第12話
かくしてジョバンニの主導の下、ダゴン星系脱出作戦は、民間人を唯一人の犠牲も出さずに達成され、これ以降の時代において『軍神』とは彼の名を指す通称として扱われた。
アオイを無事ダゴン星系から脱出させた後も、ジョバンニは《帝国》の追撃を阻止する為に、コロニー駐留軍の戦力のみで、グラオザーム伯爵率いる《帝国》方面軍先方隊と激突することとなった。
戦力差は四〇対一。本来アルトリウスが遅滞戦に持ち込んだ三〇対一の戦力差よりも更に絶望的な戦場でジョバンニは艦隊の指揮を執った。
兵士たちは全員、黒い影によって操られた傀儡の集団である。当然、誰もジョバンニの命令に異を唱える者などいなく、命を惜しむ者もまた存在しなかった。
一糸乱れぬ動きとはいえ、たった数百隻の小艦隊に、万を超える数の《帝国》の大艦隊が翻弄される様は、《連邦》側からすれば、まさに痛快無比の出来事であったといえよう。
加えて〝神がかった〟タイミングで救援に駆けつけたアルトリウス・クラウソラスの率いる艦隊が、隊列の伸び切った《帝国》軍艦隊の横腹を強襲した事も、《帝国》軍を混乱に陥れ、ついにはジョバンニたちへの追撃を諦めさせたのである。
この成果は〝神の見えざる手〟による後押しあってのものであるが、グラオザーム伯爵は、皇帝より預かりし艦隊の内、二〇〇〇隻余を大破ないし、喪失。戦死者数四〇万余を損失するという苦杯を喫する結果となった。
そしてダゴン星系に住まう民間人を全員無傷で後方星域に到着させたジョバンニに待っていたのは、市民の歓呼の声と査問委員会の糾弾の声だった。
民間人はジョバンニが見せた奇跡と名将と呼ぶに相応しい行動に、満天の星空の数ほどの賛辞を浴びせかけた。その一方で《銀河》連邦軍の幕僚たちの反応は実に冷めたものだった。
地上勤務とはいえ、一介の少佐に与えられた権限を大きく逸脱した数々の越権行為。本来なら極刑が適応されるところなのだが、状況がそれを許さない。
鉄壁であった『ジュデッカ』の陥落。《帝国》の侵略。そしてイオド星系の失陥とそこに住まう民間人の大量虐殺。
《連邦》市民の間で《帝国》への負の感情が大きく膨れ上がるのは必然であったし、彼らの熱を利用したい政府と企業としては、英雄という存在が必要だったのだ。
政府と軍と企業体。この腐った三位一体がそれぞれの思惑を擦り合わせたの結果が、首都星での大々的なパレードであり、ジョバンニを軍神という神輿に乗せることだった。
「そうだ……アイツらの栄光に泥を塗ったその結果が、この勲章この階級だッ!」
長く残酷な夢から覚めた今、衣服に纏わりついた綺羅びやかな勲章の数々と、大佐の階級章があの出来事が全て現実に起こったことなのだと、ジョバンニに突きつけてくる。
軍人にとって最高の栄誉であり、戦功章の中で最も受章が困難な勲章とされる銀河連邦十字勲章。人命救助における英雄的行動を示した者に送られる殊勲十字章。そして生きている者は決して受章されないといわれる白銀突撃勲章すら、ジョバンニの胸に飾られていた。
「こッ、こんなものォッ!」
ジョバンニは何の躊躇もなく、胸を飾る数多の勲章を引きちぎり、力任せにホテルの壁に叩きつけた。鈍い金属音が鳴り、壁を傷つけたがそれを気にする余裕などない。
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」
怒りで肩を戦慄かせるジョバンニは、身体の内から湧き上がる衝動に任せ銃を抜くと、自らのおとがいへと銃口を押し当てた。
ダゴンの奇跡の立役者と云う、本来アルトリウスたちが称えられるはずだった称賛を全て奪い去ったこと恥じて、死ぬつもりでいたのだ。
「ハァッ……ハァッ……」
自分が信仰する英雄への背信。神への冒涜。ジョバンニという男は、この世の誰よりも嫌悪され憎まれ、そして侮蔑される行為を犯したのだ。
たとえアルトリウスやその仲間たちが、ジョバンニの行いを許しても彼は、自分自身を赦すことは未来永劫ない。だから自分を自らの手で終わらせる。
「ぐ、ぐうぅぅううッッ!」
だが死ねない。
自死することなど、鼻毛を抜くほどの躊躇もない。だのに震える手は、未だ銃の引鉄を引いていなかった。アルトリウスを死の運命から救い出せていないから。
だから今は死ねない。死ぬにはまだ早い。
その決意だけがジョバンニを現世に縛り付けていた。
「まだ、死ねない。だけど、どうすれば、いいんだよ……」
