ此村、失点したらその分奪い返せばいいんだ。10点獲られたら11点、20点獲られたら21点獲ればいい」

「……発想が蛮族ですよ」

 点はいつでも奪える。そう思えるのはこの先輩がいるからだ。



 その裏、如月東の攻撃。まず5番打者が内野安打で出塁すると、6番と7番(僕)がそれぞれ内野ゴロでランナーを進める。チームの最高打者にすべてを任せた。


 7回裏、2死、ランナー3塁。

 曜一朗の第3打席。


 ここで如月東の監督が叫んだ。ただ一言。


「勝負だ勝負!!」


 そう、まともな考えの持ち主が若宮ベンチにいるのなら曜一朗と勝負しようとは思わないだろう。『自軍が1点のリード』、『迎える相手は超強打者』、『一塁が空いている』。ならば申告敬遠しかない。勝つためには仕方がない策だ。


 だが監督の一声が球場の空気を変えたようだ。誰だって曜一朗のバッティングを見てみたい。この2打席とんでもないプレーを見せたこの選手の活躍するところをまた目撃したい——若宮を応援する人々ですらそう思っている。それが総意だ。

 若宮ベンチは敬遠策を選ばない。


 そういう空気をつくりだした監督の勝ちだ。

 たった一声なら『試合中監督が対戦相手の選手にむけて野次ヤジ』的な炎上はしないだろう。



 金平の第1球は外角に大きく外れるカーヴだった。

 曜一朗はピクリとも反応しない。

 金平はコントロールミスに首を傾げる仕草をいれた。

 この対戦でストライクゾーンにボールを投げるつもりなどない。アウトコースに大きく外れる4球投げてフォアボール、曜一朗を1塁に歩かせる。


「け、結局敬遠しているのと一緒ですか?」

 凡退した僕はベンチでそう口にする。

「そうなんだけれど……まだ野球の常識に縛られてるね若宮むこうは」


 僕は気づく。

(そう、本来精確な制球力を有する金平なら、もっとストライクゾーンに近い位置に投げられるはずだ)


 曜一朗の打法は神主打法。とんでもないスイングスピードをもたらす打法だが、その代償としてバットコントロールは難しい。特にアウトコースは苦手とする。

 そのアウトコースなら、

 そしてボール1つ分外にはずれるコースなら?

 投げたくなってしまう気持ちもわからなくはない。


 金平の第2球、

 投じられたそのストレートは『飢えた獣の潜む檻の中に腕を入れた』に等しい行為だった。

 曜一朗は左足を大きく踏み込み——


 打った、


 決まった。


 アウトコースのそのボールにアジャストし打球が一、二塁間を破る。タイムリーヒット。


「なん……だと……」

 打たれた金平はまるで有り金をすべてスられたかのように顔面蒼白になる。


 打った曜一朗が暗黙の了解を破ったからだ。

曜一朗おまえは超厄介な打者だから勝負なんてしない。空気を読んで打席には立たせてやるがストライクゾーンには投げない。おまえは4球見送ってフォアボール。1球目のカーヴでおまえに覇気がないことを確認できた。そちらのほうも俺の意図に気づいているんだろう?』

 曜一朗は打席に立つ前に相手の意図に気づいた。そのうえで約定を破棄した。9番打者の鏡先輩(右投右打)が金平とまともに勝負するよりも、自分が奇襲をかけたほうが勝算が高いから。


 曜一朗は奇襲を成功させた。同点タイムリー。

 彼は技術や体力に勝るだけの打者ではない。相手に読み勝つこともできる。いや、むしろ曜一朗の最大の長所は駆け引きに優れた遊戯者ゲーマーとしての強さなのだ。



   若宮 |100|000|3  |4

   如月東|002|010|1  |4



 鏡先輩(野球をしていないときはメガネ)はあとに続けずに凡退する。


 如月東の攻撃が終わりグラウンドからベンチに戻ってきた曜一朗は、さりげなくなんとはなしに、周知かつ当然の事実を確認する口調でこう言った。

「これくらいの結果ことはいつも期待してもらってかまわない」

 常人の耳には豪語しているようにしか聞こえないが。

「こ、ここまで出たヒット三本、全部ヤバいと思いますよ……」



 ああ、この人はすごい。恐らくこのポテンシャルは——



 あの試合で1度もバットを振らずに伝説をつくったあの男、


 5回出場した甲子園で13度スタンドに放りこんだあの男、



 もしくはあの二名と同格と認められた高校野球の歴代の強打者に匹敵、あるいはそれ以上の存在なのではないか。西塔曜一朗は将来プロ野球で長い期間伝説をつくり続けるレジェンドとなる。……この1試合にしてそう思わせてしまう独壇場なわけで。


 僕はこの日を決して忘れないだろう。彼の勝利打点で僕が勝利投手になるというのだから。


 7回以降は持ち直した。スコアはそのまま硬直し同点のまま9回裏へ。如月東はサヨナラ勝ちが見えてきた。4番から始まる攻撃で三者連続でヒットを放ち満塁。金平は降板し若宮の2番手ピッチャーが登板してきた。ここで僕に打席が回るがここはバットを1度も振らず見送った。監督の指示で故意に三振する。あの人にチャンスで打席を回すために。


