第28話 括りつけられたもの
「……はぁ」
気だるさとめんどくささと病み上がりの気分の悪さをミックスしたため息を図書館の空気に吐き出してみると、わたしの目の前に座る先輩がわたしの目を覗き込んできた。
「唯、分からないものでもあるの?」
「英語のすべて」
「えっ」
恥ずかしながら、わたしは英語が大の苦手だった。
そういえば、なぜだっただろうか。
英語の教師とトラブルがあって苦手意識……というよりトラウマがあったのは確かなのだが、正直その前から英語の成績は低かった。
世には小説を読むと眠くなる人間がいるというが、自分は英語を読むと眠くなる人間らしい。
もはやリスニングは諦めているのだが、最低限文句を言われない程度の成績は出しておきたい。
だからこそ、先輩に頭を下げて、テスト一週間前の部活休止期間中に勉強を教わっているというのに。
「まさか、単語をほとんど覚えていないとは……」
先輩が頭を抱えてる姿、初めて見た。
「文法はしっかり覚えてたから、なんでこんな点数悪いの?って思ってたらこっちかぁ……」
「教えようにも、暗記しろ。としか言えないしなぁ」
暗記は、苦手だ。
一人で勉強すると体がむずむずするし、計算とかと違って「出来た!」と達成感も感じづらい暗記など、余計に集中なんてできない。
「一人だと集中できないんですよ、暗記なんて楽しくないし」
視線は、あえて逸らした。
それ以上言わないで、という意思表示として。
自分が英単語ができないことなんて昔から知っているし、家族からも何度も口ずっぱく言われてきた。
だから、先輩には言われたくない。
先輩を他の人と同じにしたくない。
先輩へのハードルを無駄に上げることになるけれど、罪悪感は見ないふりをする。
先輩がわたしを好きなままにしたいというのなら、自分にだってそれをする権利はあるはずだ。
やられてばっかじゃ、楽しくないから。
「先輩が毎日勉強に付き合うって言うなら、英単語頑張りますよ?」
自分でも、変なこと言ったなって思う。
わたしの誘いに乗っても、先輩に対するメリットはほとんどない――いや、わたしもか。
一人じゃ勉強できないと言っても、テスト前なら自分だってたぶん少しは勉強するだろうし(なお、中間試験は全然勉強しなかった)、先輩だって集中したいだろう。
やっぱり英語なんて捨てて、点数が取れるほかの科目に集中しようと考えて、
「冗談ですよ、先輩だって、テスト直前くらい一人で……」
わたしの言葉を途中で遮って、先輩が食い気味に言った。
「付き合う!」
余計なこと、言わなきゃよかった。
――――
「青柳さん、中間の時よりひどい顔になってるけど、大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
机に突っ伏しながら、目だけを動かして、先輩を見る。
先輩は子憎たらしいほどニコニコしていた。
「唯、英語どうだった?」
「なんとなりましたよ、おかげさまでね」
吐き捨てるように、呟く。
先輩との一週間は思い出したくもない一週間だった。
「唯!英単語のテストたっぷり作ってきたからね~」
「……」
「60点取るまでは返さないからね~」
わたしは部室の机にベルトで括り付けられ、大量の単語を覚えさせられた。
テストで60点をとれない度に無理やりキスをされ、60点以上とれたら「唯はできる女の子だねぇ」と言われて無理やり髪を撫でられた。
その結果として一日4時間、休日は10時間というテストの規模に見合わないレベルの勉強をする羽目になった。
もちろん、勉強時間の8割は英語だったわけだが。
その結果として、自己採点とはいえ英語で人生最高の68点という好成績を残すことができたわけなのだが。
「もう二度とやりたくない……」
「青柳、何やったん?」
「先輩と二人っきりで、勉強……」
「俺も美人な先輩と二人っきり勉強してえな~」
目の前の加賀が楽しそうに口を緩めた。
つい今さっきまでわたしと一緒に突っ伏していたくせに。
「椅子に縛り付けられてトイレすら監視され、プライベートの欠片すらない一週間を過ごしたければどうぞ」
「えっ、先輩そんなやべえの?」
「やばかったね」
「そんなに拘束してないもん!」
先輩がわたしと加賀の会話を遮り、自分の擁護を始める。
「だって唯に逃げられたくないし……」
「だからといって毎日放課後からわたしを拘束して無理やり勉強させる奴がいますか!」
「唯が勉強付き合ってほしいって言ったし……」
「縛ってトイレまで見ててほしいなんて言ってない!」
先輩は目をずっと逸らしている。
しまった、言い過ぎたか?
そんなことを思ってると、先輩はこっちに向き直り、じっと目を見つめてきた。
「……ごめん、調子乗ってた」
「……いえ、こっちも言い過ぎです、すいません」
「今度の休み、埋め合わせするから」
「唯の行きたいとこ教えて」
「……考えときます」
息苦しい沈黙が流れた。
「……」
「……」
何を話せばいいのだろう?
この一週間で会話のネタなど出し尽くしてしまった。
「ああ、仲良くしてるとこ悪いんすけど……」
この沈黙を破ったのは、加賀だ。
「青柳にこれ見てもらいたくて……」
彼が取り出したのは、一枚のプリント。
ご丁寧にマーカーが引いてある。意外とまめな奴なのだろうか?
「このマーカーが引いてあるとこ?」
「そうそう」
そのマーカーが引いてある三つの漢字が頭に入ったのとほぼ同時に、わたしの口から乾いた声が漏れた。
「あっ、これ……」
「この名前の奴、青柳なら知ってるんじゃないかって思ってさ」
そこに書かれた名前は、『萩野唯』。
昔の自分の名前だった。
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