英雄を救うため世界に反旗を翻す。そのはずだった。
しかしそれは大きな誤りだった。蟻が恐竜の巨体を認識できないように、ジョバンニは己が敵対しようとしているモノの強大さをまるで理解出来ていなかった。
「あの黒い影をどうすれば攻略できる?」
相手は世界だった。まさしく神だったのだ。
その力の一端を文字通り身を持って思い知らされた。打ちのめされ、叩き潰された。
必要となれば、この世界を無理矢理にでも操れる存在。ジョバンニは黒い影に触れたことで、僅かだが理解できてしまったのだ。
あれは、触れた人物が持つ思想や感情を〝神の見えざる手〟の都合の良いように増減させるのだ。普段は理性や損得の感情で抑えている〝タガ〟を、容易に外してしまえるほどに。
そして神の尖兵をねずみ算式に増やし、強引にでも問題を収拾させるのだ。
「くそッ……舞台裏からコソコソと、運命や因果を操ってくれていたほうが、まだ良かった」
世界の修正力と呼ぶには、あまりにスマートさの欠片も無い。人間では知覚できない大きな力や、抗いようのない運命に翻弄されたほうがまだ神の仕業らしいと思える。
集団で、直接的な〝暴〟に訴えてくる。その様は、まるで巨大な蟻でも相手にしているかのような原初の恐怖を湧き起こさせる。
見えないけどそこにいる。人間の心と身体を弄び、強制的に従わせる。それは神というよりも神話の怪物とか、悪魔という単語がしっくりくる存在だ。
与し易いと希望をちらつかせ、世界を変えようと試みた愚か者の心を折る。
最初から勝ち目のない相手だったのだと。
まるで昆虫や植物のようなやり口だ。だからこそ生々しい。
「取り込めないとわかれば、躊躇なく排除される。あの時の軍曹のように」
蟻や蜂が巣の中を掃除するかのように、ジョバンニが世界にとって邪魔と判断されれば、今度こそゴミのように消されてしまうだろう。
この世界のシナリオを書き換えることは不可能なのだ。
それが絶対的な、このアニメで出来た世界の事実。
だが……。
「けども……だけども……。」
それは本当に。本当にそうなのか。もう詰みなのか。英雄は助けられないのか。
ジョバンニは必死になって、記憶の引き出しを開け放つ。思考を巡らせ、世界を、〝神の見えざる手〟を打開できる方策を巡らせる。諦めるなんて不可能だ。
しかし考えれば考えるほど、可能性が、消えてゆく。
何度考えても最終的に立ちはだかる〝神の見えざる手〟による力技を突破できないのだ。
あの時の少年顔の軍曹のように、殺される未来が何度も。何度も繰り返される。
「……」
何度も、何度もあの軍曹が殺された理由を考える。
「なぜ、あの時、軍曹は殺されなければならなかった?」
黒い影に触れた者は、〝神の見えざる手〟によって都合良く操られてしまう。あの通信室では、ジョバンニの立っていた場所以外のほぼ全域が、黒い影に支配されていた。
だったらあの軍曹も黒い影に取り込まれていたはずなのだ。
だが少年顔の軍曹は、黒い影に操られることなく、むしろ邪魔者として殺された。
それは何故。
「軍曹は操れなかった。だから邪魔者として排除した」
黒い影が真に万能なら、触れた者は全員、問答無用で操れて然るべきだろう。軍曹どころかジョバンニすら、操り人形と化していたはずである。
しかしそうならなかった、ということは。
「そこに突破口がある」
閃きが、頭に浮かび上がる。
少年顔の軍曹が、偶然にも黒い影に対して免疫のようなモノが備わっていた、とは考えにくい。当然、ジョバンニがそんな稀有な特性など、持ち合わせていようはずがない。だが。
「オレは一度、通信室の扉を開けようと考えていた。黒い影に操られかけていた。しかしその考えを振り払うきっかけがあった……」
通信室の扉を開けたら死ぬ、という強烈な悪寒。それが黒い影の糸を断ち切った。
「あの扉を開けたら詰む、という直感。扉を開ける事への強烈な拒否感が湧いたから、黒い影の支配下から逃れることが出来た」
ならば確実にそこが奴の穴なのだ。
理性や感情の〝タガ〟を外せるのに、死にたくない人間は、死なせられない。ちょっとした切っ掛けさえあれば振り切られてしまう。なら弱点はそこにある。
黒い影は、死を強制できないのだ。
生物は無意識に生き足掻くものだ。どれほど辛く死にたいと思っていても、大抵は意識せずに生にしがみつく。だから直接死を想起させる〝自殺〟ではなく、扉を開けるという回りくどく、死を感じさせない手段を使ってジョバンニを操ったのだろう。
