甲子園死闘無限
@tokizane
地方大会
辺境の王①
これは僕の物語ではない。
僕は本来この大会の主役などではなかったはずだ。
高校野球。夏の大会。県予選。
一年生ピッチャーの僕はなにかの間違いでベンチメンバー入りを果たしてしまった。
僕が入学した私立
正直なところ、軟式出身で無名の選手である僕は、三年間で一度ベンチ入りすることができればそれで満足だったはずだ。公式戦のマウンドに立つことができるだなんて夢物語もいいところ。それが——
七月。山形県球場。
決勝戦の先発のマウンドに僕は立っている。なんで?
それも県予選の決勝戦に。相手は私立
二年エースの
みたいな御託はどうでもいい。なぜ1年生の僕が公式戦デビューを果たしてしまっているのか。チームにとって超超大事なこの場面で。
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「
大会前、僕にむかって軽い口調でこう告げた如月東の監督。
「あ、はい……。が、がんばります」
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優勝候補として大会に臨んだ如月東だったが、その勝ち上がりは不安定そのもの。
なにしろ
ついに残った投手が僕一人だけとなってしまった。不運とはいえ野戦病院がすぎるのではないか?
「本っ当にごめん! 明日の試合、伴に9イニング完投してもらうことなっちゃった……。でもなんとかなるっしょ? 君はうちの秘密兵器として全国までとっておくはずだったんだけれど(本気か?)、次の試合でお披露目だ。若宮に大した打者なんていない。ビビることなんてないって。それにほら! 甲子園決めるゲームで活躍すればヒーローだよ! 女の子にだってモテちゃうかもよ?」
「そういうの本当にいいですから……」
相変わらずチャラい人だ。指導者としての才能は間違いなくあるのだが、若いとはいえ部員たちに対し友達感覚で接する……。
——さて、僕が如月東に残った唯一のピッチャーらしい。
同じポジションの先輩方の快復が間にあうことはない。
天候予報をあちこちのサイトで確認したが、決勝の雨天順延は期待できない天気模様だ。
今までベンチで精一杯大きな声でチームメイトを応援していれば良いだけのモブ的な立場から、
決勝戦前日に投手の経験がある選手が慌てて投球練習を開始したが、本職の投手で試合に出場できるのは僕だけ。そして投手は野球というスポーツにおいて専門職にあたる。急造ピッチャーはストライクゾーンにボールを投げることも、ボークせずに牽制球をいれることも困難なわけだ。
そういうことで、一年生かつ公式戦に出場経験がない、チーム最弱の投手此村伴がビッグゲームの先発マウンドを託された。
決戦前夜。僕はろくに眠れずに自宅のベッドの上でうろたえていた。
……如月東は準決勝までの四試合で一六失点を喫しながらなんとか這い上がってきたチームだった。ここまで勝ち残ることができたのは打線の奮起あってのものだ。
だが、決勝の相手は悪すぎる。金平はこれまで対戦した二線級・三線級のピッチャーたちとは物が違う。大会一失点、防御率〇・三五。大量得点など到底期待できない。守る側としては相手に一点も許したくなかった。だが僕は初回先攻の若宮高校に3者連続でヒットを浴び早速失点する。
若宮 |100| | |1
如月東|00 | | |0
もっと詳細に試合の内容を描写すべきかもしれないが、正直なところこんなシーンはカットしてもいい。繰り返すが僕は主役ではないのだから。
大事なのは如月東の攻撃の場面。
——ある一人の打席さえ描写してしまえばこの試合については問題がない。
8番ファースト。
右投右打。
背番号は20。
三年生なのに一年の僕よりも大きな背番号をあたえられている。
曜一朗は五月初旬、野球部に入部してきた。
1年と半年前に野球部を退部し、その間なんの部活動もせず学校生活を送り、そして今野球部に入り直したのだ。理由は——
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なんでも1年生の秋にある『問題』を起こし1年と6ヶ月間に渡って謹慎していた部員だそうな。
『問題』の詳細は不明だ。上級生はみんな語ってくれないし、その手の噂話が僕の耳に届くことはない(僕が部でぼっちな立ち位置だったから)。野球部を辞めさせられるほどの不祥事を起こした——飲酒、喫煙、万引き、あるいは暴力沙汰といったところか。いずれにせよ仲良くなれそうにない人だ。僕はそう思った。
曜一朗が野球部に復帰して間もないある日、僕は練習終わりの下校途中、彼とばったり会ってしまった。
「……一年生でピッチャーの此村伴だな? 西塔だ。三ヶ月間ちょっとの付き合いになるがよろしく頼む」
「よ、よろしくお願いします。……ん? 今から三ヶ月? それだと八月の下旬まで引退しないってことになりませんか? こ、細かいことですけれど」
