第8話
小さく閉ざされた空間の中、カヤはあの夜の色の瞳を持った美しい女性の事をふと思い出した。
翠様――その名前を耳にした事は、この国に来る前からも何度かあったように思う。『神の声の代弁者』なのだと、カヤの国の人間がまことしやかに語っていた記憶があった。
強大な霊力を身に宿し、女性ながらにして一国を治めている神官様が居るらしいという話は、噂話に疎いカヤでさえ知っていた。十中八九、それがあの翠様の事なのだろう。
だとしたら先程のような無礼な発言をして良い人物では無かったはずだ。じわじわと後悔の念に襲われたが、口にしてしまったものは仕方が無い。
もし次に会う機会があれば、これ以上怒りを買うような物言いは止めておこうまあ、もう二度と会う事も無いだろうが――ぼんやりとそう考えた時だった。
「……あのー、失礼いたします」
「ひ!?」
突如、家の入口から聞こえてきた声に、カヤは文字通り飛び上がった。慌てて顔を上げれば、僅かに開いた引き戸から、一人の少女がひょっこりと顔を覗かせているのが見えた。
「な、なんですか?」
「突然申し訳ないのです。私、隣の家に住むナツナという者なのです」
ナツナと名乗った少女は、おっとりとした口調でそう言った。カヤは全身で少女を警戒しながら、ゆっくりと立ち上がる。
「……何か御用でしょうか?」
「御用というほどでも無いのですが、貴女がこの家に住むと聞きましたので、ご挨拶に伺ったのです。お隣同士、よろしくお願いいたします」
ナツナがにっこりと笑った。丸い頬がまるで桃のようだ。見る限り悪意は感じ取れなかったものの、カヤは言葉を返す事が出来なかった。
今までも自分の髪は稀有なものだと自覚はしていたが、間抜けな事に、よもや売られる対象になるのだという考えに至った事は無かった。
だがこの見知らぬ国では、自分以外の人間がすべて敵のようなものだと痛いほど理解できた。警戒するなと言うほうが無理な話であった。
黙りこくるカヤに、ナツナはぱちぱちと瞬きを繰り返す。カヤが返事をしないため戸惑っているようだ。
「あ、あの、もしよろしければ何かお手伝いできる事はありませんか?」
冷えた空気を和らげようとしたのか、ナツナが焦ったように言った。
「ほら、このままのお家の状態ではお困りになるでしょうし……私でよろしければ、お掃除お手伝いたしますよ」
「結構です」
ぴしゃりと言い放つと、ナツナの笑顔が凍り付いた。
「でも、あの、せっかくのお隣同士ですし……あの、私と仲良くしていただけませんか?」
失礼な態度を取っているにも関わらず、ナツナは怒るどころか、あくまで低姿勢で窺ってきた。
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