では軍曹の場合は、どうだったのだろうか。
彼もまた死を望んでなどいなかった。ただそれは、通信室内に居た他の同僚たちも同じ気持ちだったはずである。
ただ一点。同僚と軍曹との違いがあるとすれば、このままジョバンニに付き従っていて良いのか。通信室の扉を開けたほうが助かるかもしれない。そんな保身の気持ちが、同僚たちにはあり、その心の隙間を黒い影に付け込まれてしまったのだろう。
「オレの予想が正しければ、軍曹は考えていなかったのかもしない。彼は裏切るだとか、自分だけ助かろうといった感情や考えを、毛の先ほども抱かなかったのではないか」
黒い影が、豆粒のような小さな感情や思考でも、抱いてれば山のように膨らますくことが出来る。しかし初めから無いものは膨らますことはできない。
つまり軍曹は、ジョバンニに対し敵意や悪意、保身の為に売るといった考えをまったく持ち合わせていなかったのだ。
狂信や心酔、或いは献身や忠義と云った精神。人間が己の心に抱く、損得を超えた先にあるモノ。たとえ神でも運命でさえ、決して穢せない、奪えないモノ。
「それが〝神の見えざる手〟に抗する為の鍵」
僅かだが光明が差した。だがそれだけではアルトリウスを救うには届かない。
黒い影は音もなく、どこからでも現れる。触れられてしまえば神の操り人形と化し、その数も無尽蔵に増殖する。
加えて英雄には、最終決戦の場以外にも宇宙を放浪する主人公たちを保護するなど、他にも様々な重要な役割が期待されている。その役から降ろそうとすれば、黒い影がアルトリウスを操る可能性がある。
彼の代役を務められる人物を探し出さない限り、アルトリウスには今のままでいてもらう他ない。
もとよりアルトリウスには、ありのままでいて欲しかった。それが黒い影のせいで自由意志を奪われ、輝きを失うなどジョバンニにとって想像することすら穢らわしいものだった。
一番の懸念はジョバンニが再び黒い影に操られてしまう可能性があるということ。
ジョバンニの身体は既に一度、〝神の見えざる手〟に操られている。なら黒い影が再度操れるように、種のようなものを残している可能性は大いに有り得る。
「土壇場でオレ自身が目的をぶち壊すなんて、それこそ笑えない」
だから根本から計画を練り直す必要がある。
アニメのシナリオに関わりながらも、シナリオから外れる為の行動。それを〝神の見えざる手〟に咎められない手段。
「オレ自身がもう信用できない……なら」
ジョバンニは【前回】と【今回】から黒い影の行動原理、即ち〝ルール〟を思い返す。
黒い影の目的は、シナリオを完遂させることにある。
ガールズ&ギャラクシーというアニメ作品を定められた結末へ導くために。
その決まった運命に、ヒビを入れる方法とはなにか。
「アニメの重要なキャラクターに、シナリオを放棄させるしかない」
修正の効かない大事な場面で、アニメの核とも言えるキャラクターが急にシナリオにはない行動を取らせたら、〝神の見えざる手〟はどうするのか。
「例えば、アオイ・タチバナに独断専行を唆し、オレが追認して場をかき乱すとか」
実際の所こんな行動を起こした後、黒い影がどう動くのかジョバンニは分からない。
もしかしたらジョバンニは、黒い影に操られた誰かに殺されてしまうかもしれない。
当然、ジョバンニを殺すのは『アンドラス』のクルーの誰か、と云うことになるはず。
ジョバンニを射殺してでもシナリオを規定の路線に戻そうとする可能性は、十分にあるが絵面は非常によろしくないだろう。
この世界はアニメで出来ている。だから、アニメには必ず〝視聴者〟が存在する。
彼らへのウケを考えれば、主人公やその仲間がそんな過激な行動など出来るわけがない。
そんな事をすれば会社、スポンサーといった更に上位の存在が黙っていない。一個の作品、商売が何もかも全てが破綻してしまうのだから。
「これは、賭けだがやるしかない」
これは謂わばこの世界への人質である。ジョバンニは、戦艦『アンドラス』のクルーがこの世界の命運を左右する特別な存在だと予め知っていたから出来る悪魔の作戦。
アニメ、『ガールズ&ギャラクシー』の主要メンバーの中の一人でいい。懐柔する。
彼女らにとって、ジョバンニ・シスという男の存在価値、重要性を最大限にまで、いや、叶うなら唯一無二にまで引き上げる。