「俺は全国で如月東を優勝させるつもりだからな。野球部を引退するのはそれからだ。おまえもレギュラー目指せ。甲子園で一番強いチームを倒そうぜ」
西塔曜一朗は僕の肩を優しく叩くと去っていった。
正直なところ、彼に対する印象はかなり良くなっていた。
それにしてもずいぶん老けた顔をした人だ。
目元が、口元が老けている。というか顔全体が老けている。
喜怒哀楽の感情を滅多に他人に見せないところも高校生らしくなかった。
老成というか、老練というか。
渋く鋭い声質もまた高校生離れしていた。『曜一朗』という名前すら古臭く感じてしまう。
最初に見たときは部員の誰かの父親がきたのかと思った。二八歳の監督よりもずっと年上に見える。西塔は戦場帰りの古参兵のように精悍な顔つきをしていた。
身長は一八〇センチあるかないかくらい。痩せてもいなければ太ってもいない。
守備に関する能力は可もなく不可もなく。走力は並以下。ファースト以外のポジションには入れないそうだ。部に戻ったばかりなため連携面で不安があるため、そこは仕方がないか。
彼がバッティングの練習風景は見ることができなかった。ピッチャーの僕とは練習メニューが異なることも一因だが、他の部員の練習のサポートに回ることが多いようだ。レギュラーにはなれないのだろうか?
そう思ったが普通に大会に出場している。8番で固定され代打を出されたことは一度もない。スタメンなのに背番号が大きいのは……やはり不祥事があった過去を
この大会の打撃成績は8番にしては良く打っているな程度のもの。外野フライがイヤに多いことは気になったが。
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3回裏、一点を追う如月東の攻撃。
先頭の7番打者は僕だ。右打席でバットを構える。
馬鹿な僕はその瞬間が訪れるまで気づかなかった。
若宮にとってこのゲームを制することなど容易いことだということに。
9回が終わったときに対戦相手よりも多くの点数を得ている——それが野球というゲームの攻略法である(あまりにも当然だが)。
だがこの試合は違う。如月東にベンチ入りしているピッチャーは僕一人だけ。
この一年生さえ排除してしまえば、残った付け焼き刃のピッチャーなど滅多打ちにできるはずだ。
左肩に衝撃を受けた僕は眼を大きく見開き、バットを手放しながら倒れ、その部分を抑える。
マウンド上に屹立する金平は野球帽を手に取り型通りに謝罪してみせた。
コントロールに優れたこの投手がデッドボールをあたえる可能性は本来極薄のはず。
主審は……注意をあたえるにとどまった。
客席を埋めるが静まり返った。硬球を当てられた僕は一塁ベースまで歩いていき、控えの選手に冷却スプレーを肩に当てられる。この部分ならピッチングに影響はない。痛みはすぐになくなった。このあとも問題なくマウンドに立てるはず——だが。
試合を壊そうとしたピッチャー金平はすでに意識を次に打者にむけていた。
表情だけは申し訳なさそうにしているが、その実内心では「此村を仕留めきれなかった」そう後悔しているはずだ。
如月東のベンチに火が点く。
「ちくしょう!! あいつわざとだろ!!」「よりにもよって此村にあんなボールを!」「このクソ外道が!」「正々堂々勝負しろよっ!!」「俺たちには一人しかピッチャーがいねぇんだぞ!!」
そういった怒気が内野の応援席にも伝わる。そして球場の観客のほとんどが思い返したのだろう。僕がいなくなれば如月東の勝機がほぼなくなってしまうことに。
わずか数十秒で球場全体が異様な雰囲気に包まれる。
その空気を変えたのは次の打者、曜一朗だった。
ベンチのチームメイトを一喝する。部外者にはギリギリ聞かれない声量で——
「テメェら黙っていろ……。判定に不服を漏らすな! あいつへの制裁は……ぶつけられた此村の復讐は……俺がやる!!」
僕は臨時代走(この場合、死球を受けた僕に代わり試合に出ている選手を代わりに一塁に置くこと)が認められベンチに引き返してきた。
ネクストバッターボックスから打席にむかい歩む曜一朗。
如月東のユニフォーム(白地に黒のアンダー、学校の名前も黒字というシンプルなデザイン)は彼に良く似合っている。
怒りのために身体に力がこもってなどいない。むしろ逆。まるで自宅にいるがごとくリラックスしている。バットを背中に回し身体を動かしていた。
この男は試合が終わりかねなかった大事件の直後だというのに、怖いほどの落ち着き払っている。さきほどチームメイトたちに告げたことが嘘だったみたいに。
バッティンググローブをつけず素手でバットを握り、丁寧に足場を均し固め、
そしてバットを構える。高く
西塔は一年生ピッチャーに襲いかかった『魔』を祓うために打席に立った。
僕はベンチに座る監督の様子を見ていた。曜一朗に対しなんのサインも出していない(彼のほうもサインを見ようともしていなかったが)。
「ノーアウト1塁ですよ。普通にバントが正解ですよね?」
「空気読もうよ伴。ホームラン打ってもらうに決まってるでしょ?」
な、なにを言っているんだこいつは?