 9回裏、1死満塁。

 曜一朗の第4打席——最終打席。


「勝ったな、風呂入ってくる」と監督。

「監督はそれ言っちゃいけないですよ」と僕。


 県球場の興奮は最高潮に達していた。決めるべき人が決め如月東が3年ぶりに全国大会に進出するだろう。それが決定事項、数分後には決まっている未来だと。

 曜一朗にカモにされた金平がベンチで見守っている。『マウンドに立つあの投手ならもしくは抑えてくれるのではないか』、『延長戦に持ちこみ、西塔の次の打席が回る前に決着をつければ』、そう一縷の希望にすがる眼をしているが。


 威圧。


 大きく構える曜一朗の姿を見た若宮の2番手ピッチャーは、投げる前に敗北する自分の姿を幻視してしまう。


 ボール球が2つ続いたあと外角低めのボールを1球見送りカウントは-。西塔曜一朗は動かない。泰然自若たいぜんじじゃく


「ほら曜一朗!! せっかくなんだからは派手に打とう!! ツーベース打てばサイクルヒットだよ!!」

 そう叫ぶ監督。いやあと1点獲ればこちらの勝ちなんだからツーベースヒットなんて打てるはずがないだろう。

 ベンチを見やる曜一朗も戸惑っているではないか。この青年監督……金髪プラチナブロンドかつサングラス(スポーツ用ではなくスタイリッシュなデザインのもの)なんてファッションをしていてなおかつこんな言動。選手をさしおいて目立ちすぎである。

 場内の失笑を買う如月東の監督を差し置いて勝負は決まった。第4球、投げられたスライダーがストライクゾーンへ。これを素直に打ち返す曜一朗。「じゃあな」打球は高い弾道で外野に飛翔する。この飛距離ならキャッチされても犠牲フライで三塁のランナーが生還するだろう。

 懸命に打球を追う若宮の中堅手センター左翼手レフト、二人が足を止めた。


(まさかホームラン? いや)


 グラウンド内に着弾した硬球が、高々とバウンドし、


 2メートルの高さのフェンスを越え、そのまま壁の向こう側へ飛んでいった。


「これって……」

「エンタイトルツーベースだよ!! あいつ、本当にツーベース打ちやがった!!」


 ベンチから飛び出しながら監督は叫ぶ。選手たちに混ざって歓喜の渦に加わる。その中心は1塁、そこに立ちヘルメットを脱ぐ曜一朗だ。

 決着があまりにも呆気なさすぎた。僕はまだ自分の感情に整理がついていない。勝って喜んでいいのかすらわからない。周りの先輩方に背中を押され人の輪のなかに入ってはいるが……。

 バックスタンドのスコアを見直した。何度も。



   若宮 |100|000|300 |4

   如月東|002|010|101x|5



 全国だ。


「ホームラン、スリーベース、シングルで最後まさかのエンタイトルツーベース! まさかそんな抜け道があるだなんて!! これでサイクル!!」

 興奮した監督が曜一朗にグータッチを求める。

 曜一朗は照れた様子で左拳をぶつける。

「今のはシングルヒットあつかいです……」


「え?」

「三塁ランナーがホームに還った時点でサヨナラ勝ちですから俺は二塁には到達していないことになる」


 一瞬場の空気が冷える。冷やしているのは監督の態度だが。


「幻?」

 曜一朗のサイクルヒットは不成立。

「そういうことになります。ルール知らないんですか?」


「知らなかったそんなの…」



=======


 チームバスに乗り帰路につく如月東野球部。

 試合終了から一時間経ってもハイテンションで喋りまくっているチームメイトたち。その喧騒を聴きながら、僕は眠ったふりをしていた。


 決勝戦の誉れある勝利を振り返ろうとは思わない。

 これから如月東の挑戦が始まるのだから。


 今年の『夏』は普通ではない。

 誰が言ったか、今年の甲子園は『一〇年に一人の天才が群れをなす大会になる』と。

 如月東が甲子園でぶつかるであろう強敵たちを思うとぞっとするものがある。


 たとえば誰もが認める最強の左腕、京都の近衛このえ

 たとえば制御不能の豪速球を投げる関東の覇者、山村。

 たとえばマウンドに立ちさえすえすれば何者にも負けない『幻のエース』、●●●。


 名の知られた投手だけを列記してもこうなるのだ。全国は広い。そして各地に潜む強者たちがほふるために力を磨いているに違いない。


 あのチームとは要するに青海せいかい

 東東京代表青海大附属高等学校野球部。


 前年度夏春を連覇し質・量とも全国最高の戦力を揃えた青海こそ高校野球一〇〇年のなかで史上最強。

 非公式の練習試合とはいえ高校生にすぎない彼らが大学日本一のチームと社会人日本一のチームを破っている。それも大差で。

 プロ球団に勝てると真顔で公言する評論家も大勢いる。青海大附属こそが絶対王者。アマチュアにいてはいけない存在が高校野球というカテゴリーで無双し、自分たち以外の『弱者』を蹂躙じゅうりんし続けている。それがここ一年間の高校野球の実態なわけだ。


 青海は当然公式戦練習試合問わず年間無敗を守っている。


 が始まっている。

 最強・青海を打倒せよという最高難度のゲームが。参加資格は高校の野球部に所属し試合に出ること(青海以外の連中を薙ぎ倒していけばトーナメントの上で彼らが待っている)。僕も当然その条件を満たしていて、


 本当は恐怖している。投手としてあの打線に——プロでも即戦力と噂される猛者がそろったクリーンナップを相手にする瞬間が待っているだなんて。想像したくもない。

 そう怖気付くと同時に、自分の『力』が彼らに通じるかを試したくも思っている。


「僕はエースになる」


 誰にも聞かれない声量で僕は宣言する。

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