第31話 自分の知らない自分
「この場合、運が悪いのはどっちになるんだ?」
わたしはぼそりと呟いた。
土曜日ということもあって、人が多いのは覚悟していた。
しかしまぁ、何と運が無いのであろうか。
「まさか、どこかの幼稚園の遠足と被っちゃうとはねぇ」
「どうする?仕切り直す?」
先輩からの質問の答えは決まっている。
「もちろん、進みますよ。せっかく誘ってくれたし、それに……」
「耐えられないほどじゃ、ないですから」
そうしてわたしたちは、チケット売り場の列に並んだ。
「唯は水族館、好き?」
「……昔、よく母さんに連れて行ってもらっていました」
「だから、たぶん好きです」
少なくとも、悪い思い出は無い。
それはもしかしたら、当時の自分が何も知らなかったからかもしれないが。
チケットを買って、チケットを見せて、館内に入る。
館内は暗い。灯りは間接照明と、水槽の中の電灯だけ。
真っ先に目に入ったものは、大きな水槽だ。
どうやら、深海魚の水槽らしい。
「ここは深海魚の展示種類が日本一なんだって」
「でも居るのカニですよ。カニって深海の生き物なんですかね?川にだって探せばいますよ」
答えを求めているわけではない。わたしたちは……少なくともわたしは雰囲気で水族館を楽しんでいる。
そうして入ってきたドアとは違うドアから出て、外へ。
ドアの目の前には、温泉好きの可愛い奴――カピバラがいた。
「先輩、わたし、つい最近までカピバラのことをカピパラだと思ってたんですよね」
「……?それは、どうして?」
「カピパラの方が、なんとなく発音しやすい」
「あと、濁点より半濁点の方がかわいい」
「ふっ、なにそれ」
そんなくだらない会話を彼(もしかしたら彼女かもしれない)はいつ見ても感情を読み取れないぼうっとした顔で眺めていた。
柵から手を伸ばして顎を撫でたいという欲求に襲われるけれど、わたしだって一応高校生だ。そんなことをはさすがにしない。
「アシカとオットセイもいるよ!見に行こっ」
「あっ先輩待って……」
先輩に手を引かれてアシカとオットセイの水槽に連れていかれたときまでも、彼はのんびりとした顔のままだった。あいつらの表情筋が心配になる。
「唯の好きなカワウソがいるよ~!」
「カワウソ⁉」
大好きなカワウソを見に、人込みを縫って先輩の声の来る場所に向かう。
「カワウソ、かわいいですよね」
「唯は私とカワウソどっちが好き?」
「カワウソ」
「ひどいなぁ⁉」
大勢の前で恥ずかしげもなくそんなことを聞いてくる奴よりカワウソの方が可愛いに決まっている。
「こっちみてよぉ~」
「嫌です、今カワウソがご飯食べてるんですよ」
カワウソがイワシに必死でかぶりついているのを見るのは楽しい。
スマホを取り出して、シャッターを切る。
「唯?スマホの容量なくなっちゃうよ……?」
「そこまではさすがにしませんよ……?」
水族館には普段あまり見ないような深海生物の他にもウツボの展示コーナーとか、わたしの腹以上の大きさのサメを触れるコーナーとか。
建物が小規模な分だけ、水槽も小さいが、これはこれで楽しい。
水槽をこっそり取り出して、家でお世話もできそうだなとか、考えたりもしたけれど、たぶんこんな小さな水槽一つ維持するのにも途方もない苦労があるのだろう。
きっと、わたしの耳と同じように苦労なんてしている本人にしか分からないものだ。
相手の方が楽だと思うのは、隣の芝が青く見えているというだけなのだ。
きっと、水槽の中の彼らも、似たような悩みを抱えているのだろう。
あいつの方が多く餌をもらってるとか、あいつの方が人気だとか。
まぁ、自分にとってはもはやどうでもいいことなのだが。
そんなどうでもいい考えが頭をめぐったころ、先輩が口を開いた。
「唯、楽しかった?」
「もう帰る気ですか?」
「いや……この前のこともあったし、唯がリラックスしてくれたらうれしいなって」
「……楽しかったです」
「また来たい。それに、次はわたしのお気に入りの水族館に連れていきたい」
それは素直な気持ちだった。
もっと、先輩に自分をさらけ出してしまいたい。もっと先輩に自分のことを知ってもらいたい。
先輩が自分のことを教えたがらなくても、わたしは先輩に自分を知ってほしい。
そして先輩には、自分の知らない自分を教えてほしい。
一緒に幸せになれるように。
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