「だってここまでの西塔さんの成績は……」
「それはあいつが得意にしていたインコースを打たないよう僕が制限をかけていたからだよ」
そもそも神主打法はインコースにきたボールを長打にする技術だもんね、そう監督は付け加える。
僕は頭のなかの映像記憶から西塔のバッティングを再生する。
(確かにインコースにきたボールはカットして、アウトコースにきたボールにばかり手を出している……)
今日まではわざと手を抜いていたと? なんてハイリスクな策を選んだんだ……。
「曜一朗は報復するためにインコースを打つことを決意した」
「報復って言われたって……僕はもう痛くないのに」
「君は自分の選手としての価値を過小評価しすぎだよ。君はチーム全体で守るに値するピッチャー! ……そうでなくても、曜一朗はチームのためになら自分の身を投げだすことができる奴だ」
ワンフォアオール精神はいいのだが、
「……ならどうして、一年半も謹慎処分されるような悪いことをしたんですか?」
「それについてはいつか説明しよう」
西塔が悪いことをしていないというのなら、もっと早い段階で話してしかりだろうに……。
「プレー再開だ。第一球、面白いものが見られるはずだ」
第一球? 僕はマウンド上の金平がサインを出し終え、キャッチャーがインコースにミットを構えるのを見た。
「まさか、狙っている?」
「そう、そのコースを」
右打席に入った曜一朗が、投じられた初球ストレートに迷いなく反応する。
全力で打球していた。この一振りに彼の魂をこめているかのような。
あまりにも強烈なパワーのともなったスイング。まるで打者が投手に対し抱いていた怒りそのものが発露したかのような。
レフト方向に巨大なアーチがかかる。
白球が外野手の頭を越え、フェンスを越える。応援する如月東のブラスバンドの演奏が止まり、球場にいるすべての人々の反応する声が爆発的に高まり(外野席の観客たちが後ろを振り返る)。そして——その瞬間恐怖から発生した悲鳴が球場全体に響き渡る(あまりにもありえないことが起こった!!)。
その瞬間とはすなわち、飛翔した打球が外野スタンドを飛び越え球場の外に飛び出していくとき。
消失!
ここにいるすべての人間がその光景を目撃した。
場外ホームラン。
ボールは球場がある公園の歩道に着弾した。
「一一〇、いや一二〇メートルは飛んだんじゃない……? 我が部員ながら引くわぁ」打球の行方を見守った監督がつぶやく。
塁審が頭上で指を回す。西塔曜一朗のホームランを認めるジェスチャーだ。
打ったバッターは慣れた様子でダイヤモンドを一周する。これがこの大会初のスタンドインだというのに。
(相手がクズでも歓喜の感情は見せない……)
老け顔の少年(?)はクールなままホームインした。
これが逆転の一打だというのにはしゃごうとはしない。ショックを隠し切れていないマウンド上のピッチャーとは対照的すぎる。
曜一朗は、僕の代走に入ってくれたセカンドのハイタッチを済ませると無表情のままベンチに戻り、ヘルメットを脱ぎ、緊張から解放されため息をつき、そして、自分を囲むチームメイトたちに一言、アーチを放った直後の心境を吐露してくれた。
「見たかテメェら!! これが俺だ!!」
瞬間爆発したように盛り上がる如月東ベンチ。
若宮 |100| | |1
如月東|002| | |2
このチームのレギュラー20人のほとんどが3年生だ。2年生が3人と1年生が1人(僕のことだ)いるのみ。
おそらく、曜一朗と同じ世代の3年生たちは、彼がなにをして野球部から去ったのかを知っているのだろう。
曜一朗は悪事の類を働いたわけではない。そうでなければこの男が慕われるはずがない。
「曜一朗……」「あれが俺たちの神だ」「やりやがった!!」「やっぱやべぇよ西塔は!」「此村ぶつけられて即報復しやがった……」「次も打って金平泣かしてやろうぜ」「見ろよ此村! あれが西塔さんだ! あの人が出てるなら俺らどこにも負けねぇから!!」
これが部内の総意。
西塔曜一朗は超世の才を持つバッターで、