親代わりだっていい。友人でも、憧れの存在、戦友。なんだって良い。
この人は、私を絶対に裏切らない。騙さない。導いてくれる。そんな心の支えとなることが出来れば、少女の信頼を担保にして、世界を裏切らせることが出来る。
「オレは、アルトリウスさえ救えるなら、あんな小娘たちなんてどうだって良い。だが」
この世界はアニメなのだ。だからそんな、何も知らない無知な少女を利用するなどと云う、非情で邪悪な行動が発覚すれば、必ず相応の報いを受ける事になるだろう。
「オレはオレの目的を果たすまでは絶対に死ねない。絶対にだ。だから隠し通さなきゃいけない。アイツを救いきったと確信を得る時まで……」
もしかすれば少女たちに近づき過ぎて、黒い影に消される可能性もある。
あくまでもこの世界は、少女たちの活躍を願い、描かれたアニメの世界なのだから。
ただの凡夫が出しゃばり、少女たちにとって特別な存在であって良いわけがない
しかし〝神の見えざる手〟にとって重要なのが、大局的なシナリオだけであり、少女たちの心の変化や、関係性の変化に対して無関心なら。
「腹の中を覗かれて、腸の中すら穿り出されても、小娘たちを利用している心は、クソの中の一粒に隠して誰にも悟らせない」
そこまで自分を追い込む。理想の将校を体現した男に。この世で誰も、自分自身ですらジョバンニ・シスという男の原型が分からなくなるほどに。
誰もが憧れ、自分もああなりたいと、目指そうと、心の憧憬に火を灯すような男にならなければならない。それが苦痛であれど、難事ではあれど、やらねばらなない。
再び『アンドラス』の艦長となるため。全ての艱難を排さなければならない。
アルトリウス・クラウソラスという男が生きて、あの春風のような微笑みを浮かべ笑ってくれる未来が続くのなら、ジョバンニが引き受ける痛みなど如何程のものか。
既にジョバンニは、彼の栄光を掠め取ると云う、贖えない罪を犯している。ならば今ある地位も名誉も命も全て捧げて、英雄をこの歪んだ世界から救うのは当然の事である。
「鍵はアオイ・タチバナか」
ガールズ&ギャラクシーの主人公である少女。今は故郷を追われ、ダゴンの後方星域にあるハイドラという惑星で、一時的な避難生活を送っている最中だ。
もし彼女から、黒い影の影響を振り切れる程の信頼を勝ち取れれば、この世界にどれほどの影響を及ぼすことが出来るだろうか。
ジョバンニは手早く携帯端末を操作し、ある人物へ連絡を取った。
「……やあヴィスコンティ。久しぶり」
数秒の呼び出しの後、通話に出たのは士官学校時代の同期。かつてジョバンニが命を救った財閥のトップの息子である。
「あぁ、ありがとう嬉しいよ。……ん、勿論構わないさ、君の友人なら喜んで参加するよ」
朗らかに。だが淡々とクレーム処理を行う電話受付の様に、相手の言葉を受け流す。
「その変わり、と言ってはアレだなんだが、実はダゴンを追われた人々を慰問しようと計画していてね。そこで君の会社で作っている玩具を幾つかを子供たちにプレゼントしたいと思っているんだが……あ、構わない、助かるよ」
それから幾つかの受け答えを交わし、通話を終えたジョバンニの表情は硬いものだった。
業腹な事だが、ダゴンの英雄、軍神、などと神輿に担がれている今なら、ダゴンを追われた難民の下へジョバンニが慰問に訪れる、という行動に誰も疑いを持たない。
そういう話題を欲しがる政府や企業体は、むしろ嬉々としてジョバンニの提案に乗るだろうし、彼ら巻き込む事で大手を振ってアオイとの関係を構築できる。
「……」
何も知らない子供を骨の髄まで利用する。
地獄という場所があるのなら、ジョバンニは必ずソコに堕ちるだろう。しかしそれは彼の犯した罪を考えれば、むしろ望むところである。
故にもはや誰も彼を阻むモノは何も無い。
身魂全てを注ぎ込み、英雄を救うという願望を成就させる。地位も名誉も命も質草に入れるだけで手が届くかもしれないとなれば、一体何を躊躇せよというのか。
「クク……ククク」
それは産声だった。ジョバンニの心が育んだ英雄への憧憬の卵。その殻が割れて溢れ出た鬼の声。人であることを止めた人外化生の笑い声である。
だがそれはある意味正しい。
二度も黄泉の国から這い出てきた男が、まともな人間であるはずがないのだから。
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