絶対にして不可侵の存在。
僕にしたって異論はない。
彼以上のバッターをこの眼で見たことは一度もない。
「あいつ1年のときに
納得した表情を浮かべている監督。
僕は開いた口が塞がらなくなった。
あの打球はまぐれではない。そもそも公式戦でホームランを狙って打てる打者がどれほどいるというのだ。そのうえプロ入りしたピッチャーから柵越えとは。
「……こんなにすごい選手が今まで野球部から離れていたんですか? もったいなさすぎますよ」
「曜一朗はどうしても野球部にはいられない事情があった。でもあいつは自分の才能を信じてくれていた。練習に参加できない間もずっと鍛えていたんだ。試合に出ず、練習相手もなしって状況で。素振りだけであの『神主』を完成させ、必要な筋力を得るため身体を苛め抜いて」
「すべては夏の大会を制するために……」
「全国一の打者がいるチームが全国を制してなにが悪い? その資格は十分あるだろ?」
「全国一って言い切っていいんですか?」
「普通はね、伴。クラスで1番頭がいい奴はみんな東大に行ける? っていうとそうでもない。学年で1番可愛い女の子がみんなトップアイドルになれる? いや辿り着けないんじゃないのかなぁ。県内で1番足が速い陸上選手だって全国大会では予選敗退するかもしれない。わかるぅ? 『身内にいるちょっとすごい奴が超すごい奴に見える』現象」
「なにが言いたいんですか?」
「でも僕たちの西塔は偽者なんかじゃない。疑いようのない本物だ」
(……ッッ だが今のワンプレーでわからせられてしまった)
事実。
球場の外にボールを運べる打者がここにいた。
「現時点でアマチュア最強の打者だ。プロの試合ですら滅多に見られない場外ホームランを放つ強打者を今日この眼で目撃した以上、我々如月東高校野球部が超弩級の戦力を抱えていることは現実のものとなった。そしてこの映像は流布する。テレビもそうだけれど今はSNSもある」
「今もう拡散されてもおかしくはないですね」
球場でスマホを構えた観客が複数いた。
「まっ、もともとあいつは辺境に埋もれていい
「は、はい……」
「あいつにとって高校野球最後の大会。狙うものは狙っていく。
「……僕たち山形ですよ?」
「山形勢が高校野球最弱候補なことくらい知ってるさ。たかがベスト8が最高順位。史上唯一の全イニング失点を許したあの試合のことだって記憶に残っている」
「だからこそ」
「だからこそ『奇貨居くべし』なわけだよ。ちな『あたえられたチャンスは逃すな』って意味ね」
「西塔さんが復帰して出場できるこの大会にすべてを賭けるってこと……ですね」
「プレッシャーになるから一、二年生にはずっと話していなかったんだけれど……」
この青年監督が本気で全国制覇を狙っていることは。
「大丈夫です、試合に出ていること自体もうプレッシャーですから。僕も狙いますよ」
本気で全国制覇を。
まだ一年生だが、もうこの『夏』で終わってもいい覚悟はできている。
自分のすべてをこの数ヶ月で燃やし尽くしてもかまわない。
僕はきっと、この曜一朗のいるチームと心中することを選んでしまうだろう。腕がぶっ壊れても、これから先の高校生活を投げ出してしまってもかまわない。
なぜなら、
3年の先輩のあの一振りに魅了されてしまったからだ。
彼とプレーできるのはこの大会が最後。
——3回裏、西塔がホームランを打った後の如月東の攻撃は3者凡退で終了した。
僕はファーストミットを手に守備位置につこうとする曜一朗に声をかけた。
「西塔さん、あの!」
「どうした此村? 当てられた肩は痛むか?」
僕は首を横に振る。
「大丈夫です。それより……すごいホームランでした。ボ、ボールってあんな飛ぶものなんですね?」
「次の打者につなごうと思ったんだがな、まさかあんなに飛んでいっちまうとは」
西塔曜一朗はニヤリと笑うと、こう続けた。
「投げるほうはおまえに任せた。打つほうは……俺に任せてくれ」
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